○ 鷹洲先生  寿 碑

   鷹 洲 先 生 寿 碑                  渋 澤 栄 一  篆 額

 三河国額田郡福岡町南高須、是れ鷹洲織田先生の旧里と為す。 先生、名は完之。 字は士全。 幼名は策馬。 天保一三年(一八四三)壬寅九月十八日を以て、此に生まる。 寿は七旬を踰え、足迹は諸国に遍ねく、到る処に厚生利用の道を説き、兼ねて史蹟逸事を啓導す。 大正三年,朝鮮より大連に渡り、旅順を視、遼陽、奉天,長春を経て哈爾賓[ハルピン]に至り、松花江を臨みて還る。 元気益旺盛、まさに上寿に躋(のぼ)らんとするの勢あり。 夙に佐藤信淵翁五代の農政学を講じ、その遺書を刊す。 世人、始めてその大経綸を知る。 或は 印旛沼の内洋を経緯し、行わばすなわち成るべくして、時未だ至らざりしなり。 著書数十部、皆、世道人心に益す。 曽て平将門の寃を解き、明廷に達し、或は楠の後室の事蹟を顕はし、或は富士の名判官の遺迹を闡く。 その他尚多し。 日々善を行いて倦まず、名利の外に超然たり。
 考は良右衛門と曰い、妣は岩瀬氏字は隆、先生二歳にして怙恃(父母)を喪なう。 長男薫作、岩瀬氏を襲ぐ。先生は幼より多病にして外戚の家に育つ。 歳十四五、医を学び、素読を早川文啓に受け、講義を曽我耐軒に聴く。 十八、松本奎堂に名古屋に従いて国事に奔走す。 廿一、医業を中郷に開く。元治元年(一八六四)、廿三、江戸に出でて常陸に赴き戦争を視、常野兵談を著す。 翌年[慶応元年]西遊して厄[ヤク]に遭い、岩国に拘[とら]わること三年、明治二年、解かれて還り、弾正少巡察となり、若松県官たり。 後大蔵省記録寮に入る。 内務省の創立に及び勧業寮員と為り、専ら農書を集め、農功伝大日本農史農政類編等を編輯す。 陰に人の美を済ますこと尠なからず。 居ること多年。 碑文協会に退隠し、筆硯に親しみ、述作に事とす。 長女古志児、予に嫁ぎて七子を揚げ、次女種子は婿雄次を迎えて五子を挙ぐ。 家庭円満、洋々として春の如く、安心立命、以て時代を楽しむと云う。 嚮に考妣の遺骨を東京谷中に移す。 今茲に志士相議りて寿碑を建て、銘を予[佐藤啓行]に請う。 即ち銘を作りて曰く。 ( 以下 略 )

( 出典 : 「 織田完之伝 」 著者   栗原東洋 ; 昭和48年2月1日 印旛沼開発史刊行会発行 )

( 杉浦補註 )
1, 織田完之(かんし)は、大正12年(1923)1月18日、東京牛込払方の自邸に死亡している。 享年82歳。 墓は、谷中墓地( 東京都台東区 [天王寺] )にある。 諡號 義諦院全壽鷹洲居士  ( 嗣子 織田雄次 建石 )
2, 寿碑は、大正5(1916)年3月( 織田完之75歳の時 )に建立され、その後、昭和46年11月に愛知県岡崎市福岡町 高須神明宮( 通称「高須神社」 )の境内に移設された( 写真 参照 )。


            

  写真左 : 高須神社  写真右 : 鷹洲先生寿碑   (平成16年1月16日 : 杉浦啓一氏 撮影)





(参 考) 鷹洲先生寿碑の説明書き (補註1:参照)


          織 田 完 之 出 生 の 地

   織田完之(かんし)は、天保十三年(一八四二)この地に生まれた。 一歳で父を二歳で母を亡くして、親類の岩瀬家で育てられた。 幼少のころは病気がちの弱い子であった。
   医学に続いて、十三歳ごろから漢学を、上地の早川文啓(ぶんけい)、岡崎の曽我耐軒(そがたいけん)から学んだ。
   十八歳で名古屋の松本奎堂(けいどう)の弟子になり、各地を回って国のために尽くした。 その後、高須の近くの中之郷(なかのごう)で医者を始めた。 この頃澁澤榮一(しぶさわえいいち)と知り合った。(補註2:参照)
   慶應二年二十五歳、岩国(山口県)で幕府のスパイと間違えられ、三年間獄中生活をした。

   明治二年、二十八歳の時、明治新政府の弾正小巡察(だんじょうしょうじゅんさつ)として活躍し、つづいて澁澤榮一などの援助により、大蔵省の記録寮や、内務省の勧業寮で活躍した。 三十三歳の時、幕末の農政学者佐藤信淵(のぶひろ)の学説を学び、千葉県の印旛沼(いんばぬま)の開削(かいさく)の必要を強く感じ、その仕事に努力を重ねた。 また、多くの農政学の本を書いた。 世のため人のために尽くして大正十二年一月、八十二歳で東京で死亡した。

      平成十三年(二〇〇一)

福岡学区文化財保存委員会
高       須       町


(杉浦補註) 1 完之翁の経歴の詳細については、織田完之 経歴を参照下さい。
         2 この記述を裏付ける根拠(書簡、記録等の史料)について、現在「福岡学区文化財保存委員会」
         に問合せ中(平成19年8月現在)です。
           なお、河岡武春は「武甲相州回歴日誌(織田完之著)」の解題で、「織田完之と渋沢栄一との
        関係は、大蔵省から始まっている。」
と明確に述べています。






 

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