○ 小林一茶と成田
( 出典 ; 成田山書道美術館 小倉 博 筆 「成田エリア新聞 平成17年8月7日発行 第650号」 )
俳人小林一茶は、宝暦13年(1763)に信濃国柏原の農家にうまれ、15歳のとき江戸に出て、二六庵竹阿に俳諧を学んでいる。 26歳ころより諸国を行脚しており、この間北総地方にもたびたび足を運んでいる。 一茶の残した紀行文により、成田周辺の足跡を追ってみよう。
一茶が成田市域に最初に足を踏み入れたのは、寛政3年(1791)4月である。 松戸から利根川を下り、新川(下総町)の枕流亭に泊まり、翌日田川(茨城県河内村)の曇柳斎一白の家に戻る途中、市域北端の竜台を訪れ、春日庵と号する俳人と会っている。
13年後の文化元年(1804)6月6日には田川の一白家から竜台・興津・竜角寺・大竹・松崎と現在の成田市と栄町の境界村々を南に進み、北須賀から印旛沼を舟で渡り、印旛村の山田を経て平賀に行っている。 平賀の俳友笠井重兵衛一楽を訪ねたものだが、その老妻が死去し葬儀をすませたあとの酒食の接待をしているところだったので、一茶もご相伴にあずかり、弔慰の句を献じている。
文化3年1月27日にまた平賀の一楽家を訪れ、翌日初めての成田山詣を行った。 一茶の『文化句帳』には「廿八日晴、成田参、滑川通、田川に入」と記されている。 成田山には一茶と親しい俳友素廸(中興第7世照誉上人)がいるが、成田山では3月に行われる江戸出開帳の準備に追われており、上人も公務に追われて一茶と会う時間をとれなかったようである。 2度目の成田山詣では文化12年12月13日で、田川の帰りに立ち寄り素廸と面談した。 この夜は成田に宿泊して、翌日木下に向かっているが、このとき郷部の神光寺(現廃寺)n住職である俳僧の至長が道案内をしているので、通り道になる神光寺にも立ち寄り、句作について語りあったことであろう。
3度目の成田詣でとなったのは文化14年3月29日で、やはり田川から成田へ来ており、翌日臼井へ向かっている。 成田に泊まっているので素廸や至長と進行を暖めたのであろう。
一茶の成田市域の訪問はこれが最後であり、ときに一茶は55歳であった。
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