○ 倒木更新
 ( 出典 ; 平成20年6月10日 朝日新聞(夕刊)  論説委員室から )

 幸田文(こうだあや)の随筆集(ずいひつしゅう) 「 木 」 の冒頭(ぼうとう)に、えぞ松の倒木更新(とうぼくこうしん)のことが書かれている。
 「 北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ。 むろん林のなかのえぞ松が年々地上におくりつける種の数は、かず知れぬ沢山(たくさん)なものである。 が、北海道の自然はきびしい。 発芽はしても育たない。 しかし、倒木のうえに着床(ちゃくしょう)発芽したものは、しあわせなのだ。 生育にらくな条件がかなえられているからだ。 」
 次の世代を生かし残すために、親や祖父母の世代が犠牲(ぎせい)になる。 そうでなくては、自然の猛威(もうい)の前に、一個の生命など芥子粒(けしつぶ)に等しい。 そうした宿命に負けまいと必死に立ち向かう姿を、作者はえぞ松のありように見たのだろう。 無論、人間界も同じはずである。
 しかし、企業や政界、あるいは学界などでは、長老や大先生が君臨し、子や孫の世代を長らく引き従えているようなケースも少なくない。
 本人は、まだまだやり残したことがあるから、というのだろうが、そういう組織に限って左前になったり、無理がたたって立ち往生したり、という話もよくあることだ。
 こういう長老たちは、えぞ松に学ばねばなるまい。 先人の最大の役目は後継者(こうけいしゃ)を残すことにあるのだ。 そのことを忘れて、いつまでも自分が組織に必要だと信じ込んでいるとしたら、すでに毒気に侵されていると思って間違(まちが)いない。
 だれのことかって? それは、各人が胸に手を当てて判断を。            <駒野剛>



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