◆ は じ め に

◆ エメラルドグリーンの海・・・1996.8.27

1.大雨の関西から晴天の沖縄へ

2.旅につきものの意外な発見

3.壷屋の陶器と市場の食事


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は じ め に





  今年2月頃、林昌二さん(現(株)日建設計  取締役副会長)の建築論集
「二十二世紀を設計する」を読んだ。その中で『成功したファサード主義・
名護市庁舎』という題で、このコンペによって建てられた市庁舎にとても良
い評価を与える文章に接した。アトリエ派には辛口の氏の評論の中では珍し
く、この市庁舎のたたずまい、風貌、平面計画、使用された素材、ディテー
ルについて高い評価を与え、設計した象設計集団のコンペを乗り切った情熱
や理念を現実化した設計手法について書いてあった。そして、又、同じ設計
者が同じ沖縄の今帰仁村(なきじんそん)で設計した公民館に対して批判し
てあった。この文章が何となく頭の中に引っかかっていたと思う。象設計集
団自体は私自身あまり好きではなかったし、名護市庁舎も建築雑誌で見て知
っていて、奇抜さばかりが印象に残っていた。ただ、5,6年前長野市に谷
口吉生設計の東山魁偉記念美術館を見に行った時、ついでにその隣の長野美
術館に立ち寄って感激を覚え、切符売場のおばさんたちにこの建物の設計者
を知りませんかと尋ねたら、即座に2人が「林昌二さんですよ」と答えた事
件以来、林昌二さんが私にとって組織事務所の建築家としては珍しい存在に
なっていたせいもあって、この批評は気がかりであった。沖縄は別に行って
みたいという存在ではなかったが、沖縄を知っているかと尋ねられたら、ほ
とんど知らないに等しい。周りの仲間で沖縄に行ったという話はほとんど聞
いた経験がないし、沖縄土産を食べたというのも記憶にない。会社を辞めて
時間が自由になった今、心身共にたまっていた震災後の過度の疲労感を無く
す為、自由さを活用して夏休みにどこか旅行でも行こうかしらと考えはじめ、
どうせなら泳げる方がいいと漠然と考えた結果そうなった次第である。  
  沖縄は基地問題で揺れ動いている。でも、旅行をするにあたって、それは
消化されない関心事であることも自分自身で気づいていた。精神的に疲労し
ている状態の自分の中では、国の政策が一部にとって理不尽なのは仕方がな
いという弱気な意見と、他人事にしか感じられないでいる部分があるのは事
実である。積極的な回答を導き出せない以上、この旅行は観光旅行であるこ
とと割り切らせていた感じもある。
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エメラルドグリーンの海 ――― 8月27日




