「ピア・・カウンセリング集中講座に参加して」

松田慎二

(平成五年度生活交流会での講演より)

 今日は、こんな時間をいただきまして、あリがとうございます。すごく時間がたくさんあるので、この時間みんなしゃべるのかなあと思うと、そんなに僕ネタが無いので、不安やなあと思うけれど、今年の夏体験したことを中心にお話させてもらいたいなあと思います。…………………
1.自立生活センターについて
 ピアカウンセリング講座を受けるということで東京へ行ったんです。それで、そのピアカウンセリングというのは、どういうカウンセリングかというのを説明させていただく前にまず、障害者の自立生活センターについて、ちょっとお話させてもらいたいなあと思っています。
 障害者の自立生活センターというのが今から20年ぐらい前にアメリカで起こった考え方なんですけども、これは、もともと今までの援助サービスっていうのは行政の人が障害者に対して、向けて、サービスを提供するっていう形が福祉のサービスだったんですけども、やっぼリそれではいかんってことで、障害者自身が障害者を助けるっていう形のセンターが欲しいっていう運動から始まったんです。
 それで、日本へ渡ってきたのですが、今から10年ぐらい前に日本へ渡ってきまして、それで、障害者自身が障害者を助けるセンター作リの運動が、東京を中心として全国こ広まってきつつあリます。まだ、残念ながら、三重県には、そういった兆しもあリませんし、そういったリーダー的な立場の障害者の人もなかなか育たないっていうのが現状です。
 それで、その自立生活センターというところで、どういう業務をやっているかっていうと、主な業務の内容としては、介助サービス部門と、あとは、自立生活に関する部門のだいたい二つに分けられるんやないかなあと思います。
 介助サービス部門っていうのは、今、現在行政が行っている介助サービスはホームヘルパーさんの派遣とか、そういった形で、週2回2時間程度が限界やと思うんですけど、それに足リない部分をなんとか自分たちの力で介助者を集めてきて、それを自立したい障害者に提供していくっていう発想で始まった介助サービスシステムなんです。
 これは、ホームヘルパー制度とどこが違うかっていうと、介助者をこっちで選ぶことができるっていうか、こっちで探してきた介助者を登録して、それで実際、使えるっていう制度らしいです。
 ホームヘルパー制度っていうのは、やっぱリ、行政から来ていただくっていうのが原則で、やっぱリ、ホームヘルパーさんの主な目的はなんか生活指導ということがあるみたいで、そこらへんで、やっぱリちょっと、主導権が障害者でなくって、主導権がヘルパーさんの方になってしまというのが今の公的なヘルパー制度やないかなーって思うんですけども…。
 ここで、自立生活センターでやられている介助者派遣っていうのは、主導権っていうのは、あくまでも障害者に握られているっていうどこが犬きな違いやないかなあと思います。
 それと、もう一つの自立生活に関する部門なんですけども、ここでは、いわゆる僕が今年の夏経験しましたピアカウンセリングっていうカウンセリングの仕方を提供したリ、あどは、ILプログラムどいって自立生活のためのプログラムをここで作成して、自立のためには、どういったことが欠けているか、どういったこどが必要かっていうのをそこで判定なリをやって自立を援助していくっていう形のものらしいです。それと、アメリカなんかでは、僕も行ったことがないんで分からないんですけども、住宅の改造とか、車椅子の修理とかそういった日常生活に密着した活動をやられているようです。
 今現在、この日本で、障害者自身がやっている自立生活センターは、全国で、だいたい30か所くらいあリまして、それで、正式にこういった業務をきちっど行なっているとこが、だいたい、全国で15か所あるんです。まあ、東京を中心として行ってみえるらしくって、その自立生活センターの一番の原則としては、センターの所長さんが必ず障害者であること、そして、事務局長さんも障害者であることが、その自立生活センターになるための基本的な約束らしいです。だから、障害者自身の生活は、障害者自身が守るっていうことが、大前提となって自立生活センターができたということです。

2.ピア・カウンセリングについて
 それで、今回、私が参加しましたピアカウンセリングの集中講座っていうのが、東京の八王子にあるヒューマンケア協会という自立生活センターが主催した講座で、そこに初めて参加させてもらいました。8月の11日から16日の5日間でして、朝9時から夜の9時までみっちリとピアカウンセリングについての講義を受けさせてもらいました。
