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往くほどに、重春村と謂うところに行き着いた。織物が盛んらしく、あちらこちらの小屋から、調子のよい機おとが響いている。軒に掛けられた糸束からは、ほのかに先染めの鑞の匂いがしている。それらの、めづらしい景色に目を奪われていたためか、またもや宿も決まらぬうちに、はや日も暮れなんとしていた。 宵に入り、なんとか旅籠の並ぶ界隈に差しかかったと見るや。 ガタン。ガタバタンッ。 激しい音と共に、傍らの木戸が荒々しく開き、中から下帯一枚という格好で、男が一人転がり出てきた。あまりのことに、捨て吉は思わず足を止めた。 「うちは五分テラの優良店なんだよ!今度うだうだぬかしやがったら、てめぇの口に戸を立て掛けるぞ」 事情は分からなかったが、今の時点で、はっきりしていることが一つだけあった。 この場の誰とも目を合わせてはいけない。 捨て吉はこわもてのお兄さんの、四つもある視線を、苦労して避け、速やかにこの場を離れようとした。が、機はすでに、わずかの差で遅きに失していた。 悪人面のお兄さん達の視線をすべてかわし、喜んだのもつかの間、今度は道にへたり込んでいる男の方と、目が合ってしまったのだ。 「助けてください!」 賭場は、宿屋の一階にあった。初夏でも閉め切られたままの室内は、人々の熱気が渦巻いて、まるで外とは隔絶された世界を作っている。 その中で壺を振っていた桔梗は、ちょっと珍しい光景を目にして、表情には出さずに驚いた。ついさっき、文無しになってつまみ出された男が、見慣れない旅の若者の、後ろに隠れるようにして戻ってきたのである。 目の前の場は、新たな打ち手の参加によって、賭け直しになっている。 桔梗は鉄火場全体を目だけでざっと見渡してみる。壺振りと同じ側にいるのが「半」に張った者、対面に移動したのが、「丁」に張った客である。 香具師の秀さんは、ここ三回ほど負け続きだから、そろそろ勝たせてあげた方がいいかもしれない。飾り職人の洋さんは、最近大きな注文を取り付けたそうだから、今日くらい負けても、きっとまた来てくれるだろう。大工の泉吉さんは?。今日負けたら、ちょっと厳しいかもしれない。そこまで考えたところで、「駒が揃いました」のかけ声が掛かった。 泉吉をまず勝たせて後半のツキを秀さんに回し、勝負所でちょくちょく洋さんに負けてもらおう。例の旅人は、最初の数回だけ勝たせて、後は順次負けて貰うのがいいだろう。 桔梗は、いつものように、ざっと勝負の流れをまとめあげた。 「勝負」の声と共に、壺ざるが開かれた。 盆ござの上の賽の目は二と四。「丁」である。 対面では、先ほどの旅の若者が配当の札を手に、満面の笑顔を浮かべている。その若者は、以降、勝とうが負けようがお構いなしで、勝負の度に、きっちり一枚ずつ、札を賭け続けた。 なんだろう。 そして、何度目かの勝負の後、桔梗がふと目を上げると、それまで旅人の後ろに隠れるようにしていた下帯の男が、その勝ち札を持って、そっと自分の荷物を請け出しに行くのが見えた。その男と、行きずりの旅人との間に、どんな約束が交わされたのかは分からない。しかしあの男は、もう二度とここには戻らないだろう。そう考えると、目の前の旅人は、少し気の毒に思える。 一刻ほどして、勝負は休憩に入り、桔梗が帳場の奥へ引き上げる途中、裏口を見遣ると、旅の若者が、ちょうど一刻前と同じようにして、くぐり戸からつまみ出されているところだった。 「うちの連中って、ほんま文無しに容赦ないよなぁ」 桔梗は声に出さずに呟くと、そのまま帳場へと足を向けた。 桔梗は、男が腰を低くして立ち去るのを待って、ここ、芝浦屋を取り仕切る親分に声を掛けた。 「ちょっと。さっきのって魚屋の源さんやろ。証文に二分って見えたけど、あの貧乏長屋に、二分も借りれるような形代が、よう有ったなあ」 桔梗の意外そうな声に、親分さんは黙って紺布の包みを開いて見せた。出てきたのは、房と花飾りの美しい、銀かんざしである。 「うわっ。嫌な感じやなあ。源さんって、確か祝言挙げたばっかりのはずやろ。それって絶対奥さんの嫁入り道具やで」 「ははぁ。おまえに嫌われちゃあ源造も終わりだな」 親分さんは気の毒げに顔を歪ませながら、包みを箱に戻した。 「何度数えたって変わりゃしねーぜ」 一家の親分が、煙草盆から煙管に火を移しながら声を掛ける。 「イヤイヤ。昨日のうちにどっと増えとるかもしれへん。」 桔梗は膝の上に、巾着の中身をそっと広げた。 「花火が八日やから?今日も入れてあと三回は賭場が開くやろ。入りが一回に500文として?。なんや。残り四朱やったら、ぜんぜん余裕やん」 「今で一分と十二朱ほどか?よせよせ。花火なんかに使っちまうのは。それだけありゃあ、おめぇ夏中あんみつとところてんがお八つにつくぜ」 後ろからちょっと覗いて、親分はからかうように言った。 「それは聞かれへんな。これは花火のためにこつこつ貯めてきたんやもん。ええ船借りて、白玉でも買うて、杉原川の上で花火見るんや。最高やで。親分さんも一緒する?」 「冗談じゃねぇ。あんなもの、岸から見たらタダじゃねぇか。どうせ当日はそっちに客を取られて、商売にゃならねぇんだ。俺はここで呑みながら音でも聞いてるさ」 「ちっちっち、やで。分かってへんなあ。花火は真下で見るから円いんや。音かって、肌にぴりぴりっとくるのんが、ええんやんか。そんなん、ここから聞いとったかて、なんもおもろいことあらへん」 「そんなもんかね」 「そうや。それに、事前情報によると、最後に上がる尺玉は、播磨屋の旦那さんが、文吉親方んとこに、注文したった新作らしいんや。曲付きも上がるゆうし、ほんま楽しみやわー」 そのとき、奥の広間から、ひときわ大きな歓声と、落胆のため息が起きた。 「そら。伊佐治の場がそろそろ終わるぞ。花火に行きたきゃ、さくさく働け」 ちょっと首を傾けて奥の間を見た親分に急かされて、桔梗は仕方なさそうに立ち上がった。 途中桔梗は、戸口へと向かう人波に、知った顔を見つけて声を掛けた。 「あれ。長さんもう仕舞いなん?負けたまんま帰ったんじゃぁ、男がすたるってもんやで。次はあたしが振るし、よかったらもう一勝負掛けて帰らへん?」 「すまねえ桔梗ねぇさん。そうしたいのは山々なんだが、軍資金切れだ。今日はこのまま帰らせて貰うよ。」 「なんや残念。懐暖ったら、また顔見せてや」足を止めずに、苦笑いで後ろ手を振る男の背中に声を掛けつつ、桔梗は仕事場に向かった。 |