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| 翌朝。日の出前に起き出した二人は、揃って川へと出かけた。朝の支度は井戸でも出来たが、そろそろ主婦達が井戸端会議を始める頃合いと見て、それを避けた。 うっすらと雪の置いた石段を、滑らないように注意しながら下りて、川縁に設えられた洗濯場へしゃがむ。身を切るような冷たい水で顔を洗い、小柄でちょりちょりとひげを剃る。 この間、終始無言。 (侘びしい…) 捨て吉は、聞こえないように、そっとため息をつく。 朝日が昇り、花を付ける前の梅花藻が、水底にゆらゆらと透けて見えた。 朝の間に、捨て吉は昨日のお裾分けが入っていた鍋や皿を洗い、それを一軒ずつ返して廻った。あちこちで話し込んで、それでも昼前には戻る。 静馬が町まで出かけるというので、ついて行くことにする。 用事は、研ぎに出していた刀を、受け取りに行くことだった。用を済ませて戻る途中。正月準備で、華やかに彩られた道筋で、捨て吉は騒がしい一団にでくわした。話し声も騒がしければ、見た目も騒がしい。うちの一人はざんばら髪に襟の赤い派手な着物を着、腰には二尺八寸はあろうかという朱鞘の太刀を差しているのだ。そして、『一団』と言ったのは、残り二人も似たような格好をしていたからである。 静馬が足を止めなかったので、捨て吉はチラチラとそちらに目を遣りながら歩いていた。 すると、反対から二本差しの女が歩いてきて、件の一団の脇に差しかかった。騒がしい集団は、気に掛けた様子もなく、相変わらずうるさく、はた迷惑に歩き続けている。 「やっかましい!!」 女は、その場でぴったりと足を止めると、彼らにきっと向き直ってがなりつけた。 たちまちその場は険悪な空気に包まれる。 「なんだとコラ」 頭目らしき男は、即座に長い朱鞘に手を掛けた。先頃幕府より出された寸法制限令の、上限二尺三寸五分には、明らかに違反している。 しかし、こちらも女剣士である。すぐに腰の刀に手が伸びた。何となく、彼らに会う前から、不機嫌そうにしていた気もするので、けんかを売ったのも、案外ただの八つ当たりかも知れないが。 「かっこいい。ねえねえ見て下さいよ。ほら、女剣士ですよ」 捨て吉は静馬を引き留めた。 静馬は一応足を止めたが、騒ぎの方を一瞥すると、 「あれでは勝てん」 興味なさそうに一言感想を述べて、また歩き出した。 驚いたのは捨て吉である。あわてて浪人に追い縋った。 「静馬さま。勝てないとはどういうことです。あの女剣士が負けるって言うんですか。もしそうなら、助けないと。彼女があの変なのに斬られてしまいますよ。ねえ、助けてあげて下さいよ」 普段のことならば、自分自身で助けに出るのだが、今回は双方刀に手が掛かっている。とても町人の捨て吉が手を出せることではない。 捨て吉は、静馬を動かそうとして、途中あることに気付き、はてな、と首を傾げた。よく見ると、静馬は、困ったような、居心地の悪そうな顔をしているのだ。少なくとも、助けにはいるのを、面倒がっているとか、すごく冷酷な人間であるとか、そういったことではないらしい。 「えっと。静馬さま?どうして助けてあげないのですか」 「頼まれもしないのに、出ていくのか?」 静馬は、嫌そうにそれだけ言った。 どうやらお節介で目立ちたがりな人間に、思われたくないということらしい。捨て吉は一瞬ぽかんとしたが、迷惑男がいよいよ刀を抜いたのを見て、慌てて言った。 「僕が頼んでるじゃないですか」 「…押しが弱い」 「分かりました。今日のお八つは、僕のおごりです」 捨て吉の言葉に、静馬はコクッと頷いた。 ほっとして捨て吉は、騒ぎの方に視線を戻した。すると、いつの間にか女剣士は地面に手をついていて、勝ち誇った男が刀を振り上げているところだった。 うわーっ。僕がちょっと目を離した隙に、また事態が悪化してるーっ。 その時。 カチャリ。 焦る捨て吉のすぐ隣で、鯉口を切る音がした。 気付いて捨て吉が振り向くより早く、静馬は二人の間合いに入り込んでいた。 相手の太刀筋に合わせて、自分の大刀を僅かに引き上げ、力任せに振り下ろされた相手の刀を、抜かれた鍔元の三寸ほどで受ける。 片膝がつきそうなほど腰を落とし、相手の勢いを逸らすように柄を倒す。 そのまま相手の切っ先を、自分の鍔元で地面に押さえつけるようにして固定し、太刀の中程を、立てていた膝で素早く踏みつける。 流れるような一連の動作に、よく鍛えられた刀は、折れる代わりにそれを握る使い手の手元ごと、柄を地面に叩きつけた。 相手がぎゃっと叫んで逃げ去るのを確かめると、静馬は下を向いたまま一心に元来た道を歩き去ってしまった。 離れて様子を見ていた捨て吉は、道の真ん中にへたり込んでいる女剣士に歩み寄り、手を差し延べた。 女剣士は、素直に礼を述べてその手を取りかけ、 「博依ー!」 いきなり道の向こうから聞こえてきた叫び声に、びくりと手を止めた。声の主は、こちらに向かってすごい勢いで走ってきている。そのまま勢いを落とさずに猛進を続け、女剣士にどすんと突っ込んで止まる。 「わっ」 立ち上がりかけていた女剣士は、再び地面にしりもちをついて声を上げた。女剣士に抱きついているのは、非常に愛らしい、十四、五歳の少女だった。 「大丈夫だった?博依。どこも怪我などしていないわね?よかった。私、博依が道で喧嘩してるって聞いて、心配で飛んできたのよ」 少女は、女剣士の上から降りようともせずにまくし立てている。しかし、言葉の割には、喧嘩がもう終わってしまっていたことに、落胆している様子がありありと窺えた。 「さっ。帰りましょ」 少女は、現れたときと同じくらいの勢いで、女剣士の腕をぐいぐいと引いて、連れて行ってしまった。 捨て吉は、差し出した右手を、沙汰無く引っ込めるしかなかった。さっきまではちらほらと居た野次馬も、今はもう残っていない。 「寒っ」 捨て吉はひとつ身震いすると、足早に長屋に戻っていった。 |