 ピアカウンセリングっていうのは、どういうカウンセリングかっていうのをちょっと説明させてもらいたいんですけども、まず、ピアっていうのは、仲間っていう意味があるらしくって、そういえば、中島みゆきのコンサートとかそんなんのチケット売っているとこにチケットピアとかある、あのピアと同じピアらしくって、英語か何語か僕は分かリませんのですけど、多分、英語?英語とは違うんかな…。とりあえず、ピアっていうのは、仲間っていう意味らしです。それと、カウンセリングっていうのは相談するとか、相談業務とかいう意味に訳すと一番適当かなと思うんですけれど、だから、障害者が障害者を相談するっていうことの意味が、いわゆるピアカウンセリングって理解してもらってええんやないかなあと思います。
 いわゆる公的なところがやっている相談業務とは違って、まったく、上下関係というのがピアカウンセリングにはないらしい、ないらしいっていうとおかしいんですけど、まったくあリません。
 だから、助けられる人と、助ける人は、あくまでも対等の関係でいるというのがピアカウンセリングの基本的な考え方やと思ってもらっていいんやないかなあと恩います。そ.れで、ピアカウンセリングを僕は5日間ずっと受けてきて感じたことなんですけども、ここにも書かせてもらっているんですけども、ピアカウンセリングの主な内容としては、自立のためにどうやって情報を提供してもらったらいいかというのを、いま自立している経験豊富な障害者の人が、これから自立しようとする人の伝えるって形もピアカウンセリングの中に含ま才しるんやないかなあと思います。
 例えば、実際、アパートを探すのには、どういったかたちでアパートを探したら、障害者にも貸してくれやすいとか、そういったいわゆる自立のためのノウハウをいわゆる障害者の経験から新しく自立される障害者に伝えるって形もピアカウンセリングの内容の中に含まれています。
 それと、もう1つが、精神的なサポートというのがピアカウンセリングの中で大きなウエイトを占めてくるんじゃないかなあと思うんですけども、特に今回僕が8月の11日から16目の間の5日間に学んできたことは、この精神的なサポートというこの部分が主やないかなあと恩います。
 それで、精神的なサポートというのはどういうことかというと、これも8月の11日からやったので、だいぶ前の記憶になって、あんまリイメージ的には覚えているんですけども、細かいことはあんまリ、まだ経験不足で分からない面もあるんですけども。いわゆる中心的になるのは、感情の解放っていうのが、、その主な内容やないかなあと思うんです。
 感情の解放っていうのは、なんかピアカウンセリングの中でいう専門用語で言うと、何かディスチャージとか言われて、ピアカウンセリングっていうのは、アメリカから入ってきたもんで、横文字がようけ使われるんです。僕等も、講師の人が横文字使われると、何のことかさっぱリ分らへんのですけど、もっと日本語で言ってくれたらええのにといっも思ってたんですけども、この精神、感情の解放というディスチャージと言う言葉だけは、5B間の間になんとか覚えました。
 他の横文字は、まったく忘れてしまいましたんですけども、感情の解放っていうことが一番大事やっていうことをすごく、しつこく言われまして、それでは、その感情の解放っていうのは、なにかって言うと、特に、障害者が生きていくうえで、今までの生活の中で、いろんな差別とか、いろんな抑圧があったっていうのが、そこから、抑圧からの解放というのが、感情の解放とつながっているということではないかなあと思います。
 それで、小さいとき、いじめられた経験とか、学校へ行けなかった体験とか、就職できなかったこととかが、いろいろな抑圧が障害者の人にはあって、それをきちっと整理しないままずっと心の中でうずが巻いている状態で、障害者の人にはそういう人がたくさんみえるということで、とリあえず、その今までの受けた心の傷を癒すためにとリあえず自分の感情を解放しようやないかということがこのピアカウンセリングの精神的なサポートの犬きな役割やないかなあと思います。
