カンナの思い出

 

子も親も成長するところ
K.S
 ガラッガラッと、引き戸を開けると、「オギヤーオギヤー.」と、大
きな声がとんできて、初めて共同保育所に、足を一歩踏み入れた私は、
たじろいでしまいました。
 こんな狭い汚い所に預けるのは、私の赤ちゃんかわいそう、と、まだ
三ヵ月の小さなおなかをさすりながら、思ったものでした。
 カンナの保母さんも、預けているお母さんも、私にとっては、初めて
接するタイプの人たち。バザー、会議とか、話を聞けば聞くほど、不安
がいっぱい。「でも、ここに預けへんかったら、会社辞めやなあかん、
仕方ないな。」と、思ったら、ささくれだった畳での会議も、暑い最中
大きなおなかでのバザーも、何とか乗り越えられました。
 それから四年後の二人日の時には、カンナが傍にあったらな、もく浴
室があって、トイレも調理場も保育室とは別にある保育園を自分たちの
手で建てられたらな、と夢に描いていたことが、みんなの力で実現した
のです。あの建物には、物品販売、廃品回収、バザー、模擬店などをし
て、運営をしてきた一人ひとりの少しずつの積み重ねが、刻まれている
ようてす。
 一人目の時も、二人目の時も、カンナに預けて働いて、土曜・日曜日
は、会議、バザーでつぶれて、大変な毎日だったけれども、そのしんど
さを補うのに余りある、お父さん、お母さんとの友達閑係を得られたこ
とが、大きな、大きな財産です。
 自分の子どもたちが、親だけでなく、カンナに預けていたお父さん、
お母さんが、先生が、見守っていてくれるなかで、成長していく。親も
子どもを通して成長していく。私にとってカンナ共同保育所は、そんな
大切なところです。                     ・
 
カンナの思い出
 
M.T
 
 創立二十周年、おめでとうごぎいます。
 羽曳野から吹田に移って五年目、だんだんこちらの生活が身に付いて
きたこの頃、カンナ二十周年のお知らせをいただき、たいへん懐かしく、
また二十年という歴史の重みをあらためて感じております。
 産休明けから保育所に入れて働くことが、以前より抵抗なくなってき
たこの頃ですが、私がカンナに勤めた頃やそれ以前は、きっとお母さん
たちの苦労は、並み大抵ではなかったと思います。
 そういう私自身、子どもたちを共保に入れてきました。長男はカンナ
に、長女と次女は吹田の共保にと、自分が共保の父母になった時、カン
ナの保母として勤めた四年間はあれでよかったのかと、反省することが
多く、冷や汗が出る思いをつくづく感じています。
 私がカンナに勤めたのは、とにかく一年を通じて子どもを保育したい
という思いでした.それまての私は、公立保育所を追略し、しばらくし
て産休代替保母として市内の保育所を転々としていました。子どもたち
のことがやっとつかめて、さあ頑張ろうと思っても、産休期間が終わる
ともうおしまい。そんな生活が空しく思えてきたからでした。
 そして、やっと一つの園で頑張れるという期待と、共保という未知の
世界に飛び込む不安と一緒にカンナに勤めました。初めて接する産休明
けの赤ちゃん、夏のバザーと、とても新鮮でお母さんたちのバイタリテ
ィーに圧倒される思いでした。
 しかし、現実はもっと大変なものでした。「保母として子どもに接す
る以外に、運営にも参加する」この事がどんなに精神的に大変か、つく
づく思い知らされました。
 自分の働いている職場の経営状態が丸見えで、人件費の赤字を埋める
ための会議や、子どもの人数の少ない時期の身のやり場のない思い。そ
うそう「季節出稼ぎ保母」として毎年あちらこちらへ出かけました。市
内だけでなく、富田林の保育所まで通勤し、給与をカンナに入れたり、
毎年アルバイト先を捜すのもひと苦労でした.
「保育のことだけ考えて仕事てきたらどんなに楽だろう」という思い
が何度もよぎりました.でも公立の保母をしている友人から「保育と組
合活動の両立のしんどさ」を聞くと、どこの職場でも頑張っている人が
いるんだと、反対に励まされたものです.
 カンナのことで印象に残っているのは、一つ前のカンナの場所に移転
の契約をした時のことです。契約の保証人を市会議員の湯浅議員にお願
いし、すぐに成立すると思ったのに、共保という団体を理解してもらえ
ず、経営者でなく施設長としての私が独身であったこともあって、なか
なか信用してもらえなかったのです.結局、私の両親が古くから市内に
在住していることで納得してもらい、やっと契約できました.
 また、私が最後の一年は、長男をカンナに入れての勤務でした.意識
して我が子を無視したため子どもにストレスがたまったのか、夜泣きが
三ヶ月も続き、目を赤くして出勤したり、母乳がよく出たので、しっか
り飲ませた後、他の赤ちゃんにも飲ませてあげたのも懐かしい思い出で
す.
 そして今、三人の子どもの母として、共保で過ごした四年間は私の大
きな励みになっています.五才・三才・一才の賑やかな子どもたちです
が、あの十五人の赤ちゃんのことを思うとまだまだおとなしいものです.
また、長女が生後五ヶ月て大病し、障害が残りましたが、ゆっくりゆっ
くり自分の力をためこんで成長している姿を一歩下がって見つめながら
子育てする力にもなっています.
 現在私は、やさしくてちょっと気の弱い長男と、伝い歩きを始めたや
んちゃな次女と、腹這いから自分で座ることが出来た長女の定員三名の
都築保育園の保母として元気にやっています.
 カンナが二十一年目に入り、ますます働くお母さんの子育ての砦とな
るよう心から応援いたします。みなさんも、健康に留意され、子どもた
ちとハツラツと過ごされることを願っております.
 二十周年本当におめでとうございます.
 
