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中 村 家 に 行 っ た 日 ――― 8月30日



1.ホテルの朝食に飽きてきた

2.現代的だった中村家

3.どしゃ降りの雨の中で

4.沖縄の人ほど食べられない

5.そして沖縄旅行は終わった


1. ホテルの朝食に飽きてきた


  今朝もまた明るさで、6時半に目が覚めた。朝食は昨日と同じメニューで、
今朝は和食にした。ホテルの味に飽きてきた。何を食べても共通の匂いが有
る。簡単に、ご飯と味噌汁と煮物と茹で卵と。皆、あまり食が進まない。適
当に切り上げたあとで、ホールの朝市に行った。色々とあるが、恩名村の海
ぶどうとアーサーのりというのを買った。沖縄では海草はほとんど取れない
ようで、こういうのを売っていた。海ぶどうは小粒の玉が沢山ついた生の海
草で、試食すると意外にあっさりして甘かった。アーサーのりは潮の香りの
するおいしい生のりだった。他の沖縄銘菓にはどうしても手がでない。どこ
かしら黒砂糖のにおいが鼻について、試食もしなかった。
  ホテルをチェックアウトして8時過ぎに出発した。この旅行で思い残した
ことといったら、沖縄記念公園のことぐらいで他は満足していた。名護の方
へしばらく走り、許田というインターチェンジから高速に乗った。かなり空
いていて、もうここまで来ると距離感もつかめていて、那覇まで47km程度
しかなく9時頃には那覇には着けるはずだった。時間に余裕があるので、中
城(なかぐすく)で降りて中村家を見て、更に余裕があれば西原町の沖縄キ
リスト教短期大学にも行こうということになった。
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2.現代的だった中村家


  中城で降りて道に迷ったが、谷へ下り、山に登りしながら何とか中村家に
はたどり着けた。250年ほど前に建てられたというこの住宅は、山の頂付
近のところにあって、もう少し登ると中城の城跡があるほどである。駐車場
も結構広くて、大きな2階建ての券売所があり、目的の住宅はその奥にある。
戦火激しかった沖縄で、現存する貴重な生活の資料でもある。住宅街の中に
あって、周囲に保存されたものが無いということがこの建物について考えを
巡らせる契機となった。全体がきちんと残っていて、建物だけでなく外回り
にも感心させられる。

  山の南向き斜面地の一部を平らに切り取って敷地を造成している為、3方
は石積み擁壁に囲まれている。北側に立つと視線が屋根の上に行くほど斜面
は急である。(つまり、こちら側からの火災による延焼は考えにくい。)周
囲には山の木が沢山あって、十分防風林代わりになる。また、南側は道路で、
石積みが道路面より1m3,40cm上がっていてその内側にヒンプンという
塀があるので城の外郭のような造りである。そして、この側だけフクギ(福
木と書く)の防風林がある。平屋のこの住宅はアプローチからは屋根しか見
えない。いかにも台風には万全の体制である。だから、残ったのであろう。
建物配置とその隙間、いわゆる外部空間はこれ以上の間合いがないほどで、
小さな庭が現代のスケールに近い。つまり、浦添の美術館で見たような寸法
の極限化がここでも行われていて、メーヤヌー(家畜小屋)の寸法は驚くほ
ど小寸である。動物虐待も甚だしいが、生活を切りつめるとはそういうこと
であろう。フール(豚小屋)については学校で習った中国のやり方に似て、
人糞を直接豚に食わせる装置だと考えながら見た。

  倉は中庭に面して、言わば敷地内の一番いい位置にある。大事な食料を収
蔵する上で風通しと日当たりの良い清潔な場所が望ましかったのか、日常の
生活条件を妨げながらも、いざ台風などの非常時には、人命を保護するもの
として扱われたかわからないが、アシャギ(客間)の向かいにでんと構えて
いる。上が広がった存在感のある建物である。

  家が大きいとはいえ、日頃見聞きする金持ちに比べたら小住宅で、間取り
とその活用性を問えば効率は現代の小住宅に叶わないだろう。しかし、少な
からずウフヤ(母屋)の裏座という名の、納戸兼化粧室兼女中部屋兼書斎な
るものが、この規模で4室もあり、アマハジからトゥングワ(台所)に至る
まで自由活用の生活がリッチに感じられて、思わず自然観察力と精神性に富
んだ人間生活を想像せざるを得ないのであった。但し、ここに書いている私
の印象は、この中村家が田舎の1軒家ではなく、周囲の状況から昔の中城の
城下町の都市住宅だと感じているので、そういう状況の中で都市生活者だっ
たと感じて、生活を想像しながら書いている。そして、住宅の平面はといえ
ば、普通これくらいの古い民家であれば、田の字型の和室の構成が基本にな
っていてこの住宅もそうなのだが、座敷の間に押し入れがある。その辺がま
るで現代住宅的で、井戸やメーヌヤー、フール周りの空間構成も現代住宅に
参考になるものが有る。敷地は裏の山も取り込んで広いのだろうが、実際は
建ぺい率が50%程度で、建坪90坪程度の住宅と感じた方が自然である。

