やっぱり難しいのは
一人一人が考えて行動するように
ならなきゃだめやねんけど
そうはならない.
誰かがリーダーになって
盲目的についていく方が
楽であるということ
それに多くの人は考えることが
できない?やめてしまっている?
からまた大変.
そして集団としてまとまるためには
やっぱりリーダーと幹部が必要だということ
そうかもしれないね。
昨日の夜ゼミは岡本さんという社会人入学で環境学研究科にはいられた人の話で、彼女は二人の子どもがいて非常勤の高校教師をしつつ、ばりばりNPO活動をしてるような人。
その話を聞いていても今ある市民運動のなかに入っていく気は起こらない。
高野先生は環境学をやる大学の立場から市民とどういう関係を結んでいくか考えてはるみたいやけど。
やっぱ私達は自給自足かなと思った。
1 社会を変化させるためには
市民運動でいいのか?
2 市民運動をするなら
鶏口となるも牛後となるなかれ
やろ
3 けど実際に自分でなにかおこさなあかん
それが俺らの場合自給自足?
日本人はみなどこかしら将来に不安を感じている。
このままの社会ではやっていけないのではないか?
でも社会を良くする行動にうつろうとする人は少ない。市民運動に参加する人。
参加しても私みたいに挫折する人もいる。
ずるずると今と同じ生活を続けていてもなんとかなる気もしている。
どうにかしようと考えたところでどうにもならないと思っている。
方向が見えないのかもしれない。
今まではひたすら技術革新して需要を伸ばせば経済成長できた時代だった。
でもバブルが弾けて以来、経済は低迷し先の見通しが立たない。
私は一人暮らししてみて、その概念をなんとなく得たような気がする。
農業のことを調べていて
農業は本質的に「命」と関わっていて、
その農業が邪険にされてきた(農水省は大きいけど)高度資本主義日本(高度でもないかも)で「いのちの大切さ」だけいっても説得力はないのかもね。
その食料がないと生きていけない
という概念が
自分を含めて欠如している.
それを感じてきた世代(親父たちの代)
と俺らの世代の違いはそこにあるのかもしれない.
1次産業と2・3次産業の違いは、やっぱ人の命を支えているという重さかな?
人間を含めた動物は食糧がなくては生きていけないもんね。
もちろん現代では「衣食住」全て基本的にないとやっていけないものだけど。
商業農家と自給自足農家の違いについて
COP3について
農家になるにはいくらかかるんやろう?