1.大雨の関西から晴天の沖縄へ

出発の日、8月27日は夜半から雨が強くなった。7時前に起きて、食事 ・片づけが終えて出発時間の8時前になっても、強い雨は止まなかった。  那覇到着は13時55分の予定で、空港からレンタカーが利用できると聞 いていたので、あらかじめ空港近くのそば屋で昼食をとることにしていた。 機内食は出ないと聞いていた為、大阪空港で簡単に何か食べることにした。 空港2,3階の通路沿いの店や滑走路の見えるパーラーは国際空港が関西新 空港に移ったせいで、以前のような活気も店そのもののにぎわいも失ってい た。滑走路にひしめいていた各国のジェット機の姿もなく、本来ならば飛行 機にとってラッシュの時間帯であるにもかかわらず、雨の中に2,3機が飛 び立っていった。国際空港時代の狭かった滑走路が広すぎるようにさえ感じ た。 飛行機の座席は主翼の後ろ左側の喫煙席で、飛行機は定刻に出発した。滑 走路の南端で一旦深呼吸をすると、飛行機は猛烈なスピードで走り出し、軽 い衝撃と共にぐんぐん空へ飛び上がる。急な加速で座席に押し付けられなが ら、Kは何枚も写真を撮っていた。すぐ雨雲の中に突入し、シートベルトを はずす頃、やっと晴天の雲海の上の景色になった。30分もたっただろう頃 からサービスで配られたサンドイッチとジュースをたいらげ(私はGと2人 で炊き込み御飯の弁当をもらったが、サンドイッチも炊き込み御飯も結構お いしくて、付きあわせのパインやオレンジなどのフルーツと共に全員残さず 食べた。)海の上を飛び始めてから景色に退屈しかかっていた時間をやり過 ごすことができた。夏休み中ということで機内のテレビではどらえもんを放 送した。そのどらえもんが途中できれて海に浮かぶ島の映像に変わり、沖永 良部島上空を通過中と機内アナウンスがあった。まさにエメラルドグリーン の海の中に浮かぶ島々。さあ、沖縄だ。 島の滑走路に降りるときは、ずっと海の上を低空飛行しながらアプローチ していく。長い防波堤に沿ってゆっくりと降りていく。この時間が長く感じ られたが、前方のテレビでは、船が浮かぶ海の上と長く伸びた滑走路を映し 出していた。そして、窓の景色から海がなくなったと思う間もなく、飛行機 はドンと着陸し、激しい逆噴射でぐいっと減速した。着陸してから飛行機は かなりの距離を走った。広い空港だと感心した。しかし、争うように飛行機 から降ろされて、1階の荷物ロビーに辿り着くまでの混雑といったらなかっ た。ターミナルビルの容積に比べて、滑走路の面積がやたらと大きい気がし て、有事の際の軍事空港として利用する為の広さかなと考えた。飛行機の窓 から見た沖縄は、何となく大阪よりも涼しそうにみえた。もう沖縄の夏も終 わってしまったか? 荷物は20分ほどで手にした。旅行社の説明書により1階玄関口でオリッ クスレンタカーのプラカードの所で待ち、旅行客を点呼確認し終えるとプラ カードの男に空港の外に待機していた小型バスまでぞろぞろと連れて行かれ た。ターミナルビルの玄関を出た途端、むわっと熱風が来た。暑い!すごく 蒸し暑い。バスに乗せてもらい那覇市内へ向けてどんどん走った。空港から の広い道沿いは、やしの並木が両側に続いていて中央分離帯の植栽も南国風 である。ガイドブックで見たパイナップルハウスのでっかいパイナップルも 見える。ああ、やっぱり沖縄だ!
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2.旅につきものの意外な発見


  15分ほど走り、レンタカー会社まで連れて行かれた。その道筋で、かな
りデザインを頑張った学校や住宅を沢山目にした。最初から意外な発見があ
ると、旅の期待はいやが上にも膨らんでくる。借りた車は新車に近いHONDAの
シビックだった。乗った感じはまあまあといった所だった。時計は3時頃に
なっていて、食事を後回しにしようとした当初の計画に甘さを感じた。やや
焦っていたし、若干疲れていた。機内で食事をした分、時間的にはトントン
だと思い直して、まずホテル『かりゆしアーバンリゾートなは』にチェック
インした。
  この日しか那覇の市内観光は考えていなかった。計画した見学コースをま
ず確かめてから、余裕があればさっき目にした建物を見に戻りたいと考えた。
チェックインを済ませて案内された部屋は、比較的広いトリプルベッドの洋
室だったが、水周りはバストイレ一体型のユニットバスで、ホテル内には大
浴場はなかった。荷物を置くと、外出した。ホテルのドアはカード式のルー
ムキーだったが、これを使ったのは初めてだった。車に乗って、先ほどのレ
ンタカー会社の辺りへと向かった。10分足らずで到着した。
  デザインの面白い学校は那覇西高等学校だった。生徒がかなりの数、クラ
ブ活動をしていたので、学校内が開放されていて、ゆっくり内部を見ること
ができた。事務局前のロビーらしき所に模型が飾ってあって、学校の全貌を
見て取れた。設計は近代設計と渡久山建築事務所の共同設計となっていた。
立方体、丸屋根の建物をベースに、幾何学的な固まりを複雑に付け足してい
ったような形になっていて、その付け足し部は倉庫、資料室、研究室などの
諸室の、出窓風な大きな開口部になっている。そして3,4棟の校舎棟は、
全体として、空中廊下や開放的な中庭、外部廊下で繋がっていて、手摺りや
パラペットには蜂の巣状の開口や穴明きブロックのはめ込みが施されている。
仕上げは教室内天井を除く内外ほとんどがコンクリートの打放し仕上げで、
格子梁の天井デザインが多用され、多彩な造形と呼応して、全体としてみす
ぼらしさや下品さは感じられなかった。運動場の端からまず全体を眺め、正
面玄関のアプローチからゆっくり内部へと足を運んで、中庭を通り、校舎の
裏へ出て、再び運動場側へ出た。褐色でボーイッシュな女子サッカーのキー
パーの子が、Gを見つけると、片手を上げて「やぁ」とまるで外国人のよう
な挨拶をした。
  校庭では他に野球部のノックや、男女のハンドボール部が合同で、かなり
真剣なパス回しを繰り返しやっていた。ふと、その遠方を見て驚いた。運動
場の向こうは小高い丘になっていてマンションや個人住宅が沢山建っている。
消防署もある。そのほとんどどれもが屋根(大抵陸屋根で勾配屋根が少ない)
の上に柱を突き出して高架水槽を乗せている。そしてその囲いや手摺りやパ
ラペットには蜂の巣状の開口や穴明きブロックのはめ込みが施されている。
周囲のデザイン表現がこの学校と共通しているではないか。そしてざっくり
見た感じ、木造らしき物が見当たらない。そっちの方へ行ってみようという
ことになった。住宅周辺をぐるぐる車で走り回って、いろいろ考えを巡らせ
た。この時の直観的な推察はざっと次のとうりである。(但し、旅行の全行
程を終えて、自宅に帰ってから文献に接するとかなりの誤解と思い違いがあ
る)

