○ 消えゆく暗黙の了解と連鎖の崩壊
  ( 出典 ; 大坪夕希栄(おおつぼ ゆきえ) 農村振興第707号 平成20年11月 全国農村振興技術連盟発行 )

一、はじめに
 斜面に張り付いたような小さな棚田で、今日も主人は朝から田んぼの耕地整理に余念がない。
 棚田の石垣はあちこちが張らんで崩れかけたりと補修が必要となってきている。 重機で田んぼの耕土を掘り下げた時のことだった。 姿を表した根石を見て主人は「父ちゃんは道具も無い時代に、ようこんな大きい石を動かしたものやなー。」と感嘆の声を上げた。 父親が築いたその石垣を息子である主人が躊躇しながら少しづづ外していく。 その姿に田んぼに執着した舅の姿が重なって見える。 かっては炭焼きを生業にしていた舅夫婦だったが「チョコッとでいいからワシも田んぼがほしかったなー。 ハサに架かった他所の稲を横目に見ながら、山から炭を背負い歩いたもんや。」と懐かしそうに話していた。

二、石垣から見える田んぼへの思い
 今では少しづつ手に入れた小さな田んぼがあちこちに点在している。 もとは畑や原野だった所を家族総出で田んぼにしたのだという。 小学生だった主人もツルハシやジョレンを持ち一人前に手伝ったそうだ。 そんな主人も完成する頃にはすでに成人となっていた。 今のように重機など無く、一輪車を持つのが精一杯の時代だったのである。 舅に限らず多くの先人たちは執念ともいえる石垣を築く為に農道もなく急な山道をすべて担いで登らなければならなかった。 食う為、生きる為の米への思いで棚田を形成していったのだろう。 荒れた地を開墾し頭の下がるような労力をつぎ込んで田畑を広げていったのだ。
 うっそうとした杉やヒノキの林の中に先人達の証とも言うべき石垣が苔生している。
 「先祖が残してくれた財産だから何も作らんのはもったいない」と車や機械の入らぬ田んぼのほとんどに杉やヒノキを植えていった。 苦労をして開墾した田畑が山へと変わっていった。 かって里山は草刈場や春木山として管理され、春にはワラビやゼンマイなどの山菜も収入源として一役買っていたものだ。
 最近はよく循環型農業という言葉を耳にするが、家畜の糞を畑や田んぼにくそ捨て場のようにドッと搬入し、ことさらのように有機を強調する人もいる。 干し草や稲わらは家畜の飼料であり、家畜の糞を踏ませた堆肥は温床となり良質の肥料となった。 百姓達はこぞって草刈に励んだ。 今のように全量切りワラとして田んぼにもどす事など考えられなっかたのである。 化学肥料の普及でその様な仕事もする必要がなくなった。 現在、コナギやホタルイなどの有害な雑草に悩まされている田んぼも多くある。
 我が家でも例外ではない。 田んぼへのワラの還元が優先化する雑草を増やしてという説もあるらしい。 化石燃料の時代となり国は植林を推進し、かなぎ山は杉やヒノキに変貌していった。 嫁いで間もない頃、「こんな所に木を植えてしまうと俺の所はなーんにも作れんようになるなー」と畑の隅に目をやり舅はつぶやいた。 大根畑のすぐ下に植えられた杉の木はすでに大人の腕くらいの太さになっていた。 昔は草1本見つけることも出来ないくらいに手入れされた畑だったという。 線下保証のために植えられた苗木は、贅沢に振られた肥料の為に短期間で大きくなってしまう。 杉やヒノキは成長を止めることはない。 手で釘が刺さるほど軟弱に育った杉やヒノキは搬出はおろか伐採する事すら困難な場所にある。 ギフチョウの保護のために友人からカンアオイを預かり半日陰に植えたが、4月になっても凍りついたままの土では増えることもできず、結局別の場所に移植することとなった。 畑の間際まで植えられた杉は落ち葉も相当なものだ。 サル用のネットにこれでもかと絡まり外すのに四苦八苦する。 猿に泣き杉に泣く。 自然環境も食物連鎖と同じである。 かなぎ山が無くなり里山も杉やヒノキに覆われ、刈場もなくなってしまった。 その事が渇水や獣害などの問題を引き起こし環境の連鎖を断ち切っているといっても過言ではない。 我が家でもご多分に漏れずイノシシ・猿・鹿に泣かされている。 鹿にとっては2m位の石垣を超えることなど苦でもないらしい。 ゆえに主人はすべての田んぼや畑の防除策にかなりの労力を費やした。 石垣にハンマードリルで穴を開けアンカーにボルトをはめ込み更に支柱を溶接した。 畑はネットを張り、田んぼはロープを幾重にも張ったのだ。 更にイノシシ用にビニールシートで覆うという念の入れようである。 しかしながらサル用のネットなどは数年で痛んでくる。 猿はもろくなった所を破くという技術を身に付け学習する。 畑の草取りをしている家人の後ろを野菜などを抱えて走り去るなどという笑い話のような現実がある。

