○ 水の安全保障検討を ― 国際貢献の前提に / 日本、食糧の形で「大量輸入」 ―
( 出典 : 東大教授 月尾嘉男 2002年8月23日 日本経済新聞 「経済教室」欄 )
「水球」といわれる地球も、人間が利用できるという点では水は豊富ではない。 世界各地で水の異変が発生しているし、水と安全はタダといわれた日本でも水の確保は安閑とした状態ではない。 世界に貢献すると同時に安全保障の観点からも水政策を検討することが重要課題である。
世界各地で異変相次ぐ
26日から南アフリカのヨハネスブルクで開幕する持続可能な開発に関する世界首脳会議(環境開発サミット)では「水」も重要なテーマの一つとなる。 その水資源の確保について論じたい。
宇宙から撮影した写真が示すように、地球は青色の水球であり、表面の約60%が水面である。 そういう意味では水の豊富な惑星であるが、人間の観点からすると水は豊富ではない。 地球に存在する水の97.5%は海水であり、人間が利用しやすい淡水は2.5%にすぎない。 しかも、そのわずかな淡水の70%は南極などの棚氷、30%は地下水であり、地表を循環している淡水はきわめて少量である。
このわずかな循環している淡水と、地下水を利用して人類は発展してきたが、そろそろ限界が見えてきた。 その数字を説明する前に、実際に世界各地で発生している水問題を紹介したい。 理科年表などでは世界第4位の面積となっているアラル海という湖が中央アジアにある。 琵琶湖の100倍近い面積であるが、観測衛星が撮影した最新の写真では、面積は半分以下になり、水位は15メートルも低下し、やがて消滅すると予測されている。
世界第4位の大河で、流域面積が日本の国土の2倍もある黄河でも、川の水が海まで到達しない断流という異変が頻繁に起きている。 過去25年間で70回も発生し、断流の合計日数は900日以上になっている。 小川の水が枯れたというのではなく、延長5千キロメートル以上、河口付近では川幅が20キロメートルもある大河に水が流れなくなっていまったのである。 似た現象はコロラド川、ガンジス川などでも発生している。
地下水位の低下も各地で問題になっている。 中国の穀倉地帯の北部平原では地下からの揚水の増加により、地下水位は毎年1.5メートルも低下している。 インド全域でも毎年1〜3メートルの低下が報告されている。 米国の穀倉地帯は中西部大平原で、この乾燥地帯の農業は地下にあるオガララ帯水層からの揚水による灌漑(かんがい)に依存にているが、その水位は当初より12メートルも低下している。
このような問題の原因は明確である。 人口が異常に増大したことである。 1万年前に世界の人口は5百万人程度であったと推定されている。 現在、60億人であるから、1万年間で1200倍に増加したことになる。 その異常な増加に貢献したのは農業である。 1万年前に人類は農業を手中にし、それまでの狩猟採集生活と比較すれば、はるかに大量の食糧を安定して入手できるようになり、人口が爆発した。
狩猟採集時代の人口の平均増加率は毎年0.005%程度であったが、農耕牧畜時代になると、0.05%に増大している。 これは人口が2倍になるのに、前者が1万4千年必要であるのに、後者は1千4百年ということであり、いかに農業というものが人口増大に影響したかが理解できる。 そして水の視点からの問題は、農業が大量の水を必要とすることであり、前述の各地の水問題も原因がすべて農業にある。
国際紛争の火ダネにも
世界の農地面積は現在15億メクタールあり、日本の国土面積の40倍になる。 このうち灌漑により生産している農地は17%の2億6千万ヘクタールであるが、その灌漑農業が世界の貴重な水の70%を消費している。 ちなみに残りは20%が工業に、10%が日常生活に利用されている。 つまり、1万年前に農業を手中にしたことが人類の発展の最大の要因であったが、それが現在の水危機の原因でもあるということになる。
さらに問題はわれわれが日常生活で使用している水さえ危機に直面していることである。 世界の60億人の人口のうち、20%の12億人は安全な飲料水を確保できていないのが現状であるし、その結果、毎年5百万人から1千万人は水が原因で死亡している。 さらに発展途上国の病気の原因の80%は不衛生な水という統計もある。 農業どころか日常生活さえ水は危機的状態にある。
ハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授は著書「文明の衝突」によって、21世紀の紛争の主要な原因は文明の相違であると予言した。 昨年9月11日のニューヨークでの事件は、それを裏付けるかのようであるが、それ以上に各地で紛争の火種となっているのは水の争奪である。 かつてエジプトのサダド大統領は「エジプトを再び戦争に駆り立てる唯一の問題は水である」と言明している。
実際、水の争奪を原因とする紛争は歴史上数多く発生している。 エチオピア、エリトリア、スーダン、エジプトはナイル川の水利用を巡って一触即発の関係にあり、1998年から2000年にはエチオピアとエリトリアで戦争がぼっ発している。 チグリス川とユーフラテス川も何千年間に及んで地域紛争の原因であり、現在もトルコ、シリア、イラン、イラクを緊張した関係にしている。
こうした状況を反映して96年に創設された世界水会議は3年に1回、世界水フォーラムを開催しており、来年3月には3回目が関西で開催される。 21世紀には大規模な水戦争がぼっ発するといわれる。 国際紛争の解決手段としての武力行使を放棄している日本が一般の紛争に関与することは困難であるが、海水淡水化技術や砂漠緑地化技術などを駆使して水資源の紛争解決に国際貢献することは日本に期待されることである。
そのためには自国の水問題に憂いのない状態でなければならない。 国際河川が存在しない島国日本は水が原因の国際紛争には巻き込まれていないが、水問題は存在している。 この10年で国内のミネラルウォーター消費は4倍に増加し、2001年には120万キロリットルが消費され、うち20万キロリットルは輸入である。 年間1人当たりの消費量はフランスやイタリアの15分の1であるが、水の安全はタダといわれた日本の面影はない。
豊富ではない日本の貯水量
また日本は、年間降水量は平均1750ミリメートルで世界平均の2倍であり、世界有数の多雨地帯である。 しかし、人口が稠密(ちゅうみつ)なため、1人当たりの降水量は世界平均の4分の1でしかなく、オ−ストラリアの37分の1、アメリカの5分の1、サウジアラビアの2分の1であり、水の豊かな国とはいえないのが実情である。
そこで貯水が必要になり、全国各地で話題となっているダムの問題になる。 かつてのように「黒四ダム」の建設を土木工事の偉業として単純に称賛する時代ではなくなったことは確かであるし、水需要の推計が正確ではなく、計画はされたものの不要ということで建設中止が決定さらたダムも90以上ある。 それでもダムのすべてがムダではないし不要でもない。 日本の貯水量は十分とはいえないからである。
ダムの貯水量を1人当たりに換算してみると、日本は32立方メートルで、カナダの20分の1、米国の17分の1、韓国の16分の1という程度である。 また国土規模の相違といえばそれまでであるが、日本に2千以上あるダムの貯水量の合計は2百億立方メートルであるが、ザンビアとジンバブエの国境にあるカリバダムの貯水量1千8百億立方メートルの9分の1、中国の三峡ダムの3百93億立方メートルの2分の1でしかない。
この状況を放置できない問題がある。 日本の食糧自給率は40%以下で、先進諸国では異常な低率であるが、この60%以上の食料輸入が水の輸入になるという批判が出始めている。 灌漑農業で穀物1トンを生産するためには1千トンの水が必要といわれ、日本は食糧という形で大量の水を輸入している国家なのである。
日本国内の農地は5百万ヘクタールであるが、日本へ輸出する食糧を生産している農地は2.4倍の1千2百万ヘクタールである。
様々な地球規模の環境問題が顕著になり、それらが人類の将来を左右する時代になったが、もっとも切実な制約条件になるのは水である。 人体は70%が水で構成されているということでも、また肉体を維持する食料の生産にとっても、水は人類に不可欠な資源である。 この水について、国内的にも日本の長期政策を真剣に検討することが必要である。
<トップページに戻る> <資料のインデックスに戻る>