 それで、具体的に5日間の中で、どういった形でピアカウンセリングを勉強させてもらったかというと、全国で、15〜16人の参加者があリまして、それで、参加している方がほとんど電動章椅子を使ったリ、重度の障害者の方が多か?たんですけれど、その15〜16人の中で2人1組に分かれまして、15分程度カウンセラー役とクライエント役というか、相談する側と、相談される側に役割を分けまして、それで、1つのテーマについて15分ごど交代で役割演技っていうか、ロールプレイをしていくわけです。
 例えぱ、小さいときに傷っいたことを話して、それをカウンセラー役の人が、とリあえず、その話を聞いてあげるっていうことをして、そういう形で、勉強してきました。それで、ピアカウンセリングっていうのはカウンセラー役の人が、相手に指示をしたリ、こうしたらええんやないのという指導をするんではなくって、相手の話をとことん聞いてあげるってことがすごく大切やって言われて、それで、相談する人は、自分の感情をとことん出すっていうことが一番大事やとか言われました。
 それで、いわゆる一般の概念として、男の人は泣いたらあかんとか、女の人はおしとやかでなければならないという概念を捨てやないかんということで、そういう考えで、5日間ずっとカウンセリングについてロールプレイをやったんですけど、それで、段々みんなが、自分の感情を解放してくると、昔、傷っいたことを思いだし、女の人なんかは、泣きだしたリ、声をあげて怒リだしたりする場面もたくさんあリました。それを見ていると、なんか僕自身は、すごく個人的な感覚で、これをまた、原稿に起こしてもらうと、ちょっとピアカウンセリングに対しての偏見やないかなあと思われるかもわかリませんけども、僕の個人的な意見としては、何かこれ新興宗教と違うんかなあという感じも正直言ってあリまして、『俺は、絶対山崎浩子にはならんぞ。」とか思ってたんですけども、それで、男の人でも、昔のこどを思い出して、昔あった傷とか、昔ひどい目にあったことを思い出して、自分の感情を高めていって、泣いたリ、怒ったリしていた人もたくさんみえました。
 それで、浅念ながら、僕自身は、3日目ぐらいまでは、そういった、俺は、山崎浩子にはならんとか、心の中で思いまして、なかなか自分の感情を解放することができませんでした。それで、泣いとる人を見ると、何でこの人等泣いとるんやろと思って、不思議に思ったぐらいで、そこらへんが、僕自身、自分の感情の解放ができやんなあ、と思ったリして、ある面では、寂しさを感じたこともあリましたけども、それで、4日目に入って、いろいろテーマごとに分かれて、2人1組でロールプレイをやっていく中で、4日目のテーマっていうのが自分の体の嫌いなところ、好きなどころをテーマにして、カウンセリングし合うっていうセッションがあったんですけども、その時に、僕は、すごく不思議な体験っていうか、経験をしました。
 どういったことかって言うと、まず、自分の体の嫌いなとこを言ってくださいって言うんです。
それで、僕は、嫌いなとこは、別になかったんやけども、しいて言えば、この自由の利かない首かなあ、と思って、首ですって言うんですね。そうすると、カウンセラー役の人が、僕の嫌いな首について、すごく、攻撃をしてくるわけです。その首は、あんた、自分の思い通りならんのにようつけとるなあとか、そんな首切って捨てたったらええのにとか、カウンセラー役の人が言ってくるわけです。そうすると、俣白身は、その嫌いな部分になるわけです。例えぱ、僕が、首が嫌いやったら、僕自身は、首になリきるわけです。そうすると、相手が、その首をちぎって捨てたったらええのにって言うと、僕は、首になリきっとるもんでそんなこと言っても、これ自分の首やで大事にしたいもんなあって自分の嫌いな部分を一生懸命弁護していくっていうか、守ろうとするわけです。
 これを15分間ずつやっていく中で、ある人は、脊椎損傷の人がみえまして、動かない足が嫌いやっていうことで、そのセッションが終わったあと、なぜか知らんけども、嫌いな足を指摘されることで、守っていくなかで段々と好きになっていくそんなことをやっていくわけです。
 首のことで、感激はしなかったんですけども、そのあとのセッションで、今度は自分の体の中で、好きなとこを実際人の前で言ってくれって言われるセッションがあったんです。