  この住宅を見学し始めた時は晴天だったが、30分ほどで西から黒い雲が
やってきた。どしゃ降りになりそうな雲だった。昼までには一雨来るかなと
考えていた。券売所は休憩所にもなっていて、黒砂糖の菓子とお茶(冷えた
麦茶)の無料サービスがあり、土産物も並んでいたが、それに混じって沖縄
戦の記録写真集や読み物がある。どの本もかなり古いもので昭和3,40年
代の本だった。編著太田昌秀となっているのもたくさんあった。この店でハ
ブ酒を試飲した。ハブがまるまる1匹入っていたが、泡盛の匂いも飛んでい
て甘い変わった味がした。
  その味が何かずうっと考えていたが、神戸に帰ってきて母がサトウキビな
どで味をつけるらしいと言って、ああ、それだと納得した。座ってくつろい
でいるとざあっと雨がやってきた。大した降りではなかったので車に乗り込
んだ。
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3.どしゃ降りの雨の中で


  駐車場を出て右の方向が中城城跡と聞いていたので、細い道を下り始めた
が、途中からずっと山の上の方に城跡が見えてどうも違うらしい。Uターン
して駐車場前まで戻り、更に進んで右折すると広い道が開けていた。ここか
ら広い道は始まっているようで、ここが頂上だった。すぐ横に首里でみたよ
うな城の大きな門があり、そこから山の上まで石段とスロープが続き、うね
った石積みの外郭や擁壁が幾重も見えた。雨はだんだん強くなり始めた。傘
もないし、やめようということでそのまま道を下り始めた。前方に海が見え
た。

 雨はどしゃ降りになり、前方がほとんど見えなくなった。カーブしながら
降りて行くとすぐに本島の東側海岸沿いを縦に走る国道329号線に出た。
我々は中城に、山側の開かれてない方からアプローチしたわけである。まだ
10時過ぎだった。
  国道329号線も広い空いた道路だった。西原も隣町で近く、西原町役場
を通り過ぎようとしたので車を停めて、キリスト教短大の看板を捜したがな
かった。雨はずいぶん小降りになってこのまま上がりそうだった。国道沿い
に食堂を見つけた。のれんがまだ店内にしまってあったが、そこで道を尋ね
た。MWが入ったまま10分経っても出てこない。Kに見にやらせたがKも
出てこない。さすがに不安になって出ようとした時、店の主人と一緒に皆出
てきた。山の方を指差して主人が説明を繰り返した。礼を言って教えてもら
った方へ道を取ったが沖縄の人は親切だとMWが言った。あれこれ地図やら
資料をとことん探して何回も丁寧に教えてくれたらしい。

  雨は10分間隔でどしゃ降り、小降りを繰り返していた。どしゃ降りの中、
西原町役場の北側を山の上まで登ると短大はあった。真喜志好一さん設計の
この建物の新建築ガイドブックの解説は次の通りである。『大きく中庭を囲
むように構成され、すべてRC打放しでありながら、どこかイタリアの山岳
都市を想わせるキャンパス。直線的な空間のヒエラルキーを形成せず、水面
に広がる波紋のように重なり、絡み合うような無限定な空間関係が形成され
たのは、沖縄の自然と生活に密着した造形原理による。』ヒエラルキーとは、
ヨーロッパ中世封建社会などのピラミッド型の階層組織(三省堂、新明解国
語辞典)のこと。この文章を簡単に言えば、規則性が無くごちゃごちゃして
いて、それが沖縄の造形ですよということか。写真で見ると、造形的に面白
そうなこの建物は実際に見ると意外に規模が小さく大味である。これを書い
た人は実際に見たのであろうか。意味不明な難解なイメージで見たものであ
ると思う。

  雨が止んだら訪ねてみようと、正門へのアプローチの道路上に車を停めて
しばらく待ったが、かなり長いどしゃ降りになり周囲は洪水状態になった。
そして、コンクリート打放しの建物はしばらく雨に打たれているうちに、だ
んだん水の浸透が始まったとみえてだらだらと濡れ色になった。30分は待
ったであろう。止まない雨にしびれを切らして周囲の車が寄り付ける範囲で
見学した。造形は大味で関西風とはずいぶん違うものだったし、濡れ色の壁
に近づくと廃虚のようだった。11時も過ぎようとしていたのであきらめて
那覇へ向かうことにした。
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4.沖縄の人ほど食べられない


