國寶將門記傳 ( 千葉県立関宿城博物館藏 )

    [ 表  紙 ]
枢密顧問官正三位男爵 細川潤次郎君 題字
正五位 中田憲信君 序
文学博士 小杉榲邨君 跋
鷹 洲 織田完之君 著述

  本書は  尾張國名古屋大須寶生院珍蔵にて三十八年四月國宝となれり    將門公は國家に功あり  固より朝敵にあらず  全く無実の讒言により征伐を受けて薨する次第を註譯せる古今無二の珍籍なり

 発行所 東京市本郷区本郷五丁目 會 通 社

    [ 説明書き ]
 織田完之は、出身地に近い尾張の真福寺で『 將門記 』を目にしていた。 この体験から明治三十七年に真福寺本『 將門記 』が国宝に指定されたのを受けて將門研究に着手し、三十八年、この書を明治天皇に上奏した。

( 杉浦補註 )
1、 上記「 説明書き 」は、平成15年度千葉県立大利根博物館・同関宿城博物館共同企画展図録 ( 平成十五年五月三十一日 (財)千葉県社会教育施設管理財団発行 )から引用した。
2、 本寺の寺号は、「 北野山真福寺寶生院 」 ( 通称 「 大須観音 」 : 名古屋市中区大須 ) である。



○ 國定教科書一部改訂案 ( 流通経済大学図書館祭魚洞文庫藏 )

         [ 原 文 ]
 尋常日本歴史巻一児童用第十四齣「 朝臣の榮華と武士の起 」 四十頁第五行 「 かくて 」 以下第十行 「 此の項 」 迄を削り  左の文を挿入する

      此の頃東國に平將門といへる者あり  鎮守府將軍良將が子にして攝政忠平に仕えしが  父の遺領を一門の人々に奪われしを恨みて屡々戰いけるうち  源經基の讒言によりて謀叛のそしりを受けしかば  朝臣の無法を憤りて亂を起せり    また西國には藤原純友の亂ありしも

    [ 説明書き ]
 織田完之は、全国各地の將門史跡関係者や郷土史家などと頻繁に手紙のやりとりを行い、各地の伝説について詳細な情報を入手していた。 更にこれらを元に独自の意見をまとめて明治天皇に上奏したりしている。 こうした「 平將門関係資料 」は、現在、故渋沢敬三の藏書を集めた祭魚洞文庫に納められている。 織田は敬三の祖父で明治期の財界を支えた渋沢栄一とも親交が深く、その関係で預けられたものか、この中に、国定教科書の改訂案やその理由書などもあり、彼が「 反逆者將門 」の汚名を雪ぐべく奔走していたことが分かる。

( 杉浦補註 )
 上記「 説明書き 」は、平成十五年度千葉県立大利根博物館・同関宿城博物館共同企画展図録 ( 平成十五年五月三十一日 (財)千葉県社会教育施設管理財団発行 )から引用した。



○ 大蔵省構内將門碑建立許可書写 ( 流通経済大学図書館祭魚洞文庫藏 )

    [ 原  文 ]
           願   書
 本會に於て  曩に明治財政史編纂の序次を以て大藏省邸地の歴史取調候處  偶然にも邸内に於て平將門に関する意外の古跡あることを發見致候に付  古跡保存の為め本會に於て石碑を建設して大藏省へ寄附致度候間  右御許可被成下度  別紙大藏省への寄附願及東京府廰への建碑願並に其指令寫其他関係の書類圖面相添  此段御願申上候也
  明治三十九年六月十六日
                          大藏省内明治財政史編纂會
                           委員長 阪 谷 芳 郎


麹町警察署長宛

 麹町警察署へ出したる願書には 一,大藏省への寄附願 二,其指令 三,東京府への建碑願  四,其指令の各謄本並に碑石及碑文の寫、建設位置を示したる圖面とす


    大藏省内
     明治財政史編纂會
      委員長 阪 谷 芳 郎

 明治三十九年五月三十日付願東京市麹町區大手町一丁目皇宮附属地に古跡保存碑建設之件聞届く
  明治三十九年六月十四日
                           東京府知事 男爵 千家尊福

     [ 説明書き ]
 織田完之は『 平將門故蹟考 』の編纂事業と共に、明治三十九年、大蔵省構内にあった将門の首塚に「 古跡保存碑 」を建設した。 撰文は時の大蔵大臣阪谷芳郎、書は元老松方正義、織田は「 明治財政史編纂会 」などを動かし石碑建立を実現させた。 写真( 杉浦 略 )は織田の資料中にあった写しで、警察への届け出など事務処理も織田が行ったようである。

( 杉浦補註 )
 上記「 説明書き 」は、平成十五年度千葉県立大利根博物館・同関宿城博物館共同企画展図録 ( 平成十五年五月三十一日 (財)千葉県社会教育施設管理財団発行 )から引用した。





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