向板捨吉苦難之旅路

八之章 武士 其之壱

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 一方旅先では。年も押し迫った師走の二十八日。捨て吉は雪に難儀しつつも、何とか晦日までに豊岡城下に入ることが出来た。これでとりあえずまともな年越しが出来そうだと、安堵する。
冬のこととて日暮れも早く、しばしば雪に行く手を阻まれ、ここ一月ばかりは、遅々として進まぬ旅路であったのだ。
 日暮れまでにはまだ大分刻があるはずだが、曇天に塞がれた町はうす昏く、またいつ雪が降り出すか知れない。今日はもう、宿を取った方がいいだろう。 
 幸いと言うべきか、この時季わざわざ北に向かって旅するものなど、そうは居ないらしく、これまで宿を断られたことは一度もなかった。宿もないほどの田舎では、親切な村人の家に泊まった。

 果たして、関所を離れていくらも行かないうちに、雪は降り始めた。
捨て吉は、慣れた動作で荷から傘を抜き、僅かに顔をしかめた。傘が開かなかったのだ。旅の途中から、徐々に調子が悪くなってきていたのだが、まだ使えるだろうと、放って置いたのが、ここへきて、とうとう骨が折れたらしい。
 宿の主人に頼んで、籤など分けて貰えば、傘の修理もちょうどよい暇つぶしになるだろう。どうせこの雪では、外に遊びに出るわけにもいかない。
そんなことを思いめぐらしながら、開かない傘を小脇に抱えたところで、捨て吉は突然町の娘達に囲まれてしまった。

「傘、壊れちゃったんですか?」

「困ってます?困ってますよね?」

「私たち、いい傘屋さんを知ってるの、案内してあげるわ」

「こっちよ。ついて来て」

 娘達は口々にそう言うと、有無を言わさず、捨て吉の袖を引いて、歩き出した。傘が壊れたことの、何がそんなに嬉しいのか、娘達は終始上機嫌であった。
そうして連れて来られたところは、よくある(ボロい)裏長屋のように見えた。
軒に「ゐかけ」「ぬいもの」「あらいはり」などの札が掛けられた並びの間口の、手前から四番目の木戸を、一人が遠慮がちに引き開ける。
 戸口を覗き込み、後の者もそれに倣う。

「静馬さま。お客さんを連れてきたよ。」

「表は雪だっていうのに、傘が壊れてしまったんですって」

「ねぇ」

 娘達は戸口に群がって、しきりと中に向かって声を掛け、未練がましく話題を探していたが、そのうちに諦めて間口を空けると、代わりに捨て吉を中へ押し込んで行ってしまった。
 部屋の中には、この家の主らしい、浪人が一人、座っていた。くたびれた着物を着流し、内職物らしい傘の軸を削っている。
 戸口から雪が吹き込むので、取り敢えず戸を閉めて、そこで初めて、見ず知らずのお侍と、二人っきりになってしまったことに気付く。

「本当は傘屋さんじゃあ、無いでしょう」

 捨て吉は声を掛けてみた。
 侍が、内職で傘を張るのは、よくあることである。しかしそれは、あくまで小間物商の下請けであって、本人の家を直接客が訪ねるなど、聞いたこともない。

「どうして断らないんですか」

 捨て吉は、もう一度訊ねた。
 今度も侍は答えず、ただ僅かに顔を上げて片手をつきだしてきた。
 捨て吉は、意表を突かれたこともあり、また、本当に意味も分からなかったので、ただ訳もなく焦っただけであった。

「直せん事はない。貸してみろ」

 言われて初めて、彼が傘のことを言っているのだと気づき、あたふたと差し出す。
 浪人は傘を受け取ると、折れた骨を取り除き、新しい籤を削り、ほころびに紙を貼る。

 その間、終始無言。

 座敷に上げて貰ったまま、じっと浪人の向かいに座り続けていた捨て吉であったが、さすがに居心地が悪くなり、きょろきょろと室内を見回す。目に付く道具と言えば、少し大きめの箪笥と、火鉢と…、それだけだった。落胆しつつも、もう一度丹念に室内を眺め回し、柱に二枚の紙片が留められているのを発見することが出来た。

「富くじ、好きなんですか」

 唐突に沈黙が破られたことに、多少大袈裟なほどに驚きながらも、浪人はコクッと頷いた。ただし、元々がうつむき加減であったため、実際の動作としては、ごく僅かな動きにしかならなかったのだが。
 そして使い終わった道具を仕舞おうと抽斗を開け、そこに仕舞ってあった富くじまでも、捨て吉に目聡く見つけられてしまう。

「どうして、分けて仕舞ってあるんですか」

「…去年は、抽斗に入れてあったのが当たった。その前は、柱に留めておいたから」

「結構、験を担ぐ方なんですね」

 浪人は微妙な苦笑いを浮かべて顔を赤くした。
 その時、表から女の人の声が掛かった。

「静馬さま。うち今晩粕汁にしたんだけど、作りすぎたから。これお裾分け。」

 言いながら、肩で戸を押し開けて、手ぬぐいにたすき掛けのおばさんが入ってきた。手には小振りの鍋を持っている。捨て吉に気付くと驚いた様子で、

「あれー。お客さんだったんかね。そりゃあよかった。この鍋で明日の朝のぶんまであるから。遠慮せんと食べてくんなさい」

 そう言って上がり口に鍋を置いて帰っていった。
 次に訪ねてきたのは、昼間の娘達のうちの、一人だった。同じように煮付けを置いていき、また別の者が漬け物を置いていった。

「いつもこんな感じなんですか」

 呆気にとられて捨て吉が聞き、静馬はコクッと頷いた。
 そのまま土間に下りて、竈に火を入れ始める。米を炊くというので、捨て吉は喜んでそれを代行した。料理人の腕を見せたかったが、その出番はなさそうである。
 そうこうしている内に、夜も更けてきたので、捨て吉は静馬の家に泊まっていくことになった。というか、彼がもう、二人分の布団を敷き始めているので、多分泊めてくれるつもりに違いないと、勝手に判断した。

 二更を過ぎて、雪はすでに降り止んだらしい。裏の障子から月明かりが差し込んで、眠れずに捨て吉は寝返りを打った。
 隣では、今日会ったばかりの浪人が、仰向けで腕組みをしたまま、口からぷすっ、ぷふっと変な音を発しつつ眠っている。

 (侘びしい…)

 捨て吉は、静馬よりも先に眠ってしまわなかったことを、激しく後悔した。

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