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3ページ目の私の日記帳です。前のも、読んでくださいね!! |
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今日は団員としての最後の行事「卒団式」。体育館に今年一年でもらった優勝旗、優勝カップ、トロフィー、楯がずらりと並んだ。圧巻である。こんなに大会があったのかと思った。子供たちと記念写真。いつものにぎやかな子供たち。そして卒団式が始まる。最初に挨拶をさせてもらった。いろいろ考えていたことがごちゃごちゃになりながらもみんなの顔を見て話すことが出来た。団長が卒団証書を渡す。私が一人一人の名前を呼ぶ。記念品のバッグとカレンダーとCDを渡すと、監督、コーチ、そして私に、子供たちが手作りの色紙をくれた。みんながお礼を書いてくれた。「いろいろ教えていただいてありがとうございました。」この一言で、私たちは完全に燃焼できた。「卒団してもみんな仲間です。道で会ったら「元気でがんばっています。」と声をかけてください。」私からの最後のお願いです。この団でがんばったことを大切な宝にして、これからの人生も元気に歩いてください。君たちからいっぱいの元気をもらいました。なにもお礼は出来ませんがこれからも君たちに恥じないように生きていきます。本当にすばらしい4年間をありがとうございました。
監督には、たくさんの仕事を助けていただきました。私のやるべき事もたくさん手伝っていただきました。監督のバイタリティと心遣いに敬服します。一番ご苦労で、一番がんばって、一番辛かったのは監督でした。それを知って微力ながら一生懸命やらせていただきました。いたらない代表でしたがお世話になりました。ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。 |
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2004年02月15日 00時35分30秒
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| 最後の公式戦から1ヶ月。今年もそろそろ終わりとなった。12月に入ってすぐに「学童野球交流駅伝大会」があった。団のみんなはそれぞれよくがんばったが、特に我が6年Aチームは接戦の末「2位」と大健闘をした。これでスポ少の行事はすべて終った。最後の最後まで成績に恵まれた1年だった。2週目は近隣の町で行われた「6チーム交流大会」に参加させていただき、2敗をした。夜は、スポ少の指導者、育成会長の納会があり、初めてそろって酒を飲んだ。3年間、忘れようとしても忘れられない見慣れた顔は、しかしベンチで向き合っていたことだけしかなく、話をしたこともない人ばかり。監督どうしならいざ知らず、名前も声も知らない相手と一夜限り親しくなっても「もう熱く戦うことも無いのだ。」と思うと、もっと以前に交流があってもよかったのでは?と、すこし寂しかった。翌3週目は、高木守道氏の野球教室に誘われ参加の予定だったが、めずらしい大雪の為、残念ながら開催がされなかった。(Tチームの皆様お骨折りありがとうございました。)そして今週の祝日には、同じ中学へ上がる2つの小学校そろっての「中学校の体験入団」をさせていただき、初めて中学校の練習に参加した。新しい環境ということもあり、連れて行った私たちは緊張したが、子供たちは同じスポ少ということもあり、指導者に怒られることにも慣れているのか楽しげに半日を過ごしていた。ボールが見えなくなり、隣の人の顔も見えなくなって練習は解散となった。最後に最上級生になる中学2年生の子が小学生を集めて「やる気のある子だけ来週からの練習に来ても良い。」と言っていた。なかなか頼もしい。新しい上下関係が始まっている。子供たちは目を輝かせ、食い入るように聞いていた。私たちの手元から子供たちが巣立っていく瞬間である。もう振り返ってはいけない、前を見て進んでいけ・・・。話は変わるが、我が息子は、半年以上前からひざの痛みを訴えていた。「オスグット・シュラッター氏病」とか言う子供の成長期の病気で、骨と筋肉の成長の速度の違いから痛みがでるものらしい。成長期の子供にはよくあり、しばらく続くという。今までも走った後とか屈伸は辛そうだった。妻は心配して、激しい運動は止めさせたがったが、子供は野球をやりたいようで、練習の後の痛みも隠すようにしていた。中学の練習も参加をするつもりだった息子の気持ちを、私は一番優先させてやりたかった。「痛かったら自分で休めるだろう。」「そんなことあの子が本当に出来ると思う?。」議論は深夜まで及んだ。今日、仕事を終え家に帰ると、妻と子供たちは不在だった。もう一度ひざの診察を受けに、年末で込み合う病院へ行って来たらしい。結果は「痛みはあるが別状は無く、特に止めることは無い。」。あまり痛かったら休めばよいということのようだ。まずは一安心。とりあえずスポーツは続けられそうだ。ほっとする私達の前で、息子が一番嬉しそうな顔をしていた。そのあと見せられた通知表は、いつもの事でなんだかわけがわからないのだが、体育は全部「たいへんよい」だったので「野球のおかげやな?。」と聞くと「保健のプリントがよくできたから。」と答えて、????複雑な心境の、夜はふけてゆくのである。 |