三、小さな農家だからこそ
 舅がなくなりわずかな田畑をまかされて17年になる。 畑での除草剤や化学肥料もやめた。 耕地整理の際に貼り付けたカヤも狭い畑には充分すぎるほどの量になった。 畑の土羽が我が家の刈場となった。 少しでも安心して食べる事の出来るものを作りたいと私なりに勤めて来たが、周りには有機に詳しい人も見当たらず、農業書は本棚に納まりきれなくなった。 慣行農法に比べればお金もいるし手間もいる。 露地栽培や小さな雨よけハウス程度では補助の対象にもならず資材なども高額になる。 かといって無農薬を理由に虫食いだらけの野菜をお店に出す甘えなどしたくない。 慣行農法と比べても見劣りすることの無い物をと心がけてきた。 野菜作りは勿論のことだが田んぼの除草など未だに試行錯誤の連続である。 某農業月刊誌の縁で知り得た『除草剤を使わないイネつくり』のメール仲間の言葉に「あなたの失敗は私の肥やしである」とある。 まさにその通りだと思う。 失敗の連続でもそこから得たものは大きい。 私の農作業は趣味の域を超えるほどでもなく、むしろ家計を圧迫しているようなものだが「安心で美味しい」と言って買って下さるお客様の声が私のやる気を奮い立たせてくれる。 主人の理解と協力があればこそである。
 自給率の低い日本が中国の餃子事件を始めとする食の問題に敏感に反応する昨今であるが、大規模の専業農家の担い手ばかりが日本の食生活を支えているわけではない。
 行政から農業者として認めてもらえぬ様な私達こそが、いざという時の底力となりうると思う。 耕作者のやる気を砕くような事が平然と行われては自給率の低下に追い討ちをかけてしまう事になるだろう。 アメリカが食生活がもっとも豊かだったのは戦時中だったと何かの本で読んだことがある。 庭の花や芝生を野菜に変えた家庭菜園が庶民の生活を支えていたのだという。 今のようなファーストフードに頼る食生活よりは、はるかに手をかけた豊かな食卓が想像できる。 専業農家の大規模な設備には太刀打ちできないが、それとは違う技術や管理も必要となる。 私を始めとする家庭菜園程度の小さな農家の丁寧で細かな配慮や知恵は大規模な農家には負けないこだわりをもっている。 生活様式も変わり田んぼの水の見回りも車で行くご時世である。 田舎も町も暮らしぶりに大した違いは無い。 若い者は当然の事ながら勤めに出る。 農作業は土日に集中し本来は田畑や天候で決めることが、今や勤務表との相談事となった。 勤めから帰ると田んぼが待っている。 朝から晩まで兼業農家は忙しい。

四、おわりに
 中山間地制度などの行政の支援も必要なことではあるが肝心の所までは踏み込めないようだ。 農業委員会が単に農地の転用書類申請だけであっては何の解決にもならない。 テレビなどでは盛んに田舎暮らしがもてはやされる時代である。 老後は自給自足のゆったりとした生活を楽しもうと期待に胸を膨らませ都会から移り住んでも、果たしてそこに自分の理想とする明るい農村があるという保証はない。 文字通りの明るい農村にする為には里山に脈々と続いてきた暗黙の了解をいかに維持するかが鍵となる。 農地を守るという原点は里山のモラルがあってこそ成り立つのだ。


―筆者の大坪夕希栄氏について―  筆者は、消防署を退職されたご主人と二人で農業を営む農家の主婦の方です。 実際の農業には極力化学肥料や農薬を使わない農法を目指しておられ、自らの体験から家庭菜園について月刊誌「現代農業」に1年間にわたり連載された経験があります。



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