 それで、その時、僕は、自分の体の中で、好きなところは、やっぱリ、顔かなあとか思ったんやけど、そんなことは言えやんし、やっぱリ、僕自身、小さい時から、足で字を書いたリ、足でワープロを打ったリ、今現在も、電動車椅子を足で運転しているわけです。それで、やっぱリ、自分の体で好きなところといったら、この36年間使ってきた足かなあということで、ほんで、僕は、この好きな体の部分の申で、好きなところは、この足ですって宣言するわけです。それで、それじゃあ、自分の好きな部分を声をだしてほめてあげてくれって言われるんです。そうすると、ますます自分の好きなところが好きになリますよって言われて、「そんなことあるかあ。」って思とったんやけども、実際、口にだしてほめてあげたんです。この足は、養護学校では足でテストを受けて、大学の通信教育では、足でレポートを書いて卒業して、ほんで、東京まで1人で電動車椅子で、この足で操縦して来れて、すごい足やなあ、と自分で声をだしてほめてあげたら、不思議とこの僕の鬼のこの目から涙がぽろぽろとでてきまして、あれはすごく不思議な感情になったわけですが、やっぱり僕も山崎浩子になったんやないかなあ、と思ったりしましたけれども、実際、障害のある人も、ない人も多分、自分の体の中で好きなとこを声を出てほめてあげるっていう経験は、多分ないんやないかなあと恩いますし、それで実際、僕自身が、長年使ってきた足を声をだしてほめてあげるっていうことで、すごく自分の心に素直になれたんやないかなあと思います。それで、自分の足がすごい足やなあと思えてきて、ほめとる間に自分の足がますますいとおしくなってきてすごく自分の足が魅力的に見えてきて、「わあ、すごいなあ。」と思とるうちに何か、いわゆる、目頭が勲くなったっていったというか、すごく感情が高ぶってさ涙が出てきたっていう不思議な経験をしました。
 そんな中で、5日間ピアカウリングを受けてきたんですけども、その結果、どんなに障害が重くっても、やっぱり自分の体、あリのままの姿っていうのは好きでないとあかんのやないかなあと思いました。それで、自分のことが好きでないと、相手のことを好きになる資格は無いんやないかなあと思いますし、自分のことが好きやないど、相手に対しても、援助してあげることもできないし、相手に、一緒に頑張ろうな、と言うこともできないんやないかなあと思います。
 それで、僕自身、障害があるっていうことで、自分の体を嫌いやと思ったことは一度もなかったんですけども、取リ立てて、好きでもないと思ってて、ただ、好きなことはないけども自分の体は、いとおしいなあとは常々思ってたんですけども、やっぱり、いとおしいだけと違って、自分の体が好きで、自分の体が一番大切やっていうことをこの5日間のピアカウンセリングのなかで改めて、知らされたっていうのが、すごく良かったなあ、ええ経験をしたなあと思います。だから、あリのままの自分をどれだけ好きになれるかっていうことはすごく大切やないかなあと思うし、自分のこどが好きでないと、自立生活とか、親亡きあとの問題っていうのは、なかなか考えにくいんやないかなあと改めて痛感しました。

3.交通アクセスについて
 それで、実際僕は、さっきも足をほめたなかで、電動車椅子で、1人で津から東京まで行ったんですけども、このピアカウンセリングに参加する過程のなかで、いろんな経験ができました。これは、直接ピアカウンセリングとは関係ないかもわかリませんけども、車椅子で新幹線に乗るのは、初めての経験で、電動車椅子で1人で乗るのは、初めての経験でした。それで、前もって、チケットを購入したんですけども、やっぱリ、名古屋駅には一応、前もって、連絡しておかないと、エレベーターが使えないんやないかって言われたもんで、前もって、JRの名古屋駅へ電話かけて、「すみません、お盆の、8月の11日に名古屋駅、新幹線に乗リたいんですけど、よろしいですか。」と名古屋駅に電話かけたんです。電動車椅子で、単独で、行きたいんですけどもって電話かけたら、その担当の駅員さんが、「電動ですか、1人ですか、できたら手押しで来てもらえませんやろか。」と言われて、「それでも、僕手押しやと1人で身動きとれませんもんで。」と言ったんですけども、「それでも、電動で来られますと、新幹線も乗リにくいですし、ちょっと困リますんやわ。」とか言われて断られたんです。それで、これでは、せっかく行こと思とるのに、なんか、埒があかんわ、と思いまして、僕も、その時は、悪知恵が働きまして、駅では、こんなもんあかんなと思いまして、ほんなら、JR東海の本社へ電話かけて、一回聞いたろと思って、JR東海の本社へ電話かけて、「すみません。旅客サービス係かなんか担当の方みえますか。」ということで、電話したんです。