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2003年12月26日 23時34分19秒
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| 最後の公式戦が終わった。「中日新聞社旗大会」は優勝、「市長旗大会」は準優勝という輝かしい結果を残すことができた。最終戦は負けという結果だったが、夏の大会以後、全員出場を最後まで貫いての準優勝で、本当によくがんばった立派な成績だ。 思えば3年前「本部長杯」から始まった公式戦は、本当にたくさんの思い出を残してくれた。勝てる!と思いながら4年生ではすべての大会で準優勝に終わり、悔しい思いを重ねた。5年生になりその「本部長杯」で優勝したあと「みんな勝つぞ!。」と勢いづいたが、優勝を逃す思わぬ敗退が続いた。そして「中濃学童大会」で6年生を押え関市の代表となった。6年生になり、思いもよらないほどの多くの大会で勝つことができた。市内でも県内でも厳しい試合の連続だった。ほんの些細なことが勝負を左右した試合ばかりだった。そんな幸運にも恵まれて多くの「結果」を手にすることができ、多くの喜びをあじあわせてもらった。だがひとつの勝利の裏には敗れたチームの悔しさがあったことを忘れてはならない。多くのチームを押しのけて勝利をもぎ取ってきた。負けたこともあった。勝った時よりも多くを学んだ。小学校最後の公式戦は「市長旗大会」の決勝戦。相手は隣の小学校の「Aクラブ」。3年生で、「生まれて初めて練習試合」をしてもらった相手チーム。一番最初の公式戦4年生の「本部長杯」の決勝戦で敗れた相手。最近はなかなか公式戦で会わなかったが、Aリーグを1位で抜け出し、Bリーグ1位の我がチームとがっぷり対決した。すばらしい試合は最終回粘って追いついたその裏のサヨナラ負け。満面の笑顔でベンチ前に並んだAクラブのメンバーを見て、私もつい笑顔になった。「この子達もがんばってきた。この日のために一生懸命練習してきた。よくやったね。最後に勝てて良かったな!。」・・・これですべての大会の幕が閉じた。3年間の長い戦いが幕を閉じた。あとは「駅伝大会」を残すのみ。あと数ヶ月で子供達は中学校へと旅立つ。昨日対戦した「Aクラブ」のメンバーとは同じ中学に進む。昨日の試合もお互いの胸に刻んで、今度はチームメートとして、また野球をがんばってほしいものだ。私達の役目も、もう少しである。 |
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2003年11月26日 17時35分07秒
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| 最後の公式戦も大詰め。昨日は、「市長旗杯」の予選、最後の戦い。 一昨日は「中日新聞社旗大会」の準決勝があった。 「少しでも多くの試合まで残っていたい。」どのチームも願いは同じ。 負ければもうあとの試合はないのだ。そして、あの暑い戦いをした夏の 試合に「控え」としてベンチにいることが多かった子供を、この最後の大会に たくさん出す。これも残された課題だった。 だから、どんなに力不足でも、ここで負けるわけには行かない。 一昨日も、昨日も、厳しい戦いだったが、みんなよくやった。 昨日のダブルヘッダー2試合目は、忘れられない好試合となった。 先週は、雨天の中4点先取され、ベンチからの声で好投手を揺さぶり 同点まで追い上げ押せ押せムードの中で雨が激しく、ノーゲームとなった。 その激戦の同じ対戦カードの再試合。ボークの判定があるなしで 一色即発だった審判もまた同じ。すでに波乱の予感がした。 試合開始、初回の裏、四球から4点先取で、上々の立ち上がり。 だが、先週の逆の形。いやな予感は的中。惜しいエラーのあと強打者に打たれ 4回3失点、5回も3失点。そして満を持して登場のピッチャーは 市内屈指のすごい球を投げてくる。先週のようには、やすやすと崩れない。 なんとか四球を選び、1点を返すも、6回エラーもからみ、また1点取られ 最終回の点差は2点。ワンアウト後、四球のあと値千金の3塁打。 そして、息子のスクイズが決まり、同点。だが、ここで時間切れ。 すぐさま「特別延長」が始まった。「特延」の経験は多い。しかも後攻め。 圧倒的に有利はうちだ。ノーアウト満塁からは、得てして1点ぐらいしか 入らないもの。一つのアウトが大きく左右する。