向板捨吉苦難之旅路

最終章 〜帰参〜

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 修行を終えた捨て吉は、帰路に就いた。米子から南下して吉備の水島灘に出る。季節は初夏。ぬるみ始めた風と、明るい空の下、捨て吉は海沿いに大坂を目指すことにした。

 名高い赤穂の塩田を左手に、右手に遠く家島を望みながら新浜を過ぎる。夢前川(ゆめさきかわ)の河口には、多くの商船が舳先を並べ、荷揚げの人足が威勢の良い声を上げていた。
明石を通るついでに、漁港をのぞく。向こう板の捨て吉としては、無視して過ぎることは出来ないところである。
活きの良い魚介類たちが、手際よく箱に詰められ、あるものは船で、あるものはまた陸路にてそれぞれの消費地まで運ばれていく。この中に、もしかしたら末尋屋まで運ばれていくものもあるかも知れない。その事を考えるとなんだか不思議な気がした。しかし、その可能性が考えられるほどに、もう近くまで帰ってきているのだ。

 須磨の浦では、わざわざ街道を下りて砂浜を歩いた。寄せては返す波の音が、時の流れを緩やかに変える。初夏とはいえ、夕闇迫る頃、潮風はまだまだ肌寒く感じられた。
 西宮を過ぎればもう、歩き慣れた道である。ほぼ一年振りだというのに、通りを歩く間にも、急速に地元人に戻りつつある自分を感じる。その角を曲がれば、もう末尋屋の表である。灯ともし頃の料亭は、そろそろ忙しくなる頃合いである。
見慣れた店構えの内から聞こえる、覚えのある声。
 はやる気持ちを抑えて、捨て吉は店の裏口に回った。

 外から呼ばわる声に、戸を開けた者は、捨て吉の帰参を知って慌てて奥に知らせに走る。その声を聞きつけた飯炊きの千香(ちか)が、火吹き竹を手に持ったまま、飛び出してきた。

 店に戻った捨て吉は、厨房の隣の、塗り籠めの部屋に上がって荷を解いた。ここは普段、店の者が仕事の合間に休憩したり、食事したりする為の控えの部屋である。
 座敷が混む時間帯のため、すぐに全員が駆けつけられたわけではなかったが、話を聞いた従業員達が、お膳を下げた帰り、お客を案内していった後、それぞれ入れ替わるようにして捨て吉の顔を見にやってきてくれた。

「俺も手伝うわ」

 みんなが働く中、お客さんのように座らされた捨て吉は、勝手知ったる自分の店。すぐに隣の調理場に下りて皿洗いを始めた。
 後はもう店を出る前と同じである。止めどなく運び込まれる洗い物に追われて、時の経つのを忘れ、最後のお客が店を出たところで、不意に訪れる静寂。

 店の片づけを終えた後、改めて集まった面々を前に、捨て吉はお土産を広げた。
重春村の杉原紙、豊岡の竹細工、米子の色糸の鞠?並べている内に、主人と女将が遅れて部屋に入ってきた。
 慌てて居住まいを正し、捨て吉は改めて二人に帰参の挨拶をした。それから、二人のための土産として、南天の夫婦箸を手渡し、途中の海岸で拾った物なんですが、と言い訳しながら女将の前に数枚の綺麗な貝殻を並べて置いた。そして、

「さて、ここからが本番ですよ。僕のこの一年の修行の成果を見て下さい」

 いいながら捨て吉は、後ろに隠しておいた(さっき調理場から拝借した)擂り鉢を取り出して、みんなの目の高さまで持ち上げた。

「女将さん。この鉢を、よーく見ていて下さいね」

 捨て吉は、手に持った鉢に布をかぶせ、それから勢いよくその布を取り去った。それと同時に鉢の口から、白い煙がばふんと上がり、中から可愛らしい小猿が現れる。

「あら、まぁ!?」

 驚いた女将は目をぱちくり。
技が成功した捨て吉は、得意げに胸を張って見せた。
その隣で主人は、他の土産も気になるし、たった今手渡された昌造からの返事も開けて見たいし、目の前の捨て吉の芸もすごいしで、目を回しそうになっている。

それから、捨て吉は、目を輝かせて旅の様子を語りはじめた。伝えたいことがありすぎて、今日中には終わりそうにないかも知れない。

「捨て吉には、どうやら風伯が宿ってしまったようね」

 嬉しそうに話す捨て吉の姿に、女将は目を細めた。
風の神に魅入られた者は、一生旅から離れられなくなると云う。
まさに、捨て吉は今回の旅の中で、その楽しみを知ってしまったのだ。

 捨て吉が、二度目の旅に出るのも、そう遠い日のことではないのかも知れない。

 それでもきっと、この場所に帰るだろう。
彼を待つ仲間達に、土産話を語って聞かせるために…。

おしまい


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