電車特急


上越特急「とき」の誕生

信越本線の長岡〜新潟間の電化完成を機に東海道本線の電車特急「こだま」 の弟子といえる161系「とき」が誕生した。上越線の勾配と豪雪に耐えられ るように加速力を増して勾配抑速グレー機を設け、雪害対策を施したもので、 二等車両二両、食堂車も含む九両編成で昭和三十七年六月十日から運転を開始 した。

東海道新幹線開業後、余った車両を「とき」増発揚に転用するため出力を増 し、耐寒改造を施して160kwのモーターに取り替えて、その仲間入りをし た。昭和四十四年からは石打行きのスキー特急「新雪」も運転されていた。

ときの写真

信越特急「あさま」の誕生

碓氷峠の複線化と長野〜直江津間の電化が完成した昭和四十一年十月、上野 〜長野間181系8両編成(食堂車は無し)の特急「あさま」が誕生した。碓 氷峠では電気機関車を連結して押し上げるため、自動連結器(電車はすべて密 着連結器)をむき出しにしたクハ180形を上野寄に連結し、屋根上の前照灯 を取外したスタイルで登場した。これは断面の小さなトンネルのある中央専用 「あずさ」と共用するための措置である。

昭和四十四年夏には中軽井沢行きの「そよかぜ」を運転開始、最初は日光形 を、秋からは「あさま」の編成を使用、翌年には黒磯行きの「くろいそ」にも 使用されている。

あさまの写真1
あさまの写真2
長野へ帰る「白樺」号

吾妻線の特急「白根」

草津温泉へのルートである吾妻線には早くから「上越いでゆ」号などの準急 、急行が運転されていたが昭和四十六年四月二十四日から万座鹿沢口行特急「 白根」が誕生、以前日光準急に活躍した157系がカムバックした。その後車 両は183系に替わり、今は185系が運転されている。

交直流特急電車完成と「やまびこ」

交直流用の特急電車が完成したのは昭和三十九年の事で、まず北陸本線にデ ビューしたが、昭和四十年十月に50Hz区間用の483系が完成し、盛岡迄 の電化が完成した東北本線にはじめて電車特急「やまびこ」仙台行きの「ひば り」が登場した。

外観は「とき」と似ているが、床下に変圧器や整流器を取り付けるため、レ ールから床までの高さが181系よりも少し高くなっている。

483系は50・60Hz共用の485系に発展し、電化の進展につれて会 津若松行きの「あいづ」山形行きの「やまばと」金沢行きの「はくたか」とそ の運転範囲を拡大していき、昭和四十七年十月には常磐特急「ひたち」羽越特 急「いなほ」も電車特急に変わった。

485系となってからは特徴あるボンネット形の先頭車から、正面に貫通扉 のある箱型に替わり、床下に大形の電動発電機を取り付けて座席定員が増えて いる。

やまびこの写真

奥羽特急「つばさ」の電車化

奥羽本線の秋田までの電化が完成したのを契機にディーゼル特急「つばさ」 を昭和五十年十一月二十五日から電車化され、ディーゼル特急時代は終わりを つげた。

多雪寒冷地への電化が進むに釣れて特急電車の耐寒設備にも不十分な箇所が 目立つようになり、寒冷地用の485系が新製されて昭和五十一年三月から「 つばさ」に投入され、冬期のトラブルが減少するようになった。

つばさの写真

夜行列車


20系ブルートレインの登場

九州特急「あさかぜ」にブルートレイン、20系客車が登場して大変好評を 得、順次運転本数が増えていったが、上野口に登場したのは昭和三十九年十月 一日で、急行「北上」を格上げした青森行き「はくつる」を東北本線経由で運 転を始めた。一年後には急行「北斗」に変わって常磐線経由の「ゆうづる」を 登場させ、みちのくにもようやく寝台特急時代が訪れた。

奥羽本線の秋田行き「あけぼの」は昭和四十五年七月一日に誕生、十月一日 から定期列車となって青森まで延長された。20系客車は昭和五十年三月に生 まれた盛岡行き「北星」なども使われていたが、その後生まれた特急寝台に較 べてサービス水準が劣るもで、世の中の経済成長とともに急行に格下げされて 昭和五十五年に特急からは引退したが、昭和六十年春からは定期急行列車から も退いている。

583系のあけぼのの写真
現在のあけぼのの写真

寝台座席兼用特急列車・583系登場

速度の速い電車の寝台車を設計し、昼間は座席車として使うという画期的な 構想の車両が昭和四十二年に実現し、山陽本線の特急「月光」に使用して成果 をあげ、昭和四十三年十月から上野口に投入して「はつかり」「はくつる」「 ゆうづる」を電車化した。

寝台の構造は当時の二等寝台でブルマン式呼ばれるものに近い構造で、下段 は向かい合わせの腰掛を引き出してベットにし、上・中段は天井にたたきこむ ようになっている。電車寝台は普通寝台(ハネ)だけで、座席謝意ちりょうと 食堂車が組み込まれた。

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