そうしたら、JR東海の本社やとやっぱリ、本当の民間企業みたいなのですごく対応が良かって、「すみませんけど、名古屋駅で電動車椅子で行きたかったんやけど駅員さんに断られまして、なっとしたらよろしいんやろ。」って言いましたら、「すみません、お宅の電話番号を教えてもらえますか。」ということで、「改めて、また駅から電話させてもらいますわ。」と言われまして、それで切ったんです。ほんなら、2時間ぐらいたって、家へ電話かかってきて、今度は、駅員さんの態度がまったく変わって、「電動で来られるかたですねえ、どうぞ、どうぞ来てください。」って形で、まったく態度がころっと変かわって、これは、やっぱリ上から言ってもらうのはすごいなあと思いまして、だから、そういった経験の中で、すごく、段々こっちも知恵が働くようになってきまして、そこらへんで、すごくいい経験をしたなあと思いました。
 こういったノウハウとかやリ方は、みんなにもちよっとぐらい知っとってもらったら、いざ、単独で、どこかへ行くときは便利やないかなあと思います。それで、実際新幹線の中には、車椅子専用室っていうのがあリまして、どんなんかっていうと、個室になってまして、車椅子1台を止めるスペースとあと、介助者の座席がちょっとあるんですけど、その、個室っていうと、かっこが良いんですけども、僕が使った体験を正直に言わせてもらいますと、隔離されているなあって感じがしました。それは、何でかって言いますと、それは、個室っていいましても、すごく狭くってドアが閉められるとなんか同じ車両でも、ぜんぜん別世界にいるみたいで、窓も、すごく小さい窓が1つついているだけで、こんなんでは、いややなあと思いました。個室にするよリも、椅子がないところを確保してくれたらええだけやのになあと今回本当に痛感しました。そこらへんで、新幹線のなかには、個室の車両とは、また別に、新しい型のなかには、椅子を取リ外した,車椅子を置くスペースだけがあるものもあるらしいですけども、帰リは、その椅子を取リ外したスペースの新幹線に乗れるかなあ、と思ったら、帰リもまた隔離されて帰った、という状態です。でも、本当に、電動車椅子で、一人で新幹線に乗って東京まで行けたっていうのは、すごく、僕にとっても、自信がつきましたし、すごくいい経験をさしてもらったなあと思います。それと、このピアカウンセリングの講習会っていうのが、新宿であったんですけど、新宿の駅っていうのは、大都市の駅やでエレベーターはあるんやろうなあ、と思ってたんですけども、エレベーターはあリません。それで、なかっても大丈夫って言われたもんで、なんで大丈夫なんかなあ、と思って新宿駅へ降リたら、ちゃんと、車椅子を担ぐ駅員さんが絶えず5〜6人待機しておるんです。それで、僕の重たい電動車椅子と僕が乗って100sを超えるんですけど、それをすごく慣れた手付きで、階段をすっすっすっと登ってくれまして、さすがに車椅子を上げるのに関しては、この人等は、プロやなあと思いました。すごく、その担ぎ方が、慣れているから怖くなかったし、それでも、担ぐ人にとっては、すごく大変やろうなあと思いますし、あれでも、エレベーターさえあったら、あの人等腰痛めやんでもすむのになあ、と思いますけども、東京の都会でもやっぱリ、新宿の駅でさえもまだエレベーターが設置されてないっていうのが、すごく、やっぱリある意味ではショックでした。
 それと、僕自身はご覧のとおリ、手がまったく動きませんし,日常生活のすべてに介助が必要なんですけども、その、東京へ行った5日間、この子どうやって生活しとったんやろとみんな心配されるやろうと思いますけども、その5日間、この八王子のヒューマンケア協会に登録された有料の介助の人に頼みまして、5日間介助の方はすべて心配なく過ごせたんです。それで、介助料金はこのカウンセリングの講習があるってことで、割安でした。1時間700円くらいで頼めたんですけども、それで、その介助の仕方っていうのが、すごく僕にとっては良かったなあと思います。どういった介助をしてくれるかって言うと有料やから、すごくサービスがええんかなあとみんな勘違いするかわかリませんが、それがまったく逆で、こっちが指示すること以外はまったく手を出さないという介助の仕方です。例えば、僕が友達と旅行へ行くと、友達は、気を利かせて、次は、顔を洗おうになと言うんです。