○ 真の農村振興を願って 〜新たなものさしづくりにより、新たな一歩を踏み出せ〜
 ( 出典 : 「 農村振興 60周年記念特集号 」 平成19年10月 全国農村振興技術連盟発行 農林漁業金融公庫
  総裁 高木勇樹 )

一、 はじめに
 全国農村振興技術連盟(JRE)が60周年を迎えるに当たり、投稿する機会を与えて頂いたことは、私の最も名誉とするところであります。
 平成11年7月に制定された食料・農業・農村基本法(新基本法)の基本理念のひとつである農村の振興に寄与することを目標として活発な展開をしておられることに敬意を表するものであります。
 以下、多少なりとも皆さんの、今後を考えるよすがになることを願い、私の咋今の農政に対する思いを申し述べさせていただきます。
二、 農村振興の原点
 お盆休みを利用してふるさと群馬の榛名神社を訪ねてみた。 だいぶ以前に仲間連れで来たことがあり、そのときのうっそうとした森林と息切れがする急な階段、澄んだ空気の爽やかだったことなどの強い印象がいつかゆっくり訪ねてみたいという気持ちにさせていた。 それをやっと実行したということである。
 期待違わずというか、印象通りというか、加齢のせいでこのようなことに感性が反応する度合いが強くなったためか、みるものすべてに感動を覚えた。 まず、この神社の由緒である。 この神社は『延喜式』(927年、延長5年)神名帳に登場するほどに古来から人々に信仰されているということである。
 当然農業の神様でもある。 ひでりのときは榛名湖で雨乞祈願が行われたという。 また境内に万年泉があり、ここから水を汲んで雨の少ないときを凌いだと伝えられている。
 水は生命の源であり、人類発祥以来文化・文明は大河の流域に発達した。 わが国は古来豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)、大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)と称されるほど生命感あふれる島々である。 世界レベルの大河はないが、水に恵まれたくにであった。 しかし、ひでりのときもあり、洪水のときもあり、水を治めるものは天下を治めるなどと、治世の多くは治水に割かれたといってよい。 日本人は古来「水」から多くのことを学んできた民族なのである(水五訓)。 水は天からのもらいものではあるが、それの管理、利用には人知の限りを尽してきたのである。
 これを近代的な仕組みとし、現近代(明治以降)、特に戦後においては、土地改良区、土地改良制度という組織的対応を編み出し、水の管理・利用を世界に冠たる方法で行い、農村(集落)、農業の近代化、農業生産力の増大に大きな足跡をのこしてきたのである。
 しかし、どのようなすぐれた仕組みも当然それがうまく機能する現実・実態を踏まえたものでなければならない当然である。 まず、当時の「与件」としては、国内での農業生産力を強化する、食料の量的確保が「至上命題」であり、農地解放も行われ、農村に意欲に満ちた若い労働力が存在していたのである。 そのようなことから、土地改良事業は正に国是として、国民の全面的支援を受けて行われ、土地改良区が農業が行われている町という町、村という村にどんどん設立されていったのである。
三、 農業・農村を巡る情勢変化
 では、最近を含め現在はどうか。 数字でみるとまず農業を経営としてとらえたとき、「一番の経営資源は農地と人である」。 農地は戦後一時期から一貫して減少しており、現在の農地面積は470万ヘクタール弱、しかも耕地利用率は0・93であるから、延作付け面積はピーク時の5割少しの水準である。 人の面でみると農業就業者が減少しているだけでなく、高齢化がどんどん進み今やその6割が65歳以上の高齢者である。 つまり、若手の新規参入がほとんどないということである。
 また、耕作する意思のない農地、換言すれば耕作放棄地が増え続け、今や385千ヘクタール(東京都の面積の1.7倍、琵琶湖を含む滋賀県一県に相当する面積)となっている。 わが国の農業集落(平均農地面積30ヘクタール程度)1万数千に匹敵するもので、集落からその基幹産業たる農業が消滅し、人も住まなくなれば農村の活力低下もむべなるかなである。
 このような状況下では、農地を整備しようとする意欲も失われるのは当然で、国レベルでも、地方公共団体レベルでもでもそうである。 折角整備した農地の機能維持にも影響を及ぼしかねない状況になっているところも少なくない。 このことは、農業の衰退を招き、農村の活力を更に低下させかねない。 わが国農業の総合力の指標の一つは「農業総生産額」で表されると思うが、これも右肩下がりである。
