2002.5.25 亀尻峠 二人
初夏の風情の中では峠歩きは虫が多いし、蛇が・・・と思いながらも登山道の人混みを避け亀尻峠へ。
かって、旧祖谷街道として賑わい「あごなし地蔵」が祀られているという峠。どんな峠だろう?
久しぶりに助手席でうつらうつらしながら大歩危で起こされて目を覚ます。
かずら橋駐車場で朝食を摂り、次のため閑定・中尾・今久保集落への道を確認し、かずら橋まで下る。
早朝にも関わらず、はやくも観光客が一杯。県道へ引き返し、東祖谷・阿佐集落を目指す。
R439へ入り谷道川を渡り阿佐集落を目指す。
村道終点近くの左手が阿佐東谷沿いに伸びる峠道への入り口。
右手へ下れば阿佐西谷沿いに牛の背方面とのこと。
こちらも機会があれば歩いてみたい。
歩き始めると直ぐに廃屋。さらに進むと人工林の中にぽっかりと開いたススキ原。
奥に、赤い屋根の民家が見える。
人がいるかなと立ち寄れば無人。ここでも、軒先には薪が堆く積まれ主人の帰りを待っているかの様子。
谷越しには新緑の牛の背方面の稜線が目前の絶好の地点。でも、二度と主人が帰ることはないのであろうか?
歩き出すと名前の解らないかわいい花が路上に咲いている。
やがて人工林の中にミツマタの並木道が現れる。
葉の大きく成長したミツマタが無数に。花期には黄色い花で周辺はさぞ明るくなることだろう。
40分ほどで小さな尾根へ出ると、樹齢?百年の巨大な杉の根元に地蔵尊が。
峠路の古さを物語り、安政七申年三月(1860年)と刻まれている。
路には新しいイノシシ?の足跡が転々と続き、所々掘り返されている。
また、根元の樹皮がきれいに剥がされている檜もある。
ゴミも落ちていなくて、歩くのはイノシシぐらいなのだろうか?
やがて、小さな沢を二つほど横切ると阿佐東谷へ流れ込む小さな滝が左手下に現れる。
沢筋近くへ下ってみると高さ数mの二段の滝であり、下流にも幾つかありそうな雰囲気。
峠路は徐々に荒れてきて所々崩れかけている。
人々が歩かなくなりそれほどの年月も経ていないはずだが自然に帰りつつある様子。
仕事路か、獣道か、峠路か解り難くなりかけている。
四つ目の沢を横切る辺りから間伐材が縦横に峠路の上を覆っている。
都度潜ったり、跨いだり、迂回したり。二カ所程帰りを考え赤テープを付けた。
剪宇峠の件があったので・・・ 
やがて、樹林越しの上の方が明るくなり赤布が見え始め、峠へ飛び出す。
古いコンクリート製の祠の中には二体の太子像が祀られ、台座にはおそらく寄贈した人々と思われる名前が刻まれている。
前には、苔むした手水鉢が静かに。
少し離れて、石を積み重ね天井が青石の一枚岩で造られた祠に小さな「あごなし
地蔵」が安置されている。
こちらの台座には「おきノくに あごなし地蔵」と刻まれている。
昔、苦しいときの神頼みで歯痛から解放されるよう地蔵に託したとのことらしい。
それにしても、痛くなってからここまで歩くとよけい痛みが増えると考えるのは現代人の不謹慎さだろうか?
峠の反対側の西山方面は明るい自然林で、路上にはフタリシズカが静か日光浴中。
樹林越しには、三嶺・西熊・イザリ峠・牛の背が見え隠れ。
最近は段々図々しくなり路の真ん中での昼食・昼寝タイム。
誰も来ない峠歩きだから出きるのであろう。
おそらく、快晴の三嶺・天狗の頂上は足の踏み場もないのではなかろうか?
二時間半ほど峠で新緑にたっぷり浸かり、後は駆け下り、途中にあった村道脇にあった観音堂・阿佐家へ立ち寄る。
観音堂には、軒下に吊された緑青で青くなっている「鰐口」応永十二年(1405年)製とのことで、村指定の文化財。
道を挟み、下れば県指定の文化財の阿佐家の壮大な屋敷。
TVなどで見るのとは異なり太い風よけの木々に囲われ静かに佇み、脇には洗濯物が干されており生活の場そのものである。
虫も、蛇も、人間も居ない静かな峠歩き&昼寝を堪能し、帰途は池田・簡保の宿で汗を流し帰宅する。