ビジョンづくりの土台環境問題のことで、日本からドイツへの視察は、官民を問わず、たくさーん行ったと思います。その成果が出てるのかどうか、私にはわかりません。
やり方を真似るのもいいと思いますが、その源にあるドイツの思想はどんなものなのか?って興味を持ちました。
それでビオトープに関する子供向けの本を図書館で借りてきました。そしたら最初のほうに「多種多様の生き物が、ありのままに存在するのがいい」ということが書いてありました。
一枚の絵に様々な動物、植物が書かれており、その絵は「自分の足の下に、どれだけの生き物が生きているか」ということを教えるためのものだそうです。
そんでもってドイツの人々は、河川からコンクリートを引っぺがし、多様な生き物が生きていける空間「ビオトープ」をつくり始めました。さらには旧い地図を引っ張り出してきて、真っ直ぐにしちゃった河を、昔の曲がりくねった姿に戻すことまでしているらしい。
それから植物でいえば「緑のものを沢山植えれば環境にいい」と短絡的に発想しがちですが、やはりその土地の植生に合ったもの、昔からそこに生えていたものでなければ、生態系を崩すことになるから、それは環境を破壊していることになるんですって。
「多様なものが、あるがままに存在する」ってのは、ドイツの環境政策の第一義かどうかわからないけれども、かなり重要な位置を占めているものだと感じました。
「多様なもの」には、「悪」も含まれることになりますが、そもそも善か悪かの判断は難しいですね。作家の塩野七生さんの見解を引用します。
モーゼの十戒このうち、5から10までの6項目は、ユダヤ教でなくとも適用が可能な、宗教を超えて普遍のものである。
- おまえは私のほかに、何ものをも神としてはならない。
- おまえは自分のために、刻んだ像をつくり、それを崇拝してはならない。
- おまえは、おまえの神の名をみだりに唱えてはならない。
- 安息日を覚えて、それを聖とせよ。
- おまえの父と母を敬え。
- 殺してはならぬ。
- 姦淫してはならぬ。
- 盗んではならぬ。
- 隣人について、偽証してはならぬ。
- 隣人の家を、侵してはならぬ。
衆議院欧州各国憲法調査会報告書(H12.11)より
あえて悪を定義するならば、5から10までの6項目を破る場合が悪、といえるかな?
1997年、当時自治大臣の白川勝彦先輩と当時の大島誠理事長が対談しました。そこでのお話を引用します。
白川:自由主義というのは、みんながいい方向にいくとは限りません。必ずトンチンカンな方向、もっと言えば悪いことをする人が出てくるのもしょうがありません。しかしまぁ心配するな、と。7割くらいは健全な方向にいくだろう、3割くらいは問題児がいて、1割ぐらいは明らかに落第生がいると(笑)。
人間あるいは3300の地方自治体が「規制をはずした途端にデタラメをするだろう」と思っている人たちは元々自由主義ではありません。
国であれ、一つの社会であれ、「7割ぐらいが健全な方向へ向かっていけばいいんだ」という、まずこの前提がなければ、自由主義国家の統治は成り立ちません。
◆
白川:悪への免疫力は悪を為すことによってしかできない、というのが私の思想です。人間は抵抗体をもっています。一度、少々の悪をやっても気分がよくないですから、悪を犯さない人間になるのです。
何割かの問題があることも社会全体から見れば、悪への抵抗力をつける一分野であって、決して悪が悪のまま固定はしていないですよ。逆に健全な人が永久に健全であるという保証もありません。「あんな立派な人が?」という実例がね(笑)。しかし、健全な人は悪へ入っても必ず戻ってくる力をもっています。
あるお寺の前を通りかかったとき、大きな貼り紙がありまして、こう書いてありました。
「みんな違って、みんないい」
まぁ、よく見聞きする言葉だと思いますけど。
『文藝春秋』2001年12月号。慶應義塾幼稚舎長の金子郁容氏と慶大助教授の福田和也氏の対談「暴力をどう教えるか」より。
金子:9月に米国同時多発テロが起きた際、「この事件についてなにか子供たちに話すべきか。話すとしたら、どういうふうに話すか」ということがまず脳裏をよぎりました。
◆金子:結局、二度話しました。最初はテロから数日たった頃で、「テロはたしかに悪い行ないだ。が、世の中にいい人≠ニ悪い人≠フ二種類の人間がいるわけじゃない。誰にもいい人と悪い人の部分があり、他人を助けたい、と思う反面、やっつけたいと思うこともある。それは私もそうだし、君たちだってそうでしょう」と。
◆(中略)子供たちにしてみれば、学校では絶対に暴力はいけないと教わっているのに、世界の大人たちは攻撃しあい、しかもそれぞれ自分が正しいと言い張っている。どうなっているんだろう・・・・・と疑問を持つのは当然です。◆そこで、二度目には「世の中には暴力はある。ルールがあるかないかが大事だ」という話をしました。
(中略)しかし中にはルールが通じない相手がいて、争いごとが起きる。そのときどうするか。君たちが大きくなったら、ルールを守る一方で、よりたくさんの人々が共有できるようなルールを作っていく努力をしてほしい・・・・・そんな話をしました。◆福田:内と外の格差、つまり「自分たちは自分たちのルールを守らなければいけないが、それが通じない世界もある」という感覚を子供たちに学んでもらう、感じてもらうのは非常に大事なことだと思います。大人になれば自ずとわかるだろう、で済ませるのは、現実逃避に過ぎません。
(中略)◆金子:中には「あんなことをいうと暴力を是認していると子供たちが思うのでは」ということで怒る先生もいるわけです。大人より、かえって子供のほうが直感的にわかってくれる(笑)。(後略)
「グローバリズム」と「ナショナリズムorリージョナリズム」みたいに
「相反することだけど、どちらも重要」ということが多いと思います。
どちらか一方を盲目的に信じるのではなく、どちらも合わせ飲み、ゆらゆら揺れながら、バランスをとる....そんな包容力(というのかな)が、まぁ大事ではないか、と。ダブルスタンダード、優柔不断もある程度しょうがない、と。
それには「確固たる自分」てのが大事でしょうな。それがないと、たださまよっちゃって、何が何だかわからなくなる。
そういえば数年前の日本JC会頭は「心のスタンダード」と言ってたけど、そういう意味だったんかな。
今、個人の趣味や考え方などは多様化がかなり許されています。開会式のハトのように自由に心を羽ばたかせる、「それが心の豊かさだ」ってのもわかりますが...。「茶道体験」を通じて感じたことは、自分を律することでも満足感はあるってことですね。作法とか伝統とか、決まりきった型にハマってみるのは、多様化とは逆方向ですが、それでも豊かさを感じることができる、と思いました。
これは、説明不要か。
「無常」とビジョン../a20-column/2004-mujyou.html
世界中を探さなくたって、身近にいい言葉があるじゃないっすか、「第一義」。
でも意味は、もう少し良く調べなければ。(2月の体験学習会)
上越JC内部では、こういう解釈がされています。
- この世に存在するものすべて移り変わらぬものは何ひとつとてない。
- この世のありとあらゆるもの事物は、ひとりでに生じず、単独でも存在しない。
- わけへだて、とらわれ、こだわりなき心にやすらぎがある。
これも説明不要か。