想いがつくるユートピア

 

   
  想いがつくるユートピア

想いが運ぶひとととチャンス

一人の想いから

一人の勇気から

 
 

 「想いがつくるユートピア」は「想い」を持つ人がそれぞれの描く世界や心のうちを吐露したり、みんなと共有する場です。

 会場と出演者の一体感を大事にしています。出演者は今まで絵描き詩人、シンガー、路上詩人など多彩で個性的。今後も定期的に開催していく予定です。熱い想いを世界にぶちまけたい人、一緒に時を共有したい人、なんか面白そうだなーと思った人、「想いがつくるユートピア」を一緒につくり上げてみませんか?

 

 

第1回 想いがつくるユートピア
  〜 Liberal Passion 開放的、情熱 〜
2003年3月8日17:00〜20:00
自然食レストラン「菜苑」宮崎市橘通り東3−3−7
 さまざまな色の情熱がぶつかりあい、融合する「ユートピア」が形になった。ガン体験から見えた光明、世界中を歩いてたどり着いた綾でのおだやかな暮らし、生き物たちの輝く表情…それぞれの想いが濃密にこめられた3時間。
 野菜の力がみなぎる自然食を食べながら、ライブや語りを共有した。想いがつくるユートピア、始動。

出演者

 しまいゆうじ 1953年生まれ。日本、世界と自転車旅をする。パキスタンではじゅうたんの販売。どんどん売れて自分を見失う。1995年、子供の頃から好きだった絵を描いて生きていく決心をする。2000年、絵の道具と5000円を握り家を捨て、旅へ。リアカーを引き、日本の路上で個展を展開。2003年綾町に定住。写真集「はじめてのインド」、詩集「たいしたものではありません」詩画集「えび天うどん三百六十円」。

 TAKA 1971年生まれ。趣味はカラオケ、ダンス、野球。1999年、28歳で腎臓ガンを宣告される。手術後2度の化学療法を受ける。進行度の高いもので、親から「生きているのが不思議」と言われる。会社に復帰後体調不良から退職。自分探し、生き方探しの旅を始める。国内各地、バリ、フィンドホーン(北スコットランド)、ハワイなど。モットーは「気にしない」。

せい 1977年1月23日生まれ。中学校より吃音に苦しむ。大学院生のとき、環境問題をきっかけに世の中の矛盾を感じる。学歴を捨て、自分探しの海外一人旅をする。人のやさしさ、豊かさをそれを通して知る。2002年、ヒッチハイクと路上パフォーマンスによる無銭旅行。この時より初めて筆を握る。非対立の心を信条に「頑張る(頑固に突っ張る)」ではなく、「顔晴る(笑顔で晴れ晴れ)」を実践し、人間の可能性を伝える。現在IR(愛ある)カンパニーという会社を設立、日本中を飛びまわり活動している。

  1976年生まれ。子供のときから厳しい英才教育、中学ではいじめに会う。高校では精神安定剤を使用して生活。その頃から対人恐怖症に。一時は死を考える。死を目前に自分を取り繕うことをやめると決意。同じようにくるしむ人の支えになりたくて、2002年7月弾き語り日本ふれあい巡りの旅スタート。歌は実体験から基づいたもので、人の心に響くように心からの思考錯誤を経て作ったもの。

 

第2回 想いがつくるユートピア
 
2003年5月24日
 
 振の魂の叫びを聞いて、目を閉じて聞き入る人もいれば、涙する人もいた。誰しも、それぞれがそれぞれの人生を生きている。その輪郭がはっきり浮きあがって、気持ちが裸になり、会場がなんともいえない一体感を味わえた「想いがつくるユートピア」だった。
 
(2003年5月15日宮崎日日新聞25面にしんの記事が掲載)
   

振(shin)