  1.    家がどれを見ても大きくおおらかである。人口に比べて土地が多く、
      安価なのではないか。また、中国や朝鮮に似て沖縄の人たちは隔家族
      化に迫られず、幾世代かの同居、若しかしたら兄弟も一緒に暮らして
      いるのかもしれない。

  2.    この周辺は金持ちの多い新興住宅街ではないだろうか。コンクリー
      ト造の家が多いのは台風の直撃が多いからと思える。打放しが多くタ
      イルなどの仕上げがほとんどないのは、塩害のせいで仕上げがもたな
      いのではないか。木造的な一見華奢にみえるデザイン、例えば切妻屋
      根の軽い軒先や板張りの仕上げ、または柿葺(こけらぶき)の塀など
      がないのは、そういうデザインがこの土地に伝わらなかったのではな
      いか。
  
  3.    強い陽射しを避ける為、バルコニーや庇が1m50pから2m近く
      周囲に張り巡らしてある。それを、勾配屋根にすると視界を妨げる為、
      陸屋根になっているのだと思った。それにしても2階のテラスの広い
      こと。15から20帖くらいは十分ある。

  4.    前出の、高架水槽の囲いや手摺りやパラペットの、蜂の巣状の開口
      や穴明きブロックのはめ込みのデザインを施すのは沖縄の古来からの
      手法であろう。どの家にも共通のデザインボキャブラリーがあって、
      町並みとしてよくまとまっているのは、韓国など、儒教の国々の人々
      の習慣に見られるように、沖縄にも、かたくなに継承されているデザ
      インがあるのではないか。どの建物も、窓や扉等のデザインを蜂の巣
      状の開口や穴明きブロックに呼応した、幾何学的なパターンでよくま
      とめている。そして、どれものびやかで、安っぽくないし、せこくな
      い。それは、とってつけたような小庇やアーチ型の玄関ポーチや軒先
      のモールディングというような、建て売りっぽい装飾的な要素が少な
      く、全体として造形で勝負しているからだと思った。

  5.    よく見ると沖縄独特の太目地押さえの赤い瓦葺きの勾配屋根もなく
      はない。ただしどういうタイプの家であれシーサーはある。壁に近い
      塀の上に乗ったもの、屋根に乗ったもの、門柱の上に乗ったものなど
      様々である。小さい塗り物のシーサーは、何となく規格化された最近
      のものという感じがするが、古びた様子の大きいシーサーは造形が比
      較的自由とみえて、それらの表情を見るだけでも楽しい。
  
  シーサーとは沖縄の狛犬のことで、獅子さまがなまってそう呼ぶらしい。
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3.壷屋の陶器と市場の食事