  329号線は走りやすかった。食事のことも頭にあった。マクドナルドと
ステーキの看板は市街地に近い場所ではどこにもある。でも、そば・うどん
やいかにも普通の食堂がどこにいっても目に入らない。那覇に入って、とに
かく見つけたら入ろうと思ったがなかった。ひめゆり通りと329号線のぶ
つかる大きな古波蔵(こはぐら)交差点の手前にまた面白そうな学校が見え
たが通り過ごし、ひめゆり通りを上がることにした。走っても食堂はなく、
残った金でお土産の追加を買おうと壷屋通りの前によった店で買い物をした。
さっさと買うと、市民会館の方へいけば食べられるかと思いまた車を走らせ
たがない!もう一度329号線まで降りてみようと市街地をがたがた走って
いたらやっと食堂を見つけた。

 やんばる食堂という名前で、おばさんが4,5人も店員でいるわりには、
客は20人そこそこしか入れない。メニューはたくさんあった。が、簡単が
いいということで、私がやんばるそば定食、Mがソーキそば、Kがお子様ラ
ンチ、Hがチキンナゲット定食にした。それぞれ5,600円で、安いので
簡単だろうと思ったのが大間違いだった。

  シークワ―サーが入っていると思われるレモン水を飲みながら待った。K
はお茶の方がいいと言って探した。まず、ソーキそばがきた。やや大ぶりだ
が、たっぷりスペアリブが乗っておいしそうだった。麺は前のきしめん丸太
りではなく、丸太いうどんのようだった。これは普通の感じだった。
 ところが、やんばるそば定食とお子様ランチにはびっくりした。食べてみ
たら分かるがそばは2人前以上ある。そしてどんぶりには飯がこんもりと山
盛りについである。そして煮物のおかずが1品。汁と漬物はない。やんばる
そばとは、野菜や肉をどばっと乗せたものだった。お子様ランチはハンバー
グ(ミニではない)、トンカツ1枚(1切れではない)ウインナーとフレン
チポテト、きざみキャベツ、我々が食べているのと同じそばのケチャップ炒
め(沖縄そばのスパゲッティ風と言う方が良いか)に4寸の平鉢にたっぷり
入った卵スープとやや小振りのどんぶりの山盛りご飯。Kはびっくり仰天し
た。ハンバーグを半分食べた時点で気合負けしていた。
 チキンナゲット定食(これが一番安くて450円だった。)はお子様ラン
チのスープを無くし、おかずのハンバーグとトンカツとスパゲッティをチキ
ンナゲットにしたものでHはご飯を殆ど残した。

  隣の50代と思われる普通の体型の夫婦が、各々やんばるそば定食を平ら
げた。他の人のそばの食べかたをみても、口いっぱいに頬張って一気に食べ
ていく。ゆっくり味わうと食べられなくなる、といった感じで。沢山残した。
食べないんだったら頼むなと言われそうだった。腹一杯になった。

  食堂から、昼前に通り過ごした小学校へ行った。年代順に増築していった
のがよくわかる。4回目が一番凝っていた。打放しと穴明きブロックのデザ
インである。今回の沖縄旅行は公共建築物(特に学校)見学ツァーになった
なぁ。
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5.そして沖縄旅行は終わった


  1時を回って空港に向かった。1時半にレンタカーを返す約束で、十分間
に合った。ガソリン代は4200円、300kmも走っただろうか。3時の便
まで空港で待ったが、ロビーも乗降口も人であふれかえっていた。座る所も
無く、ぶらぶらしているうちに3階にパーラーがあって、そこでブルーシー
ルアイスをやっと食べることができた。

 全部で10種類ぐらいしかなく、にべという紫のやつが食べたかったが売
り切れだった。それぞれすいかやパイナップルなどのアイスを2種類ずつ(
1匙をシングルといい180円、ダブルで360円)乗せてもらった。

  定刻に飛行機は飛び立った。大阪近くになって積乱雲が沢山湧いていて、
飛行機は高度を下げゆっくり飛んだが、がたがた揺れた。多分地上は荒れて
いるだろうと思った。降りてみると京都府南部に大雨・洪水警報が出ていた。

  大阪空港から三宮までバスにのった。満員で、我々が最後にぎりぎりに乗
れた。阪神高速空港線が混んだ以外は順調に走った。震災後復旧した阪神高
速に初めて乗って、深江から生田川まで10分ほどで来たとき、10数年前
と同じ経路で当時と変わらないスピードで空港から帰ってきたことに気づい
て、感慨深いものがあった。神戸は涼しくなっていた。金曜の夜7時頃、新
快速で三宮から西明石まで帰った我々のサンダル履きで海水浴帰りの姿は、
ちょっと人目を引くものだったようである。
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