特急列車


客車特急「つばめ」

横浜駅の看板列車はなんと行っても神戸行きの特急「燕」や下関行きの「富 士」であった。

大正十四年の大晦日に国府津迄の電化が完成し、電気機関車の運転を開始し たので、蒸気機関車の活躍は昭和時代に入ってからはほとんどなかったのだが 、特急列車は機関車の付け替えによる時間損失をなくすため、専用のC51形 が電化後も活躍していた。

豪華な一等展望車が「つばめ」に連結されるようになったのは昭和六年の事 で、戦争の激化にともなって昭和十八年に「つばめ」「かもめ」、昭和十九年 に「富士」が廃止されるまで日本の代表的列車として活躍した。

第二次大戦後の鉄道の復活は極めて早く、運輸省から日本国有鉄道が独立し た直後の昭和二十四年九月十五日、東京〜大阪間に特急「へいわ」が復活し、 展望台も連結された。昭和二十五年元旦から戦前の「つばめ」を名乗る事にな り、五月には「はと」も増発され大阪まで八時間で運転された。

展望車は二重屋根で桃山式デザインの古風なマイテ49,58形などを設備 し、外人観光団などが乗車するときには供奉車を改造したマイ38形が増結さ れた。

三等車には一方向き腰掛のスハ44、二等車にはクライニングシートのスロ 54形が新製され、昭和三十一年十一月十九日東海道本線の電化完成を機に明 るい薄緑色に塗り替えられ、機関車もEF58形を同じ塗装にして文字通り看 板列車となった。利用客も増加し、展望車のない「さくら」も、増発され、客 車特急時代が昭和三十三年まで続いた。

つばめの写真

ビジネス特急「こだま」

昭和三十三年十一月、はじめての電車特急「こだま」が出現、八両編成で東 京〜大阪間を6時間50分で結んだ。

車両は軽量構造で空気バネ台車を使って乗心地が格段に向上し、サービス面 でも三等車も回転式腰掛が装備されて従来の二等車並みになり、全車冷暖房完 備、立食スタイルのビュフェ付きという近代的デザインが好評を拍した。

ダイヤ面もビジネス客に重点を置いて早朝、夕方に発車して、同じ列車が一 日に一往復できるため運用効率が高まったことも画期的だった。

こだまの写真

「つばめ」・「はと」の電車化

電車特急の成功によって昭和三十五年六月から「つばめ」「はと」も電車化 することになり、展望車に代るパーラーカーと本格的食堂車が組み込まれて十 二両のデラックスな電車特急が誕生し、東京〜大阪間の運転時間も六時間半に 短縮され、四往復の内一本は神戸まで延長された。

昭和三十六年十月には山陽本線岡山、宇野迄の電化が完成して宇野行きの「 富士」、名古屋行きの「おおとり」が増発され、昭和三十七年六月からは「つ ばめ」が広島迄延長された。

一方急行列車も昭和三十五年六月にデビューした「せっつ」号を皮切りに1 53系急行電車に順次置き替えられ、昭和三七年には広島迄の急行列車はすべ て電車化された。

夜行列車


「あさかぜ」の誕生

東海道本線の特急「つばめ」や山陽本線の特急「かもめ」が運転されていた 当時、九州行きの急行列車は昼前後に東京を発車し、大阪で夜を迎え、夜の山 陽路を西下して朝方北九州へ着き、鹿児島、宮崎へつくのは夕刻であった。

昭和三十一年十一月、東海道本線全線電化を機に、東京を夕方発車し、翌朝 博多へ到着する画期的なダイヤの夜行列車「あさかぜ」号が誕生し、ビジネス 客に歓迎された。

この列車は急行用の一・二・三等寝台車と座席車、食堂車を使って編成され 、「つばめ」のような特別な車両ではなかったが、最新の軽量車を中心に、戦 前形のマロネフ29形なども動員された。

九州への所要時間が大幅に短縮されたことから切符を手に入れるのが大変で 、昭和三十二年には臨時の「さちかぜ」を増発、長崎迄運転区間を延長して「 平和」と改めた。

昭和三十五年には鹿児島行きの「はやぶさ」、昭和三十六年には熊本行きの 「みずほ」が増発され最初は急行用客車が使用された。

20系客車ブルートレインの誕生

昭和三十三年、「あさかぜ」用に専用の新型客車20系が作られ、冷暖房完 備のデラックスな「ブルートレイン」が誕生した。その当時、二等級制への移 行が計画されていたので、二・三等一両づつ連結され、食堂車と電源車を含む 十二両で編成されていた。二等寝台車には一等並みのコンパートメント車両も あり、「つばめ」をしのぐデラックスな客車列車に生まれ変わった。

昭和三十四年には長崎行きも20系客車になって「さくら」と改称、順次他 の列車もブルートレイン化された。東海道新幹線開業と同時に大分行きの「富 士」浜田行きの「出雲」が加わった。山陽新幹線の開業後、東京〜博多間は半 日で到達できるようになって夜行列車の利用者は減ったが、横浜や途中の駅か らの利用者には重宝な列車である。

新ブルートレイン14系・24系

「あさかぜ」形20系客車も生活水準の向上に連れて寝台がきゅうくつだと 言う意見が強まり、昭和四十七年寝台巾の広い14系が作られ、途中で行き先 のわかれる「さくら」「みずほ」「紀伊・いなば」に使われた。

昭和四十八年には集中電源式の改良形、24系が作られ、「富士」にデビュ ーしたが、さらに三段寝台を二段に改良、A寝台(一等寝台)には個室寝台車 、B寝台には四人用コンパートメントの「カルテット」なども連結されてリラ ックスした旅が楽しめるように変わってきた。

昭和六十年三月から「はやぶさ」に連結されている「ロビーカー」は、運転 時間の長い九州特急にとって、ホテルのロビーに相当するいこいの場で、就寝 前や朝食後のくつろぎに重宝がられている。

20系客車
現在の24系客車

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