  6時前にホテルに戻り、車を置いて、タクシーで壷屋通りまで行った。沖
縄はタクシーの初乗り運賃がまだ440円である。(ちなみに、コーヒーは
180円の店もたくさんあって、高い店でも300円。)壷屋通りは、ひめ
ゆり大通り側の入り口から平和通りへと抜ける、800m足らずの壷屋焼き
の窯元が集まった商店街である。通りの入り口にはガジュマルの大木があり、
その足元にシーサーと、陶板でできた壷屋焼きの説明板がある。それには、
上釉のない素焼きを荒焼きと呼ぶと書いていた。その裏には竜頭の吐水口が
あった。端の店から入ってみた。骨董屋風の店で、10万円以上の値段が至
る所についていた。ぐるっと眺め回してすぐに出た。2,3軒めは土産物屋
の雰囲気だった。店の外からしばらく覗いたが入る気がしなかった。通りの
半分ぐらいの店が閉まっていて、次に入った店では、迫力のあるシーサーに
目が止まった。直感的に、この店でシーサーを買おうというつもりになった。
シーサー以外の茶道具なども、形もいいし値段も手ごろで、この店で他の土
産ものも全部買うことにした。念のため他の店も回ることも考えたが、時間
もさほどなく、明朝早い時間から開店するならばもう一度来てもいいと思っ
たが、開店時間を聞くと、明日は休みですと言う。それじゃあ、ということ
で腰を落ち着けた。買ったものは宅急便で送ってもらうこととした。この店、
小橋川陶芸店は永仁窯といい、残った時間で他の店も何軒か覗いたが、一番
誠実さを感じた。この10年間ぐらい陶器を買う習慣がついて、自分に合っ
た匂いのようなものが自ずと感じられる。私は、(特に骨董屋などで)陶器
は人の好みだとか、出会いだとかと、のたまうような人は好きではない。本
当にいいものは、およそ万人にとってもいいものである。ごり押しの説明で
買い手をその気にさせたり、よくない安物を平気で勧める商売気の多い店は、
うさんくさくて嫌いである。店の人の顔つきだけで、勝手に判断して帰るこ
ともある。
  買いたいものが買えた満足感を抱いて、少し北の路地に外れてみた。いか
にも古い窯元の家が数軒並んでいて、垣根越しにかなり古い登り窯もちらっ
と見えた。後でどこかのパンフレットで読んだが、重文級のものもあるらし
い。小道に沿って、苔むした石垣が続き、シーサーののった沖縄の古民家の、
重厚な赤い瓦屋根の家並みがあった。石垣には、陶器の丸い飾りや、石敢當
(いしがんとう)と書いた表札大の石が嵌め込まれていた。玄関前や道の交
差点、突き当たりなどに沢山石敢當は見られた。石敢當は、魔除け、病気よ
けの類で、シーサーと同じ目的のものらしいが、石の持つ呪力に効能がある
らしい。
  平和通りへ抜けて、牧志第一公設市場を探した。この市場では、買ったも
のを2階の食堂で食べられるので、ここで食事しようと決めていた。この辺
りは、東南アジアのような迷路のような商店街だった。大した案内もなかっ
たが、店と店の間の細い通路を入ると、公設市場にたどり着けた。この市場
は小店舗がぎっしり詰まっていて、肉・野菜・果物・魚介類がおびただしく
陳列されていた。食べるにあたって、ブタの頭あり、足あり、色とりどりの
でっかい魚あり、伊勢えびも、かにも、と何をどう選んだらいいのかわから
ないし、値段もわからない。はりせんぼんやえびやかにをおばさんがしつこ
く買えという。とりあえず魚がいいだろうと思って、4,50pの真っ赤な
魚の切り身を見ながら考えていると、どうやって食べるか?味噌汁か?と聞
いてくる。それにすると言うと、何人前か?と聞く。3人と答えると大きな
片身と3切れの切り身を袋に入れて1000円と言った。刺し身も欲しかっ
た。刺し身と言ったものの、どれにするかと言われると名前もわからないし、
返事に困った。適当に1000円ぐらいで作って、2階へ持って行ってやる
と言うので、そうしてもらうことにした。2階は、スーパーマーケットの中
に、懐かしい食堂を詰め込んだような食堂街で、中央のエスカレーターに向
