ちょっと怖い話
凶器のナイフ - 06/08/24
その男の元々の趣味は、アウトドアだった。
渓谷に分け入り、持参した肉と野草をナイフで刻み、ダッチオーブンと呼ばれる万能鍋で調理するのだ。
爽やかな風を受けながら、そんな野趣溢れる料理を口にする時が、男の至福のひとときだった。
そう、確かに去年の夏までは・・
そんな男の趣味が変化してきたことに、周囲の誰もが気づいていた。
もっと言えば、周囲が変化させてしまったのかも知れないのだが..
それまで、男がアウトドアで使っていたのは、何の変哲もないナイフだった。
去年の夏、その年の最後のアウトドアに出かける準備をしていた男のもとに、友人が訪ねてきた。
この友人も、古くからアウトドアを趣味にしている、いわば男にとっての先輩だった。
「やっぱ、アウトドアに使うナイフは、サバイバルナイフの方がいいぞ。ほら、これをやるよ」
友人から渡されたサバイバルナイフは、ずっしりと重く、その存在感を感じさせるのに十分だった。
「へぇ〜これだったら、熊でも倒せそうな気がするぞ」男は急に自分が強くなった気がしてそう言った。
「そうだろぅ..最初は俺もそう思ったよ。でも、自分に合うかどうかは、お前が決めることだからな」
「それって、どういうこと?」
「ナイフは人を変える魔力があるのさ、便利なナイフもときには凶器にもなるからさ」
友人が、置いて帰ったサバイバルナイフを見ながら、男はつぶやいていた。
「自分に合ったナイフかぁ..」
案の定、男のその後のアウトドアは散々だった。
始めはなんということもなかったサバイバルナイフが、途中から重く感じて仕方がなくなった。
足を引きずるような下山は、初めての経験だった。
その後、男は自分に合ったナイフを求めて、ネットオークションに没頭していった。
忍者刀、青竜刀、牛刀、ジャックナイフからペティナイフ、挙句の果てにはケーキナイフまでを買い集めていた。
そんな男の熱意は、職場の上司、先輩、後輩にも知られることになり、海外旅行の土産にはレプリカのナイフまでが男の元に集まった。男の部屋は、1年間でナイフだらけになってしまった。
そして迎えた今年の夏..
新入社員の女性グループから「あたし達もアウトドアにご一緒させてください」と<、頼まれていたことも一因だった。
明日が出発という夜に、男は部屋の中のナイフを見回して困っていた。
「こんなに集まってるけど、まだ自分に合ったナイフがわからない、はてどうしたものか..」
男は、部屋の電気を消し、暗闇の中で最初に手が触れたナイフを、そのままカバンに詰めこんだ。
「迷ってると朝になっちゃうからなぁ。これが運命のナイフだといいけど..」
晴天に恵まれた、久しぶりの女性連れのアウトドアで、男はご機嫌だった。
女性グループに、アウトドアの楽しさを語りながらの渓谷歩きは、男の自尊心を大いにくすぐっていた。
やがて昼食の時間..
それまでに集めた野草を、渓流で洗わせながらいつものように持参した鶏肉をさばこうと、カバンの中からナイフを取り出した。
その瞬間、渓谷に男の悲鳴が上がり、山々に幾層にもこだました。
それぞれの役割で、昼食の準備をしていた女性グループの面々が、慌てて男の方を見た。
そこには、木のナイフを手に持ち、震えている男の姿があった。
「一体どうしたの?..そのナイフは?」 女性グループの一人が男に尋ねた。
男は力なく答えた。
「きょう・・木のナイフだった..これだと鶏肉がさばけないよ〜」
男が手にしたナイフは、誰かからもらったハワイのお土産品だったのだ。