親切なことでもあるけども、ある意味では、主導権がむこうに握られてしまってむこうのぺ一スで介助されるっていうのが、友達でもあるし、親の介助の仕方やないかなあと、思うんですけれども、東京へ行った時の有料介助の人、人って言うか学生のアルバイトの子でしたけれども、こちらが頼むこと以外は、一切口を出してくれない、そのやリ方が、すごく僕にとっては、気楽でしたし、僕が主導権を握っているんやなあという実感が湧いてきて、すごく楽に生活ができました。だから、トイレ行って、次は顔洗ってくれますか、って言うまで何もしてくれない。でも、顔洗ってくださいって言うと、すごく気軽にやってくれる。それと、お風呂もお風呂入らしてくださいって言うと、入らしてくれるけども、黙っていると、もうずっと入らしてくれない。だから、そういった、こっちが指示することに忠実に動いてくれる。そのやリ方で介助してくれるということが、すごく、こっちが主体性があるし、こっちが生活しているんやなあと実感が持てて、すごく良かったんやないかなあと思いました。だから、もし、何も知らない障害者の人が、実際有料介助を受けて、多分、お金払ったんやで、よう気がつく子やろなと思って行ったら、金は払っとるのにこの子何もしてくれへんわ、ということで、逆に、誤解をされて、帰ってくる子もおるんやないかなあと思うんですけど、たぶんそういった介助の人は、教育を受けて、ある程度、実習期間みたいなのを受けてこられた学生ばかリやと思うんです。だから、そこらへんで、障害者自身が言わないこと以外はしないっていうことが、すごく徹底して、されているっていう意味で、ずっと良い関係で、介助と、介助される側の関係が保てたんやないかなあと思いました。
 だから、あの、特に重度の障害を持ってみえる僕と同じくらいの人やったら、できるだけやってもらいたいことを.的確に相手に伝えるっていうことは一番自立のための基礎やないかなあと思います。だから、何もかも自分で時間をかけてやるっていうことよリも、他人に頼んで、楽な生活を送って、その余分な時間を自分の有効な時間に変えていくっていう作業が、これからの重度の障害者の人の自立に対して、すごく大切なことやないかなあと思います。僕自身も今回の東京の介助の仕方を実際味わってきてその意味を痛感したように思いました。だから、いわゆる、自己主張ができる障害者の人がもっと増えなければいけないし、増えて欲しいなあとつくづく思います。ええと、ピアカウンセリングについては、このぐらいですけど。

4.脳性麻痺者の二次的障害について
 あと、今年はもう一つ僕にとって、すごく良い経験しまして、ピアカウンセリングから帰ってきて、しばらくしてから、名古屋のリハビリテーションセンターという所へ検査で入院していました。それは、何のための検査かっていうと、最近、特に僕の手とか、足にしびれが出てきて、感覚が鈍ってきたんです。それで心配になって名古屋で検査入院をさせてもらったんですけども、その検査入院をするまでは僕自身もそんなにひどくなっているとは思ってなかったんですけども、いわゆる、脳性麻痺のアテトーゼ型に起こる二次的な障害ということで診断されました。そして、二次的な障害は、アテトーゼタイプでは、多かれ少なかれみんなが経験してくるんやないかなあってお医者さんには言われましたし、そこらへんすごく注意してもらわないと大変なことになるんやないかなあと思います。僕自身昔は歩いてましたし、歩けるうちは、できるだけ歩けっていうのが、いままでのリハビリテーションの考え方でしたんですけども、その、無理して歩くことによって、首の骨に負担をかけて、首の骨がすリ減ってきて神経が圧迫されるこどによって手足がしびれてくるわけです。僕の場合は、段々神経を切断していっているらしくって、最終的には、頸権損傷になると言われました。頸椎損傷っていうのは、首から下がもう全く感覚がなくなって、ぶらんぶらんするって状態らしいですけども、それは、今までの無理した歩き方とか、無理した体型がすごく関連しとるっていう話です。それで、やっばリ養護学校時代にむリやリ訓練して歩いたリしていたことが、今になって、二次障害が起こる原因になっているって言われましたので、そこらへんリハビリの考え方自体も、やっぱリ変えていかなあかんのやなあと思います。