けて、みんなオープンだった。店の人はどうも皆中国人のようだった。最後
に魚を買った店のおばさんが、店に連れて行ってくれて、みそ汁を注文して
くれた。日本語の不自由な美人の女の子が注文を聞きに来たので、ゴーヤチ
ャンプルー(にがうりの入った焼き飯)2人前とジュースとオリオンビール
(沖縄産)の生ビールを頼んだ。
  しばらくして主人が来て注文がないかと聞いた。とりあえず食べてから頼
むことにした。味噌汁は少し苦い青菜と揚げ豆腐を魚と一緒に入れて白味噌
で甘く焚き、たっぷりあった。Kは味噌汁の魚が美味しいと言う。
焼き飯を沢山食べた。焼き飯はまさに中華料理の味だった。刺し身がいくら
待っても来ないまま、主人がまた来て注文がないかと聞いた。神戸でも経験
があるが、中国の料理人は、とにかく食卓に食べるものが山のように並んで
ないと自分の誠意が客に伝わらないと感じるらしく、しきりと気にしていた。
ゴーヤをHが嫌がり始め、今度は卵の焼き飯を注文した。MWはかにを頼も
うといって、焼きがにを頼んだ。これは我々の想像に反して、あっさり焼い
てポン酢で食べるようなものではなかった。味噌で辛く焼いてあって、極力
箸でつついたが、結局辛すぎて食べることを断念した。我々の後から、隣の
テーブルでおいしそうに食べられていた蒸しがににしなかったことが残念だ
った。しばらくして刺し身が来たが、エメラルドグリーンや赤の皮をつけた
まま切ってあって、そのグロテスクな色の割には、味は淡白でこくがなく、
皮のまわりがとても固い。あと、固いタコと紫蘇味のような貝と帆立貝の貝
柱のようなものが盛ってあった。ここではワサビ醤油で食べたが、刺し身を
ワサビ醤油で食べさせたのは、この旅行中でここだけであった。私は追加で
泡盛を1合だけ追加した。料金は下で2000円、食堂で6500円払った。
8時半を少し回っていた。
  平和通りの商店街では、店じまいが始まっていた。明日から旧盆につき休
みます、という放送も聞こえていた。店の人同士の会話もそれに関する挨拶
のようだった。そう言えば壷屋焼きの店が半分閉まっていたっけ。この商店
街は昭和30年代を彷彿とさせる懐かしい、ごちゃごちゃした商店街である。
シーサーや民芸品に混じって衣料雑貨がところ狭しと並び、かつおの削り節
のかたまりやサトウキビ、黒砂糖やそれを揚げたお菓子、黄緑のバナナの房、
パパイヤ、マンゴー、シークワ―サーなどが我々が日頃通う市場の野菜と一
緒にずらっと並んで、甘ぐさい匂いに満ちていた。
  国際通り(ここは那覇一番の繁華街)に出ると、フェスティバルビル(安
藤忠男氏設計)はもう閉まっていた。100mほど歩いて、少しみやげの酒
でも見ようかと店に入ろうとしたとき、MWが気がついた。Kの背中にリュ
ックサックがない!
 「あ!」と小さく叫んだかと思うと、Kはいきなりさっきの店に戻ろうと
ダッシュした。みんなが後を追った。私はGと通りをゆっくり歩いて戻った。
何しろ、迷路である。
さすがにカンのいいKも公設市場までたどり着けず、商店街の中央に立って
考えている所へMWたちが追いついたらしい。Gと一緒に市場の前まで着い
たとき、ちょうど3人がドアから出てくるのが見えた。Kはリュックを背負
っていた。みやげの酒のつもりで泡盛の古酒「琉球王国」を1本買った。ホ
テルに戻るまでに、沖縄のBig  Dipのブルーシールアイスクリームを食べた
くて、カンを便りに探していたが見つからず、サーティワンがあったのでそ
れで済ませた。後で見るともう2,30m歩いたらBig  Dipにたどり着いて
いたらしかった。店から出ると、目の前に黒川紀章さん設計の沖縄県庁舎が
どっかりとあった。今日、車から何回となく目にしてはいたが、近寄りたい
と思わなかった。タクシーを拾ってホテルに帰り、シャワーだけ浴びて、土
産のはずだった泡盛を少し飲む。
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