転職活動を終えて  2005.10.6 番場洋子

転職活動を終え、少なくともこれから3年間、働く職場を決めました。
転職はせず、現在勤務中の株式会社堀場製作所に勤務し続けます。

短時間労働正社員(一日7時間勤務)という契約です。
さらに、通常なら、短時間社員はその分お給料が少なくなるのですが、
競技活動支援金としてそれを補てんしていただけることになりました。
つまり、おそらく日本初のセミプロのオリエンティアになりました。
このような決定になった流れと、沢山の方への感謝、今の思いをここに残しておきたいと思います。

 
1.残業なしワーカーへの憧れ

2005年の世界選手権は日本開催だったため、事前にいくつかの国がトレーニングキャンプに訪れた。
主催国選手のメリットとして、強国のトレキャンに参加し、強国の選手とコミュニケーションが取れることがあった。
私は、イギリスとスイスの合宿に参加した。そこで彼らの日常生活について聞いた。
彼らは全員、学生もしくは仕事をしている人でもハーフタイムで、フルタイムワーカーはゼロ
日本人選手は多い日は一日14時間ぐらい働いている、なんて話をしたら、目を丸くしていた。

また、日本チームコーチであるイーキス氏(Finland人)に強国北欧選手について聞いてみると、
やはりフルタイムワーカーはゼロ、プロもしくはハーフタイムワーカー。
彼らは、競技を辞めた後、苦労しないのかと聞いてみると、
「彼らは、目標に対してコミットメントする能力を持っている。
企業としても、そういう人間がほしいし、  競技生活に取り組むことは、就職という観点から見ても全くマイナスにならない。」
とのこと。
この話を聞いて、本気で競技をやって結果を残したら、日本でも、競技をやめた後でもなんとか生きていけるかもしれないと思った。
(また、彼は日本人の働き方を見て「日本のFull timeは、Additional time workerで、ヨーロッパのFull timeとは違う。」といった。)

カナダ人、サンディの世界選手権での活躍も頭に残った。非ヨーロッパ勢で初の10位以内、Middle 9位という成績をおさめた。
彼女とは、どこの大会だったか忘れたけど、一緒に激しくミスをした仲?で、そんなに手の届かない人とは思っていなかった。
彼女はお医者さんで、以前はひどいときは一日20時間ほど働いていたらしい。
しかし、この春、これではいかんと仕事をHalf timeに変えたそうだ。
その矢先の9位。彼女は目を輝かせて、来年は6位目指すわって言ってた。

日本では、オリエンテーリングはメジャーではないので、Half timeで生きていくのはできない。
だけど、せめてヨーロッパのFull timeにならなきゃ、彼らと戦うトレーニング時間は確保できないんじゃないか、
と考えるようになった。


2.さらに正社員に限界を感じる。

正社員というのは、残業がある分、待遇がよく、そして責任もある。
正社員である限りは、いざというときに仕事を優先なきゃいけない。多分世間一般的には常識的な考えだろう。
世の中には色々な勤務体制がある。
責任なく、一定時間だけ仕事をしたい人は、派遣社員、契約社員などその目的に合わせた立場にいるべきだ、
というのが私の考えだった。

正社員で一年ちょっと働いた。年末にかけて忙しかった。そして、うちの職場はみんな遅かった。
一度、8時半ぐらいに帰ろうとしたら、(別に嫌味ではなく普通に)「もう帰るの?」って聞かれたこともあった。
誰も帰らない中で、1人、帰るのも、ものすごいエネルギーが必要だった。
仕事で疲れて、そのエネルギーがなくなり、だらだら仕事を続け、ほんとにノートレになる、
といったことを何回も続けた。忙しいこととか、肋骨の骨折とかを言い訳に、結局冬の間の体力アップは果たせなかった。

また、うちの職場は、1人1製品、それぞれみんな自分の製品に責任を持って関わっていた。
私はまだペーペーなので、チームリーダーさんについてやっていたけど、春になる頃には、それでも十分責任を感じてきた。
でも、春になる頃には、8月も迫っていて、もう一時も無駄にできない、
仕事が忙しくて練習できないなんていえない状況にあった。
確実に私の中の優先順位が、オリエンテーリング>仕事になってきた。
そして、正社員としての限界を感じてきた。
5月ぐらいに、一度、部長さんに「辞めます」と相談しに行った。


