○ 沖積期に生きる人類
( 出典 ; 北大名誉教授 石塚喜明 「 札幌同窓会誌 巻頭言 」 平成17年・第17号 平成17年11月30日 (社)札幌農学振興会発行 )

       沖積期に生きる人類                 石 塚 喜 明 

 地球が生まれてから今日まで、いろいろな特徴のある時代が続いている。 われわれはこれを地質時期と呼んでおり、今は沖積期と言われ、われわれ人類ないし生物はこの時代を生き抜く運命のもとにある。
 その人類が生存のためにいろいろな行動をとっていて、そのうち大きなものに生物、特に植物が光合成により作り上げた有機物で何億年と溜めてできた石炭や石油を消費して、いわゆる物質文明を享受して生活しているのである。

 これを消費していわゆる物質文明をエンジョイしている間に、三つの大きな問題が起きてしまった。 今後文明を支えてゆくべきエネルギーの減少と二酸化炭素の増加による地球温暖化の問題と、それに関連した食料問題と、水資源の量と質の不均衡分布の問題である。
 これらは人類の将来にとってその生活を脅かしかねない問題である。 地球の歴史をみると、古生代よりいろいろな生物が地球上に現れ全盛をきわめた時期があった。 しかしその地球の気候その他環境条件が変化すると、それに適応できなくなって滅んでしまっている。 一番よく知られている例は恐竜である。 したがって人類もその例に洩れないのではないかという心配がある。
 人類の特徴は頭脳の極度の発達でいわゆる物質文明を築いてきたが、そのために地球の環境状態を変化させ、人類はそれに対して適応できずついてゆけなくなり、亡びるのではないか。 これも生物の一種の運命として地球の輪廻の一現象として悟ってしまえば、それも一つの哲学かもしれない。
 他方、現代の地球は沖積期に属すると言われている。 この期の地球は水の惑星と言われているように豊富な水に満たされており、その水が太陽熱により蒸発し再び雨や雪になって降下する。 その雨により岩石は風化崩壊し土砂となり水に流されて川に入り、その流域に平野を作る。 人類はそこで生活し文明を開いてきた。 したがって沖積期とは、山が崩れ地球の凹凸がなくなり平坦化される時代と言えよう。 ナイル、チグリス、黄河等、文明、農耕地の発展の地と言われている。
 しかし、自然には別にルシャテリエの法則、別名アマノジャクの法則と言われるものが存在する。 氷に圧力を加えると氷は液体となりその圧力を弱めるといった具合で、沖積期は山が崩れる時代である反面、自然は山に樹木を成長させ根を張らせ水による崩壊を防いでいて、沖積期を長引かせるように働いている。
 人類は山の崩壊を防ぎ、太陽エネルギーの固定のために植林に精を出している。 しかし、これを自然にやさしい行動であると言うのは少し言い過ぎではないかという声もある。 沖積期の進行をスローダウンさせており、自然はこれをどうみているかも問題である。
 しかし人類にとっては不可欠な大切な対策であることも事実である。 しかし地球の歴史からみれば、これも地球の運命に対する消極的な対策の援助と言わざるを得ない。
 このように考えてくると、今人類が考え実行している策は残念ながらいずれも消極的と言わざるを得ない。
 すさわち、その一つに国際的な化石エネルギー消費の節約がある。 これは全体的に二〇%節約できたとしても延命策の範囲を出ない。 しかもこの節約は工業先進国が抵抗してなかなか節約できずにいるし、発展途上国は工業化促進でさらに多くの割当を要求している。
 また空気中の二酸化炭素濃度をこれ以上高くしないために地殻の空隙に注入、貯蔵するという弥縫(びほう)策も考られているようである。 これはもちろん空気中の二酸化炭素の濃度の上昇はある程度は防げるとしても、化石エネルギー消滅を抑えることにはならない。
 これらの努力は当面大いに尊重すべきであり、水を差す考えはない。 しかし端的に言えば、化石エネルギー消滅の延命策で消極的対策と言わざるを得ない。
 根本的な対策は二酸化炭素を再び有機質に返し貯蔵することである。 すなわち、植物のもつ葉緑素と同じ機能をもつ触媒の化学的合成である。 そしてこれを利用して、太陽エネルギーを用い有機物を作り炭水化物として貯えることである。 換言すれば、植物のもつ機能の人工的開發であり、石炭期の再現である
 これは科学文明の指導者として自然が貯蔵したエネルギーを消費、時には濫費した先進国の科学者の責任であるとともに先進国の義務でもあると思う。 また若い科学者の雄大な研究題目でないかと思う。
 私の経験では(私は現在九六歳)、非常に大切な研究テーマを思いついた時には、地球上に少なくとも数名の人が同じ考えをもって研究を進めておられるという事実がある。
 しかし上記の研究には多大の研究費と時間が必要ではないかと思う。 そして今心配しているのは、最近の研究においてその可非が経済的投資とそれによって得られる成果、経済的効果の比で決められる傾向である。 上記のような地球人類の運命に関する雄大な構想は、三年とか五年とかいう短時間のInput:Outputという投資経済の観念で評価するという考え方では行い得ないことであり、初志貫徹の精神こそが大切である。 文明国の国家事業として少なくとも三〇〜五〇年くらいの日時をかけた考え方でないと、芽生えがむずかしいのではないかと思う。 最近の研究はあまりにも経済効果重視のためにセッカチであるようである。
 元来、大学の道は諸学徳に入るの門から発想し、学の蘊奥をきわめるはずであることを思い起こしていただきたいと思う。                     (農化・昭4卒)

※ 本編は、本人および学士会の諒承を得て、『学士会会報』八四二号(二〇〇三年)に掲載された投稿文を転載するものである。 石塚喜明先生は、平成17年9月13日逝去されました。 ご冥福をお祈り致します。



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