
沖縄を歩きながら感じたこと。
それは、自分がニッポンジンであるということでした。
近世以来この方、ヤマトとリュウキュウの関係は、それを意識させずにはいません。
まだまだ解決されないことがそこにある、その思いを強くしました。
昭和20年3月から、アメリカ軍は沖縄を本土攻略の浮沈空母とすべく、猛攻撃をしかけました。
そこから、死者20万人という、全島を巻き込んだ悲劇が始まりました。
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冒頭から何の写真だかわからないかもしれませんが、那覇市の南、豊見城(とみぐすく)にある旧海軍司令部の壕(ごう・ほらあな)です。中は薄暗いので、うまく写真が撮れませんでした。この全長450mのほらあなに4千名の兵士が立てこもり、最後の抵抗をしたそうです。 |
| その抵抗もむなしく、手榴弾で自決したときの痕(あと)だそうです。当時の司令官だった太田実少将は、「沖縄県民かく戦えり」という電報を送り、人々の様子を本土に伝えました。その中には、沖縄の人々の烈々たる様子が描かれていました。 | ![]() |
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壕を出たところから見える沖縄市街の様子です。「一木一草焦土ト化セン」とされた沖縄も、ここまで復興してきました。二度と同じことを繰り返してはならないと、心に刻みました。 |
| 沖縄南部の糸満市にあるひめゆりの塔です。沖縄戦では、多くの若い(幼い)学生たちも動員されました。その中で、少女たちも看護婦として協力させられました。しかし、戦局が不利になると、米軍の捕虜になることをおそれ、200人以上の少女たちが、自決をしました。 | ![]() |
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ひめゆりの塔のそばには、記念碑が建ち、多くの献花がされていました。1月の終わりという、沖縄観光では、もっとも人出の少ない時期だったにもかかわらず、多くの人が訪れていました。 |
| ひめゆり平和記念資料館です。中の撮影はできませんでしたが、少女たちの青春や、戦争の拡大による悲劇に、胸が痛くなりました。明るく笑っていた、こんなふつうの子たちが…、と絶句しました。 | ![]() |
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少女たちが自決した壕が、ひめゆりの塔のすぐそばにありました。私は上からのぞきましたが、下から見上げる少女たちは、どんな気持ちだったのだろう…。その恐怖は…、と思いました。今の平和の尊さを忘れてはいけないと思いました。 |
| 沖縄戦最後の激戦地、摩文仁(まぶに)の丘には、現在平和記念公園があります。そこに建つ沖縄平和記念堂です。広い公園にそびえ立つ姿は、平和への強い祈りを象徴しているように見えました。 | ![]() |
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丘の上にある国立沖縄戦没者墓苑です。この地域一帯が霊域になっていて、各県の慰霊碑が建ち並んでいます。写真に撮っていいものか迷いましたが、しばらく手を合わせた後、シャッターを切りました。広い敷地内に、人影はほとんどなく、厳粛な感じがしました。 |
| 摩文仁の丘は、海に面しています。打ち寄せる波を見ながら、平和の尊さを思いました。この海の向こうから、鉄のかたまりが降ってくるのか、それとも遠い異国に思いを寄せるのか…。どちらを選ぶかは、人間次第なのだと言うことも。 | ![]() |
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沖縄県平和記念資料館と、その前に展示された戦争中の魚雷です。沖縄戦で使われた砲弾は、約270万発。当時の県民57万人で割ると、一人あたり4.7発の砲弾が使われたそうです。その恐ろしさがわかります。 |
| 資料館の前に広がる、平和の礎(いしじ)です。ここには、日本やアメリカなど国籍を問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれています。戦争を憎み、平和を求める強い願いが込められています。礎の間には、デイゴの木が植えられていました。 | ![]() |
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通りすがりの車中で撮影しただけですが、東アジア最大を誇る米軍の嘉手納飛行場です。沖縄の現実は、まだ終わってはいないことを実感しました。 |
| しかし、世界を平和に保つ動きは続けられています。これは、沖縄サミットが開かれた万国津梁(しんりょう)館です。ここに、世界の首脳が集まって会議が開かれました。沖縄の地を選んで開かれたことに、大きな意義があると思いました。 | ![]() |
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そのサミットを決定した、小渕元首相の像が、津梁館のそばにありました。志なかばに倒れたわけですが、残念だったろうなあと思いました。 |
| サミットのメーン会場となった、会議場です。当時のままで、いすなどの調度品もありました。が、備品なので、座ってはいけないと表示してありました。せめて記念撮影を、という気持ちもよくわかります。 | ![]() |
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レセプション会場が、現在はラウンジとして開放されていたので、ティータイムにしました。沖縄茶とドーナツのセットで800円。一時、首脳になった気分で、海を見ながら思いを馳せました。 |
沖縄の現実は、まだ終わってはいません。
在日米軍のほとんどを占める基地の問題。そこから派生する治安の問題、経済の問題…。
あの戦争は、過去の歴史ではなく、現在も尾を引いています。
沖縄ではまだ、「戦後は終わった」のではない、と実感しました。