3.転職の誘いと部署異動

8月の世界選手権の際、会社を自ら経営している倫也さんから「この秋にうちの会社で人を増やすかもしれない」という話を聞いた。
倫也さんの会社では、合宿用特別有給休暇がもらえ、残業はなく、かつフレックスで働かせてもらえる
(=朝or夜に長いトレーニングを行うことができる)という、スペシャル待遇選手雇用制度があった。
その話、もし枠があるのなら、是非手を上げてみたい、と思った。

一方で、私は一応、ペーペーなりに抱えている仕事というのを持っていた。
忙しい先輩たちを巻き込み、迷惑をかけて仕事をしているのに、これをほっぽり出して辞めるわけにはいかない、
仕事にきりがつくタイミングと、倫也さんの募集のタイミングが合ってくれるといいなぁと、願っていた。

そんな折、9月20日付けで、部署異動になる、と部長さんに言われた。
私が製品に責任を持ってやっていけるような立場ではないことを理解してくれた上での異動だったそうで、ありがたい配慮だった。
でも、この異動があったために、仕事に切りがつくタイミングと倫也さんの募集のタイミングが合う可能性がゼロになった。
10月ぐらいから仕事を教えてもらったら、明らかに、今年の秋・冬には辞められない。
ただでさえ周囲に迷惑を掛けまくっているし、これ以上職場の人に迷惑をかけたくない。
辞めるなら、比較的やめても誰にも迷惑がかからない今だと思った。

 
4.退職・転勤決定まで

部長さんに相談に行った。新旧所属部署の部長さんという、大御所の二人が、何度もお時間をとってくれ、話を聞いてくれた。
新しい部署の部長さんとはほとんど話をしたことがなかったのだが、非常に魅力的な人だった。
また、こんな頃に限って、先輩とよくしゃべったり、お世話になってる人にますますお世話になったりと、会社・職場自体にもまた魅力を感じた。
非常に、非常に、悩んだが、最終的に、私は辞めようと思った。

最終的な理由は、場所だった。(今の予定では)私は将来的には関東に行かなきゃいけない。
だったらその後のキャリアを考えても速く移動したほうがいい。
また、関東には競技をやっている人がいっぱいいる。西には少ない。絶対に、競い切磋琢磨する仲間が近くにいたほうがやりやすい。
そういう理由で、関東にある倫也さんのところに行く=今の会社を辞めることを決めた。

すると、会社から、東京での仕事をしてみるのはどうか?という提案を頂いた。
「会社が社員の人生を邪魔するのはおかしい。だけど、色々な解決策がある。
 人生の目標と会社生活が両立できないのならやめるしかないが、両立できる限りは工夫していくべきだ。」
といった趣旨のことを、人事部長さん、統括部長さんは(別々の面談で)口をそろえておっしゃった。

競技は一生やっていくわけではない。いつか仕事をやりたいときがくるかもしれない。
そのときのために、正社員・キャリアは残しておいたほうが、選択肢が増える、と言っていただいた。
その非常にもっとも、かつありがたい提案を受けさせていただくことになった。

さらに、東京だと通勤に時間がかかるから、ということで一時間短い短時間労働正社員にしていただけることになった。
しかも、その分の給料減額分・なくなるはずの社宅代をスポンサー代としていただけることになった。
あまりに恵まれすぎている展開に非常に驚いた。


5.今後 
 
こんな流れで、私は会社を辞めずにすむことになった。
お世話になった人たちと縁を切らずにいられること、同期の仲間ともまだ関係していられること、
この面白いノリをもった会社に所属し続けられることになったことを、本当に感謝したい。
この会社に入って、うちの部署に入ったおかげ、私とかかわっている人達のおかげだと思う。
間違いなく、私は日本で一番恵まれているオリエンティアだろう。
せっかく状況を整えていただけたのだから、これに感謝して、存分に自分を高めて行きたい。