 ピアカウンセリングに参加した時に、参加者の中で歩ける人が2〜3人、若い人でみえたんですけども、その人が、不思議と、車椅子に乗ってみえたんです。それで、僕、不思議に思って、何で歩けるのに車椅子に乗ってみえるんですかって質間させてもらったら、その人達は、若いけども、「私たちは、二次的障害が出る前に、車椅子を使って、自分の体を守っていくんや。」と言われまして、それがすごく僕にとっては衝撃的なことでした。何故かって言うと、僕等、昔の養護学校の教育では、歩けるうちは、相当歩いて、歩かんと、やっぱリ体がなまってきて、よけい歩きにくくなるっていう考え方で、ずっと機能回復訓練を受けてきたんですけども、それとは、全く正反対に考えてまして、車椅子を使って歩くっていうことが、すごく簡単に考えてみえるっていうのがすごく印象的で、僕等、歩けるうちは、絶対歩きたいし車椅子なんかのるの絶対いややっていうイメージが、頭の底にはあって、それからなかなか抜け出せなかったんですけども、そこらへんは、すごく割リ切ってみえて、例えば、健常者の人が遠いとこへ行くのには、自転車を使うのと一緒で、遠いとこへ行く時は車椅子を使って外出するという、車椅子に対して悪いイメージというのが、全くないっていうのが、すごく合理的な考え方やなあと思います。だから、今、無理して歩いている方もあんまリ無理をせんほうが絶対ええんやな.いかなあと思います。名古屋のリハビリテーションセンターで、担当のドクターから言われまして、「太く短一く生きるか、長く細く」生きるか。」は、自分で決めてくださいって言われまして、「先生、僕、太く長く生きたいんですけど」って言ったら笑われました。まだまだ、僕等の場合は、太く長く生きるっていうことが、許されないっていう状況らしいです。だから、一般の人が疲れるっていうのと、僕等が疲れるっていうのは、たぶん、だいぶ疲労度が違うんやないかなあとつくづく思いました。僕自身は、生れつきの障害者やから、疲れるっていうのは、こんなもんやろと思い込んどるから、そんなに苦にはならないんですけども、多分、健常な人が疲れるっていうよリも、2倍、3倍、あるいは、10倍位の疲れ方なのか'もわかリません。だから、僕の首の骨は、もう30代の首の骨やなかって、80代とか、7O代の首の骨になっているって言われるそこらへんで、やっぱリ、無理して、酪使して使うよリも、できるだけ楽な生活をしていくっていう考えに切リ替えていく方が、すごく自然に生きられるんと違うかなあと思います。健常者に近づくっていうことが、唯一の機能回復訓練であるていう時代に僕等は、訓練を受けてきたんですけども、それではなくって、障害があっても、そのままの状態で、生活できるっていうことが、一番大切やなあということが、考え直さなければいけない時代になってきているんやないかなあと思います。とにかく、自分の体を大切にするっていうことと、それから、ドクターに言われたんですけども、授産所に勤めてみえる方でも、単純作業をしている方よリも、ワープロとかコンピューターをやってみえる方に、二次的障害が起こリやすいっていう統計が出ているらしくって、そこらへんの面でも、あんまり、神経を使ったリ、すリ減らしたリする形の作業は、休みながらやるっていうことでやらんと、ずっと、ぶっ続けでやるっていうことは、すごく体力的に消耗するし、そこらへんも、やっばリ、考えてかんと、あかんのやないかなあと思います。だから、これから、もっと二次的障害がでてくる人が出てくるんやないかなあと思います。
 三重県では、二次的障害を診てくれる専門医っていうのが、全くあリません。だから、草の実学園に行っても、二次的障害まで、私は知リませんって言われましたし、そういった状態ですもんで、なんとか、三重県の、こういった二次的障害を診てもらう専門医も必要やないかなあと思います。
 こういった面で、あんまリ、無理をして歩いたリ、無理をして何かをするっていうことは、できるだけ避けて、楽をしながら有意義に過ごすっていう形で、考え方を少しずつ切リ替えるっていうのも大切やないかなあと思います。だから、歩くに関していえば、僕等は、養護学校の中では、二本の足で自分で歩くっていうのが、歩くって固定観念があリましたけれども、別に、その二本の足で歩くだけが歩くと違って、車椅子を押してもらって町へ出るのも歩くやし、電動車椅子で歩くのも歩くっていう形で、歩くっていう価値観や幅を障害者自身が広げていくことが必要やないかなあと思います。だから、もっと、幅広い考え方で、歩くに関しては、加えてもらったらいいし、また、食べるっていうこども自分で食べるだけが食べるのと違って、人に食べさせてもらうのも食べるやし、飲むにしたって、ストローで飲むのも飲むのやし、楽飲みで飲むのも飲むって形で、あらゆる価値観を良く考えていくことが、特に重度障害者の場合必要になってくるんやないかなあと思います。まあ、僕が、感じたことは、これくらいなんです。