長野県更埴(こうしょく)市にある森将軍塚古墳は、科野(しなの)のくに最大の前方後円墳といわれています。
調査が進んだ現在、つくられた当時のままに復原され、一般に公開されています。
そこにはどんな人が眠り、どんなくにがつくられていたのでしょうか。


森将軍塚古墳は、小高い丘(山?)の上にあります。
自然の地形をたくみ生かし、精巧に作られています。
きっと、進んだ知識と、強い統率力で治められた大きな集団があったのでしょう。

 ふもとから見上げると、古墳はこんなに高いところにつくられています。たくさんの資材を集めるだけでなく、高いところに運び上げ、みんなから見える位置につくる、強い意志が感じられます。
 古墳の全景です。上からでないのでわかりにくいかもしれませんが、手前が方形、後ろ側が円形になっていて、前方後円墳と呼ばれます。手前の方形の部分では、何か祭祀(まつりごと)が行われたと考えられています。
 古墳に近づいてみると、大きな石がぎっしりと積まれていて、その上には、埴輪が並べられています。うっそうとした森が茂る丘のような古墳がほとんどですが、つくられた当時は、みなこんな風に白く輝いていたようです。
 古墳の上部には、157個もの埴輪が並べられ、古墳を飾っていました。埴輪は、土器が発展してつくられたものですが、壺の形をしたもの、朝顔の形をしたものなどがありました。人間の形をしたものが現れるのは、もっとずっと後のことです。
 わかりにくいかもしれませんが、中央の四角く区切られた場所が、石室の跡です。この下に、古墳の主が埋葬されていました。石室の大きさは、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mのとても大きなものでした。
 古墳の上から見た、ふもとの景色です。手前が更埴の町、奥の方が長野市になります。現在は建物が多くなっていますが、古墳がつくられた当時は、どんな景色が広がっていたのでしょう。
 古墳時代の住居跡です。基本は竪穴式住居ですが、縄文時代や、弥生時代とは少しちがう感じがします。
 このようなむらが、古墳のふもとにつくられていました。このあたりが、科野の里(しなののさと)と呼ばれています。
 全長100mにも及ぶ森将軍塚古墳。ここでは、縄文時代から弥生時代を経て、大きな権力を持ったリーダーが登場してきたことがわかります。日本の歴史も、また新たなページへと進んできたことが感じられます。