○ TPPと農業 −内需拡大こそ競争力強める−
( 平成22年11月24日 朝日新聞 ザ・コラム 小野善康<大阪大フェロー> )
世界規模で行われる貿易の自由化は、すべての国の人々を豊にする。 そのため、150以上もの国々が参加する世界貿易機関( WTO )の枠組みで、自由化が進められてきた。 その結果、農業など政治的に自由化の難しい分野が残り、特定地域内の少数の国々だけで貿易や資本の自由化を目指す経済協定が取りざたされている。
そこでは、域外諸国との貿易障壁を高めたり、ブロック化したりすることのないようにすれば、世界規模の自由化進展につながると期待されている。 管直人首相が参加検討を表明した環太平洋パートナーシップ協定( TPP )は、その一例だ。
しかし貿易理論では、貿易とともに資本移動も自由化すると、少しでも生産性の低い産業が壊滅的な打撃を受ける。 つまり、貿易自由化が大きな政治的摩擦を生む。 このことは農業問題に典型的に表れている。
これに対し、日本農業を再生し、競争力をつければよいという主張がある。 しかし、農業を効率化すれば農業も工業も国際競争力を持つ、ということは、実はあり得ない。 両方が世界に勝てば、経常収支の黒字がたまって円高が進行し、相対的に弱い分野が必ず衰退するからだ。 政治問題化は避けられない。
そもそも国が競うべき経済力とは国民の生活水準であり、各企業の競争力は手段に過ぎない。 生活を豊にするには、自国が得意な分野に集中し、余剰分を輸出して海外で安く作られる製品と交換すればよい。 これが貿易の意義である。
このとき、何を輸出し何を輸入するかは、各産業の外国に比べた生産性の優位さ(絶対優位)ではなく、国内の他産業と比べて外国に対しより優位か(比較優位)によって決まる。
たとえば、タオル産業の生産性が中国のライバル企業より優れていても、自動車の中国企業に対する優位さの程度がそれ以上であれば、タオル産業は衰退する。 なぜかと言うと、もし自動車でもタオルでも勝てば、日本の経常収支は大幅黒字になって、対外資産が積み上がる。 これが円高を呼び、相対的に弱いタオル産業が打撃を受ける。 その結果、経常収支の過剰黒字が調整される。 つまりタオル産業のライバルは、同じ国内の自動車産業だとも言えるのである。
このとき国内の需要が旺盛で、輸出増加に応じて輸入も増えるならば、経常収支黒字は広がらず円高も進まない。 そのため、比較優位の程度が異なる多くの産業がある場合、国民の輸入意欲が高ければ、生き残る産業が増える。 つまり、企業の競争力は為替レート調整を通じて内需にも依存しているのだ。
ところが地域間協定では、こうしたマクロの調整は考慮されず、個別産業の関税のみが注目される。 だから、自動車などの輸出産業と、農業などの輸入保護産業での対立が表面化する。
しかし、農業がなかったとしても、相手国が日本の特定産業にかけていた輸入関税を撤廃すれば、その輸出が伸びて円高が進み、それまで生き延びていた分野のいくつかが衰退する。 逆に、すべての輸出財に同率の関税がかけられても、比較優位は変わらず、その分円安になってどの産業も影響を受けない。
結局、個別産業の利害だけを考えると、経済全体の問題を見誤る。 すべての産業の競争力を上げるには、生産効率の引き上げではなく、輸出で稼いだ外貨を使うことを考え、内需を拡大して円安を生むしかない。
全面的自由貿易につながる地域間協定は、経済全体から見れば望ましいが、衰退する産業を放置することはできない。 これは農業保護問題に端的に表れている。 一口に農業と言っても多様であり、比較優位を持つ分野もあろう。 また、自立するために大規模化が有効なら、それを阻む規制はできるかぎり撤廃すべきである。 しかし、それだけでは問題は解決しない。
もっとも影響を受けると思われる稲作を例に取ろう。 米価が国際価格になれば、多くは生産を維持できない。 生産停止に追い込まれた水田が、すべて大規模経営や他の用途で使われるならよいが、全国に広がる水田のかなりが放置されよう。 そうなれば日本の国土が荒れる。 つまり、農業とは国土や環境の保全事業でもある。 また、稲作は高齢者問題でもある。 お年寄りの農作業をやめさせて家に閉じ込めるのではなく、元気に働いて田園を守ってもらいたい。
しかし、保護の代償に生産調整を行えば、国際競争に挑もうとする生産者の意欲をそぐ。 この矛盾は、農業が産業としての側面と、国土保全や高齢者対策などの側面の両方を持つからである。 政策立案では、この二つを明確に分ける必要がある。
ではどうすべきか。 現状の高関税での米価維持では、国際価格との差額分はコメを買う際の物品税と同じである。 これを一般の税に置き換え、徐々に生産補助金に移行することも考えられよう。 その際、補助の上限生産量を過去の実績などに応じて決める。 これなら国際価格の下で自立を目指し生産を増やす生産者には、定額の所得補償と同じになる。 高齢者も稲作を続けられる。 産業の自立と、環境保全や高齢者支援が両立する。 米価下落で需要増も期待できる。
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