 どうしたらこの状況―私は負のスパイラルに陥っていると警鐘を鳴らしたいるが―から脱し得るのか? いろいろな考えかあるのは当然であるが、私は何事においても、「誰のため、何のために」を原点に「与件」を十分検証、分析したうえで策を練ることが、実態を踏まえた効果的で、国民の支持を受け得る現実的な策になると思っている。
 誰のため―農業で所得の太宗を得ようとする農業経営体の創意・工夫、努力が実り農業経営を持続できるようにする。
 何のため―このような農業経営体が日本の農業生産の太宗を占めることにより、農村に雇用の場が生まれ、国民のニーズにあった品質(安全、安心)、価格の農産物の供給がなされ(輸出もできる農業経営力を有し)、わが国農業・農村の活力回復につなげる。
 与件としては、国際的な枠組み(WTO体制―例外なき関税化原則のもとで、各国の農業の生産性の格差を関税に置き換える。 近年、FTA,EPAなど二国間での動きも急激に進んでいる)のもとで、前述した実態のうち最も喫緊の突破口は何か。 私はどう考えても、「耕作されない農地」が発生しないようにすること以外ないと思っている。
四、 最近の農政論議
 最近の農政論議には、この本質部分に触れずに専ら、うわすべりの俗耳に入り易い論議が横行しているような気がしてならない。 もう一つ気になるのが、自給率が40%を割り込んだことから盛んになった自給率より自給力という議論である。
 この自給力議論は相当多くの識者が支持しているようである。 その論理は私の理解するところによれば、自給率は国民の食料需要トータルを日本国内での農業生産(供給)でどれだけ賄っているかの結果の数字であり、意味がない。 いざという時国民に食料を供給しうる力(自給力)を普段から維持しておく方が大事だというものである。 大変わかり易い。
 しかし、ちょっと待って欲しい。 農業を構成するのは農地、人、技術を含め農業で所得の太宗を得る経営の構造である。 自給率目標ではこれを達成するために必要な指標を示している。 具体的には農地面積470万ヘクタール、人的資源の確保(基幹的農業従事者210.5万人、新規就農者7.9万人)、部門別に経営所得・経営規模など経営構造の展望を示しているのである。 おそらく自給力を目標とすべしとの論者もこれらを自給力維持のための目標とせざるを得ないと思う。 自給率目標達成のためのものと同じようなものになるはずである。 私は、自給率目標を掲げるべしと判断にた時の事務方のトップであった。 判断の根拠としては、わが国の自給率が低過ぎること、政策目標として分かり易いことが必要とのことから数値目標を掲げたのであり、今でもこの判断は正しいと考えている。 しかし、一方結果の数値がひとり歩きし、守るこのとみが正しいこととなることを避けるため、毎年度自給率レポートを出し、何故そのような自給率(数値)になっているのか、分析検証を行い、徹底して情報を開示し国民に理解をして頂き、国民とともに考え、必要な施策を講ずるという仕組みも併せ用意したのである。 是非原点に立ち戻って欲しいと願うこと切である。
五、 再び農村振興の原点は何か見つめ直そう
 このようなことは一例であり、政策目的を正確に国民に理解してもらうのは至難ではあるが、私は愚直に徹底した情報開示による実態認識の共有をベースとしたプロセスを実行する以外ないと確信している。 このようなときの愚作は情報操作により、自分達に都合のよい状況をつくり出そうとすることである。 このような策は必ず、馬脚をあらわし結果的に大混乱を招き、不信を生みその回復に大きなエネルギーを使わざるを得なくなるのである。
 土地改良にいろいろな立場で係わりをもってこられた皆さんは、これまで果してきた役割そして発揮されている機能に大きな自信をもっておられると思うし、当然であると考える。 ただ、現実の農業・農村、食料問題はどういう状況になっているか。 このことをどうとらえ、突破口をどこに求めるか。 これが、今後の皆さんのありようを決定づけると考えている。 この突破口を見出すには、これまでのものさしを実態の分析・検証をふまえ徹底的に見直し、新たなものさしづくりができるかが鍵となろう。
 私はもう取組んでおられることと確信しているが、是非、わが国農業・農村が再び活力を取り戻し、食糧問題にも展望が開け、何よりも国民の支援が得られる新たなるものさしづくりを成功させ、貴連盟の次なる新たな一歩を踏み出していただきたい。 


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