カンナでの生活を振り返って
S.S
 
 育休があと少しで終わるという頃、私の気持ちには、まだ迷いがあり
ました。近くの保育園の途中入所が無理なようなのて、実家の母が、仕
事をやめて息子をみてもよいと言ってくれたのです.かなりきつい仕事
をしているので、母の体の事を考えるとその方が良いのか、また、息子
にとってはどうなのか、とあれこれ考え、答えがはっきりだせなかった
のです.
 そんな時、カンナ共同保育所を紹介され、とにかく一度行ってみよう
と思いました。初めての子どもの事なので、緊張と不安でいっばいでし
たが、私を迎えてくれたのは、あたたかい家庭的な募囲気に包まれた所
でした.いろいろ話を聞きながら、ここならば息子を預けてもよいので
はと思いながら帰ってきました.主人や母とも相談し、その結果、カン
ナにお世誌になることにしたのです.
 いざカンナヘ息子を預けてみると、お友達や大きなすべり台など目新
しい事だらけで、泣くどころか、そちらに気がいって、大いに楽しんで
いました.息子よりも私の方が、早く新しい生活に慣れないといけない
なと思ったほどでした.
 毎日があわただしく過ぎていきました.食事やお風呂が終わった後が
のんぴりと息子と接することができる時間です.「ランランラン」と歌
うとひざをまげて踊りだし、お気に入りでした.「トンネル、トンネル
・・・」と本を読むと「でた。」と手をあげて大きな声を出します。そ
んな様子を見ては、主人と笑い、何度も息子にやらせていました。すべ
てカンナで習ったものでした.
 リズム遊びや絵本のことだけてなく、今、カンナでの生活を終えてみ
て、息子にとっていろいろな面でよかったなと思っています。母とも
「やっばり預けてよかったね.」と話しています.
 確かに、運営にかかわっては、大変な面もあるのですが、保母さんが
取り組んでおられる姿を見ては、親もがんばらなければとつくづく感じ
ました.
 私は、あまり充分なことはてきなかったのですが、そろそろ二人目が
欲しいと思っていますので、また、お世話になるかもしれません.その
時は、どうぞよろしくお願いします。
 
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