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| それからしばらく捨て吉は、崖を降りたり、滝に流されたりして日を送った。 そして。 「はいみなさん、提案いち。明日は九月九日の重陽です。という訳で、今から菊に被綿をしましょう」 茜華の提案で、四人は大輪の菊が花を付けている庭に下りた。 「被綿って、どんなでしたっけ。昔何かの本で見た気がするんですけど」 捨て吉は古い記憶を辿って首を傾げる。 他の三人は、手に手に綿を持って、わらわらと菊花の周りに近づいていった。 「まず。これこのように、菊の花に綿を巻き付けて、一晩置いておくの。すると夜の間に菊花に置いた露が、朝にはこの綿に移っているというわけ」 「古来より菊の香の移った朝露で体を拭くと、寿命が延びたり若返ったりすると謂われているのですよ」 茜華が説明し、菜緒が付け加える。 「拭くだけで若返っちゃうってことは、朝露のお風呂に入ったら、やっぱりお子さまに戻っちゃうのかなぁ。どきどきっ」 要らぬ心配をしながら、二、三本の菊に巻き終えた和菜に綿を分けて貰い、捨て吉は二本の菊に綿を着せた。 そして自分の菊の下に印の石を置く。 明けて菊の節句。 朝起きて人々は綿を回収し、それで顔や手首を拭って長寿を祈願した。 それから茜華は、唐櫃をさらえてあれこれ迷ったあげく、和菜には白の表に山梔子裏の袷を着せて、『九月菊』の重ね色目を設え、菜緒の方は表縹の裏露草で『月草』の色目を調えた。 そして庭に出て曲水に歌を詠み、菊酒を呑み、音曲を奏で、貝合わせ、目かくし香などに興じつつ夜を迎える。 盃に映る月もまた一興。 今日は、朝から晩までなんの仕事もしていない。こんなに遊んでばかりいて良いのだろうかと、不安になる。暇すぎて、かえって落ち着かない捨て吉だった。 菊は月の子にして花の王たり 花弁をもって三日月と為し 大輪をもって望月と為す 菊は月の子にして花の王たり 親に倣って色を変え 黄金いろ 月白 赫?自在なり 人間にありて宙を忘れず 断罪の時を待つように天を仰ぎ 頸は一つに そも 月光は罪を照らす浄玻璃の鏡か 行く先も示さずに居たり ・・・ その夜。手水に立った捨て吉は、不思議な歌に誘われて、月光射す濡れ縁に、独りで居る茜華を見つけた。柱に背を預け、片手には盃、端近に座って、庭を眺めている。 「白鶴童子達はもう寝たかい?」 こちらに気付いた茜華が声を掛けてくる。手招きされて捨て吉は、勧められるままに向かいに座った。 「あの二人は御武家の出ですよね」 捨て吉の問いに茜華が頷く。捨て吉に盃を持たせて酒をつぎながら、 「あの二人は預かりものなのさ。あの子達の父親は、私の画のお得意さま兼、茶飲み友達でね。私の画を即金でお買いになれるほどには、裕福な方だったよ。だけど上方米の江戸送りが決まったときに、お上に御意見を申し上げてね。その咎で蟄居を申しつけられなさったのさ」 茜華の言葉に捨て吉は眉を顰めた。 「そういえば大阪にいるとき女将さんが、米の値が上がって困ると漏らしてたっけ。僕は、お役に着いている御武家はみんな、江戸へばかり愛想を使って、上方のことは少しも気遣いしてくれぬと思っていました。だから僕らのために、そんな目をして下さっている方がおいでとは、考えもしなくて」 驚いた様子の捨て吉に茜華はふふんと鼻を鳴らす。 「お上はとかく都合の悪いことは、何でも隠そうとする質だし、私の友達は、功を誇って恩を売ることなど、思いつきもなさらないお人だからね。まあ、その時よ。ご自分はそれでも、子供達まで家に閉じ込めておくのは、あまりに不憫とお考えになったんでしょうね。禁が解けるまでと、私にお預けになったのさ。相当の信頼を置かれてのことだと思うよ。まあ、どちらを信頼なさってのことかは、分からないけれど」 笑みを含んだ言い方に、捨て吉は意味を読みかねて問い返した。 「どちらを、とは?」 「私が、甘やかさず、まっすぐに子供達を育てられる人間だと、信じてくださったのか、または、子供達を、どんな環境の中でも、まっすぐ育っていける人間だとお信じになったのか、ってことよ。実際あの子達は、ここに来たときから何でも一人で出来たから。それで私も、つい重宝に使ってしまって」 「今その人の禁が解けたら、茜華さんは困るんじゃないですか」 「そうね。一人でご飯も炊けないわ。菜緒が居なきゃ、仕事も出来ないし。本当、そうなったらどうしようか」 茜華は、ゆっくりと空を仰いだ。 |