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| ホットニュース! |
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皆さん今日は!毎日見てくれた人、お待たせしました。今日が初めてのひと、これからもよろしく。
さて、4月に試験的に開設したこのHPも既にアクセス数が130を超えました!みんなどうもありがとう!何回も見てくれてる人、本当にどうもありがとう!
季節は暖かい春!最近マンネリが進んでいたこのHPにも春がやってきたようです。今日からここに開いたit's new!
ここではとりあえず管理人のわたしがホットなニュースをお届けする事にします。
記念すべき第1回目は、先月開かれた下瀬谷中学校9期卒業生による同窓会についてちょっとお話してみようと思います。都合で来られなかった人も結構いるしね。 序章・・・全ての始まり 新世紀の正月、僕は中学の仲間と瀬谷駅銀座通りにある居酒屋で新年会を催す事になった。
新年会というのは名ばかりで、その場に集まったのは男ばかりたったの6人程。年中会う仲間もいれば、何年かぶりに会う仲間もいる。店に入り狭くて急な階段を駆け上がり、中途半端な明るさの座敷に陣取った僕等は、あわてるように酒を注文した。久しぶりに会った仲間とのぎこちなさも、その酒が進むにつれ次第に溶け、やがて座敷はにぎやかになった。誰かがすこし調子に乗って、超くだらないことやつまらないことを言っても、それが許される状況であった。誰かが呼んだのであろう、いつの間にか人数は10人程に増えていた。「ところでさー!」その中の1人、外の街灯が透けて見える窓側に座る僕の幼なじみの友人が、みんなの会話を分断し、一段と大きな声でこう叫んだ。
「同窓会やろうぜー!下中の。」(次回に続く)
第二章:本当にやんの?
それから数週間が経ち、その場では同窓会の開催に同意した僕も、すっかり日常の生活リズムに戻っていた。
「ただいま」
いつもの時刻に家に帰った僕は、服を着替えながら、明日の朝までの、睡眠時間を除いた自由な時間を逆算していた。
「そう言えばあなた。何か葉書来てたわよ・・」
「んー。」首を上げる僕に母親は箪笥の上を指差した。箪笥の上には、鋭角に折り目のついた往復はがきがあった。
「同窓会だかなんだかって書いてあったわよ・・」
重い腰を持ち上げて手に取ったはがきには、下瀬谷中学校同窓会についての案内とアンケートが印刷してあった。差出人はよく知っている人物、というよりもあの場に居合わせた人物である。
「ほんとにやるんだ・・」僕は部屋にそのはがきを持っていき、もう一度内容を確かめると、勉強机の上にそのはがきをそっと置いた。(つづく)
第3章:人数集め
その後数日してから、帰宅途中の電車の中で実行委員の1人から連絡があった。どうやら往復はがきのもどり具合があまりよくないとのこと。そう言えばまだ自分も、記入はしつつも返送はしてなかった。
僕はその足で彼と会うと、駅前のミスタードーナツで今後の方針を語り合った。やはり9年という時間が影響しているのか、気軽に当時の仲間とも連絡がとれないままはがきを出しそびれているのだろう。そう結論付けた僕達は、参加人数の拡大のためにに新たな作戦をとることにした。
その作戦名は「電話大作戦」。
この方法はその名の通り、卒業生に電話で出席を呼びかけるものであったが、その効果を最大限に引き伸ばすために、以下のような条件を決めた。
1:基本として、各クラスに2人のクラス委員を置き、そのクラス委員が連絡網方式でなく、責任を持ってクラス1人1人に電話をし人数を把握する。
2:今回の同窓会は先生を含み、「全員参加」を目的としていることを伝える。
3:同窓会は3月17日に決定した旨を伝える。
4:クラス委員は本人が電話に出ない場合でも、携帯番号など自分の連絡先を伝える。
5:はがきがあて先不明で戻ってきた人については、電話の際、その人の連絡先を知っている人がいないか聞く。
6:参加不参加に関わらず、今からでも良いのではがきを出して欲しい旨を伝える。
まずこのクラス委員を選出するのが苦労すると考えられたが、幸いなことに、多くの協力者が生まれ、彼らの貢献が後の運営に大きく関わった。困難に思われた先生方への連絡も、現在横浜市の職員を務めている卒業生の協力によってスムーズに進んだ。
そうして各クラスに電話が廻る一方で、本部役員は会場の手配と、全体の人数把握を進めた。ここに同窓会運営委員の組織は確立し、お互いベクトルをあわせ1ヶ月に控えた同窓会に向かって動き始めた。
第4章:様々な困難
電話作戦はそれなりの効果を発揮し、はがきは以前よりも戻り具合がよくなり、卒業生1人1人とクラス委員、クラス委員と実行委員との連携も円滑に進むようになっていった。
しかしその一方で様々な問題も生じてきた。
まず、9年という時間が経過したために、相当量の卒業生が住所不明で連絡がとれない事、参加人数が確定できないため、係る参加費が確定できないこと、先生方が出席する中での式次第などである。正式な案内も出さなくてはいけなかった。
これらの問題を解決するために、実行委員は電話による連絡以外に、ほぼ毎週金曜か土曜の11時位から大和ガストにて定期的に打ち合わせを行うことになった。
実際に顔を合わせてお互いの状況を確認するのが重要だと感じたからだ。
そのなかでも一番気を使ったことは、「今回の同窓会をなるべく多くの人が楽しんでくれるように。」ということ。例えば一人でも「私には連絡来なかった・・」とか「そんな大きな同窓会やったんだ・・1部の人間でやってるのかと思った・・私も行けば良かった・・」という人を作らないこと。そして今回の同窓会をきっかけに、今後ほかの卒業生の誰かが同じような事を企画した時にスムーズに事を運んでいきるような下地を作ることであった。
この時期には真夜中に他の実行委員から電話がかかってくることもしょっちゅうあった。「いまから集まれるかな?」「・・・うん。」そういう時は正直辛かった。
「何人集まるかも分からない同窓会のためにこんなに疲れて、大変な思いしてなんになるんだろう?」口には出さないがそんな思いが胸を走ることも多かった
でもそんな中、電話をしてきてくれた彼は優しくこう言ってくれた。
「うん。でもあと少しだから、もうちょっとだからがんばろうよ・・」その言葉に僕は久々に感動を味わった。自分一人じゃなく、多くの実行委員やクラス委員、そして個人単位で同窓会を成功させようと頑張っている人がいる。
「楽しみにしてるよ。頑張ってくれ。」と励ましてくれる友人もたくさんいた。
そうした環境の中で、僕は新たなパワーを受け取り、同窓会に対する思いをいっそう深めていった。「必ず成功させよう。」毎週顔を合わせる実行委員も、文句も言わず協力してくれるクラス委員もきっと同じ気持ちだったに違いない。(つづく)
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2001年04月23日 19時27分44秒
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