大正小学校

 
土岐 善磨作詞  長谷川 良夫作曲

坂本小職員 作詞  板垣 一也 作曲


今年創立85周年を迎える大正小学校正門

下町の豊富な資料が校内に展示されている


平成8年4月1日、入谷鬼子母神の隣にあった坂本小学校と統合された。校内にはまるで「下町博物館」のような資料展示場があり、昔の下町の様子を色々伝えてくれる。
運動場は2階で、屋上は開閉式のプールになっている。平成12年に創立85周年を迎えた。

【大正小学校のあゆみ】
大正 5年 9月 東京市立大正尋常小学校として開校
  12年 9月 関東大震災で校舎が全焼する
  12年10月 青空教室、テント教室で授業をする


大正5年9月開校の大正小

開校当時




震災前の授業

テントで勉強



昭和 4年 8月 校舎(旧校舎)ができる
  16年 4月 東京市大正小学校と改める
  18年 7月 東京都大正小学校と改める
  19年 8月 集団疎開をする 男子は福島県喜多方村、女子は東山温泉
  20年 3月 正覚寺の一室で授業を始める
     10月 集団疎開から帰る
  22年 4月 東京都台東区立大正小学校と改める
         学校給食が始まる
  25年 7月 校歌ができる
  26年 4月 幼稚園ができる
  33年 7月 プールができる
  60年10月 郷土資料室ができる
平成 6年 2月 新校舎が完成する
   8年 4月 坂本小学校と統合する
         新しい標準服がきまる
  12年 8月 インターネット接続完了
     12月 創立85周年記念式典を行う



《大正小学校5年生の、ぼくの夢.わたしの夢》
プロ野球選手になって上原みたいな投手になりたい  裕一郎
優しい大人になって、ペットの店を開きたい  利彦
サッカーチームに入って世界的に有名な選手になる  聖也
ゲーム会社の社長になって、おもしろいゲームを作る  直人
優しくて、みんなに好かれる保母さんになりたい  瞳
いろいろな曲がひけるピアニストになりたい  麻由美
金持ちになって、自分の飛行機で日本中を旅行したい  宏明
誰でも知っている美容師になりたい  実季
盲導犬のトレーナーになり、目の見えない人の役に立つ  珊瑚
オリンピックのスキー選手になって有名になりたい  美里
どんなくせのかみも切れる、美容師になりたい  綾菜
お客さんがいっぱいきてくれる、花屋さんになりたい  佳子
デザイナーになり、今までにないかわいい服を作る  未樹
むずかしい大学の法学部に入って、弁護士になりたい  昌平
有名なスポーツ選手になって、オリンピックにでたい  恵
かわいい洋服やバックを作る、デザイナーになりたい 花奈子
小さい動物がたくさんいるペット屋の店員になりたい  佐友里
松井のようにホームランを打つプロ野球選手になる  雅之
お客さんが喜んでくれる服を選んであげられる洋服屋  由里香
新聞記者になって、小学生にわかりやすい新聞を作る  裕哉
パイロットになって、世界中の大空を飛び回りたい  隆史
丈夫なペットをお客さんに買ってもらえるペット屋さん  麻美
雑誌にのるくらいな有名な喫茶店の店長になりたい 真也
りっぱな画家になって、たくさん絵を描きたい  志帆


充実した設備のコンピューター室

12月に校内で行われた餅つき大会


【入谷町】
昔、この辺り一帯は千束池の底だった。天正の頃(1573〜1592)鳥越村人が池を埋め立てて田圃にした。江戸時代になっても大部分が田圃であり、坂本村に属し入谷田圃と呼ばれていた。明治42年下谷入谷町として起立、同44年下谷に字を略した。入谷町は大変広く、元入谷、中入谷、南入谷という俗称があった。元入谷は坂本1.2丁目、旧金杉1丁目の東側の地で寺院が建てられ入谷の中で最も早く発展した。中入谷は元入谷の東側で入谷町の中央に位置し、南入谷は中入谷東南に位置した。 昭和12年、西部を坂本1丁目、2丁目に、北西部を金杉1丁目に割譲し町域をせばめた。同18年、南入谷の東北隅を浅草区に移し、西南お地を浅草区松葉町に割譲した。「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」と太田蜀山人に詠まれた鬼子母神は坂本1丁目(現下谷1丁目)になってしまった。7月初旬に境内付近で朝顔市が行われる。

【光月町】
江戸時代初期まで田圃や沼地であったがその後埋め立てられ、寺院などが建てられた。正保2年(1645)松が谷3−3に現存する海禅寺東北部に新鳥越町4丁目飛地が造られ、鳥越町の商戸をここに移した。明治3年(1870)、この飛地は光月町と改称した。町名は近くにあった東光院と燈明寺の「光」と「明」の字をあわせて命名したという。その後、北側に位置する立花家下屋敷を合併し町域を広げた。同24年、光月町起立時の範囲である新鳥越町4丁目飛地の部分を松葉町に割譲した。この結果、立花邸の部分が光月町となった。昭和18年、光月町は下谷光月町と浅草光月町に2分されたが、台東区発足により統合され、光月町に戻った。昭和40年、住居表示実施で千束2丁目と入谷2丁目になった。町内に太郎稲荷がある。

坂本小学校


平成7年、大正小学校と統合前年の坂本小学校

大正小学校の郷土資料室に残る坂本小学校の校旗
   

「富田さん、言問通りと交差するこのあたりが昔の坂本二丁目、ここに都電の停留所があったんだ。高校行くとき、あきちゃんとよくここで会ったよな。町名が変わって、都電がなくなっちゃって、この十年間でずいぶん風情も変わっちゃったよ。 富田さんねえ、言問通り、この通りはけっこう情緒あったよ。もっともこのあたりでは改正通りっていうんだけどね。さっきの柳通りみたく、柳が両側に横たわっててね、幅もこの半分ぐらいかな。そうそう、ここにさっきの鍵屋があったんだよな。前の建物は安政年間のものでね、二階建ての立派な町屋風の長屋だったな、惜しいことしたよ、 昔の下町の風情、残した最後の居酒屋って、いってもいいかもしれないね。(中略)

それにしてもあきちゃん、坂本小学校も変わらないね。この建物も昭和の初期のコンクリート造りで、この間、本屋で偶然立ち読みしたんだけど、なんとかっていう建築雑誌に大きく出ていたよ。
あれ、やっさん、日東拳この辺じゃなかった。」
いや学校の裏だよ。

福島泰樹 「上野坂下あさくさ草紙」』

【坂本町】
坂本は寛永年間(1624〜44)の起立。天正18年(1590)家康入府の頃、坂本村と呼ばれていた。寛永14年頃から次第に町屋が形成され、延享2年(1745)に坂本村から町屋の部分が坂本町1〜4丁目として起立した。明治11年、坂本町は、15区制で下谷区へ編入されされ、翌年に下谷小野照町を併合した。 昭和12年、坂本1.2丁目は、善養寺町、豊住町の西一部、入谷町と坂本3丁目の南一部を併合して坂本1丁目となり、坂本3丁目の北大分、同4丁目の南大分、坂本箪笥町、坂本裏町を併合して坂本2丁目となった。坂本の由来は、京都比叡山を模した東叡山寛永寺は、地名にまで比叡山山麓の坂本を使った。弘法大師作と伝えられる栄信寺の「三面大黒天」は下谷七福神の一つ。      
  
所在地 111- 台東区入谷2-23-8
TEL 03-3876-5592
生徒数 314名
教員数 19名

交通
【地下鉄】地下鉄日比谷線 入谷駅 下車 徒歩約5分
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