新緑の飛鳥に立って驚いたこと。
それは、こんな狭いところで、日本の古代史を彩る、多くの出来事が起きたのだということでした。
大げさに言えば、指呼の間にあるところで、太子が、馬子が、中大兄皇子が活躍したのだということ。
新鮮な驚きであり、心躍る散策でもありました。


飛鳥・法隆寺と並べていますが、実は両者は少し離れています。
しかし、法隆寺を拠点とした聖徳太子が、日々飛鳥の宮に通ったことを鑑み、いっしょのページにまとめました。
太子は、道すがら何を考え、どんな思いを秘め、馬に揺られて行ったのか。
つきぬ思いが浮かんできます。

 今回の旅は、ここから始まりました。
 思ったよりこぢんまりとして、俗な観光地という印象はありませんでした。
 駅前で荷物を預け、レンタサイクルを借りて、いざ、スタートです。
 最初に訪れたのは、高松塚古墳です。あの極彩色で描かれた壁画の発見には、心を躍らされました。
 現在は、竹林におおわれた小山が見られるだけで、隣の壁画館と遺跡の表示がなければ、誰も気づかないでしょう。
 でも、だからこれまで残ってきたのだと思います。
 蘇我馬子の墓と伝えられる、石舞台古墳です。
 本来は、土におおわれていたのが、石室だけになってしまったものです。天井部分の巨石は、重さが77tとも言われています。脇に立つ人と比べると、その大きさがわかります。
 そばには、こんな記念撮影のコーナーもありました。古代人の服装がしのばれます。
 後方に見えるのは、石舞台です。
 伝・飛鳥板葺宮(でん・あすかいたぶきのみや)の跡です。中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の暗殺は、ここであったと言われています。
 発掘調査では、2つ以上の遺跡が重なって見つかっているそうです。
 ひんぱんに都を移した名残がしのばれます。
 後方に見えるのが、蘇我氏の屋敷のあった甘樫丘(あまがしのおか)です。
 蘇我氏の発願によって造られた、日本で最初の寺院の飛鳥寺(あすかでら)です。
 当時は、今よりもはるかに大きく、政治の中心地にもなっていました。
 中には、日本最古の仏像である飛鳥大仏が鎮座しています。
 
 暗殺された蘇我入鹿の首は、その場に落ちずに、飛鳥寺までも飛んだと言い伝えられています。目測すると、500mはあります。現代人の感覚では、嘘に決まってるのですが、そのたたりをおそれて、首塚が造られたそうです。
 奥に見えるのが、蘇我氏が住居を構えたという甘樫丘です。
 甘樫丘の展望台から見た、飛鳥寺方面です。蘇我氏は、ここから太子の政治を見つめながら、どんなことを思っていたのでしょうか。思いはつきません。
 旅の楽しみは、食事でもあります。途中の古い造り酒屋を改造した美術館で食べたそばは、絶品でした。ちょっと高い昼食になってしまいましたが…。

 南大門から見た、法隆寺の遠景です。
 正面に中門、高く見えるのは五重塔です。ちょうどお昼に近いところで、修学旅行の学生でにぎわっていました。
 高さは31mほどもあります。日本で最古の五重塔です。
 下から上に向かって、少しずつ屋根の大きさが小さくなっていくのが、とても美しい形だと言われています。
 こうした塔には、仏舎利(お釈迦様の骨)が納められているといい、大変大事にされています。
 大講堂です。回廊から大講堂に続く柱は、エンタシスといいローマから伝わった様式が取り入れられています。
 シルクロードを通じて、西洋の文化が日本でも花開いていたのです。
 夢殿です。以前は、この中で聖徳太子が思索を巡らした聞いた覚えがあるのですが、そうではなく、太子の死後、太子の死を偲んで建てられたものだそうです。
 8角形の独特な形をしています。
 法隆寺の東院と西院をつなぐ通路です。
 片側には土塀が続き、いにしえの趣を残しています。「落書きはしないで下さい」との断り書きが、何だか悲しい思いを誘いました。世界遺産なのに…。