 宮崎市の路上での弾き語りを不定期でおこなう。
 第1、2回「想いがつくるユートピア」開催・出演。第3回「想いがつくるユートピア」出演。
 「想いがつくるユートピアを語る会」開催。
 MRTラジオ出演。 宮崎日日新聞第三社会面掲載(6月日・単独での記事紹介)。 パーマカルチャーネットワーク九州・NPO法人化パーティーでのオープニング演奏(予定)。
ドメスティックバイオレンスに関する会、中学校PTAの集まり等たくさんの場で想いを語り、歌ってきた。

プロフィール: 1976年4月19日広島で産声を上げた。

 父親は某TV局プロデューサーで、割と物質的に豊かな家庭で育つ。父親の仕事柄、転勤が多く僕は各地を転々とすることになる。福岡県、東京都世田谷区、愛知県名古屋市、横浜市、群馬県伊勢崎市、その後英国へ、そして今に至る。

 父は厳格で、母は典型的教育ママで、ヒステリーだった。それにより、幼い頃から当り前のように英才教育、小学校の頃から中学受験を強いられる、そんな環境で育った。毎朝6時に叩き起こされ、朝の勉強なるものをしないと学校には行けなかった。 学校からは4時までには帰宅するように言われ、夕方の勉強、ピアノの練習、母親との一問一答(暗記テストの時間)がいつも待ち構えていた。母親は右手にものさしを持ち、ピアノを間違えるたびに泣きじゃくる僕を叩いた。父親はそれを止めるでもなく酒に酔うと良く僕に暴力をふるった。裸で外へ出されることも度々であった。毎日、顔色を伺いビクビクするような毎日を僕は送っていた。

 中学に入り、集団でのイジメを受ける。2年近く、学校にも家にも居場所が無く、僕にとって当時一番安らげる場所はベッドの上だった。そこが、唯一僕にとって安全で、安心していられる場所だったから。でも、僕は根が明るい性格であったため、なんとかその時期をやり過ごした。

 高校に入り、突然息が苦しくなり、病院で自律神経失調症不安症候群といわれ、デパスという精神安定剤を使用して生活するようになる。対人恐怖もその頃から始まり、自分を取り繕ってしか人と接することが困難になる。

 やがて大学に進学し、親から離れ一人暮らしをし、安息の時間を過ごしたが、症状は一向に変わらず取り繕う性癖はひどくなる一方だった。

 卒業後、家族ごと、父の仕事の関係から英国へ渡る。再びの家族との生活、言葉の分からない国での生活やらで症状はどんどん悪化して行った。家庭では完全に孤立し、自分に対してひたすら嘆き、全てが絶望的に思え、ついには死を考えるほど追い詰められた。

ある時、死を前にして始めて自分を取り繕うことを止めることを決意。

その日から少しづつだが、人生が好転し始める。それから半年間英国から単身日本に帰国し、弾き語りで日本を旅することを想うようになる。

2002年7月、想いを実現するために帰国。そして8月、念願の旅に出た…。

 

振からのメッセージ 今現在、わが国には三万人の自殺者がいます。そのうち訳一万人の人がイジメや過度の受験教育、親の虐待等を苦に無くなっているそうです。おそらく僕のように悩み苦しんでいる人達はもっともっとたくさんおられるでしょう。僕はどん底から全てをプラスに考えられる人間に幸い生まれ変わることができました。だからこそ、僕は僕とおなじように苦しんでいる人々の支えになりたくて、今旅をしています。

 歌は、実体験に基づいたもので、人の心に響くように心からの思考錯誤を経て作ったものです。

 

 

 

第3回 想いがつくるユートピア

2003年8月9日 18:00〜21:00 宮崎市・平和台公園レストハウス

 出演者:振、せい、アコースティックス(友情出演)

せいHP:http://now.ohah.net/sei

 アコースティックス 高校時代ヤマハポプコン入賞など、数々の賞を受賞。卒業後、上京し、渋谷、四谷など多数出演。かたわら、フォークシンガー森山良子に曲を提供。および服部克久の音楽畑にゲスト出演する等、故郷宮崎で、聞いてくれる人の心に残る詩、曲を創り歌い続けている。

(振は2003年10月にはCDデビュー予定)