これも何度も経験してきた。 1人目のバッターを力で三振にねじ伏せ「よし!」と思った瞬間、 サードへのけん制が、グラブをはじき、ファウルラインを超えて転がった。 その時の審判の判定が長引き、そのあと、4番あの強打者に センター前に運ばれて、3失点となった。「3点なら何とかなるぞ!。」 これも強がりではなく、経験からの本心。決してあきらめない気力が 子供たちにみなぎった。バッターは、今日当たりがまだないうちの最強3番。 いきなりワイルドピッチ。「無理をするな!。」と再三言われながら 思い切って突っ込んだ息子はホームで間一髪セーフとなり、1点返す。 そして、直ぐに鋭い当たりのボールはセンターのわきを抜け、一番深い センターのフェンスを越え、2塁ランナーに続いてバッターはホームを 駆け抜けた。最初、主審はツーベースと手をあげたが、ルール説明の時に オールフリーと言った言葉通り、ホームランとなり、劇的な試合は 「11-10」のサヨナラで幕を下ろした。苦しくても、控え選手を使い続け、 みんなをうまくまわして全員出場をさせた。全員一丸となって勝った試合に、 みんな本当に嬉しそうだった。試合途中に気がついて見渡すと、 正規の守備位置を守っていたのは、「センター」の選手ただ一人 だったのは本当にびっくりした。すごいやりくりだった。こんな苦労をして 勝てた試合に、監督の嬉しさはひとしおだろう。初めてショートを守った子も、 初めてヒットを打った子も、なれない守備にもみんなよくがんばった。 そしてその姿に自然と親も声援をした。相手の子供たちもよくやった。 みんなの一生懸命の姿に感動した。本当にいい試合だった。 来週は、決勝トーナメント、そして決勝戦。「最後の公式戦」が、もうすぐ終る。 |
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2003年11月17日 22時32分54秒
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| 大きな大会が終わって気が抜けてしまったか?。日記を書き忘れていた。しかし、まだ「市長旗大会」「中日新聞旗大会」は進行中である。先週も今週も試合があった。その先週の試合で息子が「満塁ホームラン」を打った。満塁はもちろん、公式戦でのホームランもたぶん初めてだ。チームでは強打者の反対の弱打者?の部類に入り、まれに大きく飛んで行くことがある程度のバッティング。最近はヒットも鳴りを潜めていた。大きく振ったバットに当ってくれたボールはライト線を抜けて、「回れ!回れ!」とその時ばかりは早くなったような足で、強引にホームまで帰ってきてしまった。でもれっきとしたホームランである。本人はもちろんうれしそうだったが、まわりのみんなも監督も喜んでくれた。見ていてもいい気分だった。息子にとっても良い思い出になっただろう。これが「中日新聞社旗大会」だったから、翌日の我が家の新聞には試合結果と「本塁打」として名前が載っていた。早速見つけた私が「載っとるぞ!。」といっても、「フーン?。」と言うだけで、記事を見ようともしない。「なんで?!。」どうやら、本当に興味がないようだ。そんなものかなあ?。顔は似ていても、性格は必ずしも一致しないようだ。 |
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2003年10月29日 19時13分18秒
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| 白川杯の1週間後は「第17回中濃学童軟式野球大会」の本選。これが連盟の最後の大会。2つのブロックに分かれて優勝をめざす。県大会出場チームの名前もたくさんある。みんな実力は備えている。厳しい戦いが続きそうだ。初戦「白鳥少年野球クラブ」、2回戦「坂祝フェニックス」ともに強豪を何とかかわして勝利し、翌日に駒を進めた。準決勝「倉知ドリームス」、決勝の「白川かみかぜ」。厳しい戦いだった。だが、子供達は勝ち抜いた。負けられないプレッシャーはかなり精神的にきつかったが、子供達はそんなものはものともせずにがんばった。そして最高の結果を残した。中濃大会でも「優勝」できた。もうこれ以上の栄誉はない。「県大会に1つは行きたい。」そんな思いで始まった今年の数々の大会に、ものすごい記録を残してしまった。「プレッシャーの中でよくがんばっていただきました。」中濃学童が終わった時、連盟の関支部審判部長に言われた。「開催地の面目も立ちました。」連盟役員からさえそんな隠れたプレッシャーをいただいていた。でもうれしそうな連盟の事業部長の顔をみて、「本当に長い間、お世話になりました。」と素直にお礼が言えた。この方にもいろいろお世話になった。市内で、一番説教をいただいたチームだろう。「代表を辞めます。」とまで言った事もあった。「県大会ではそんなことやっとれんぞ!。」よく怒られたり注意されたりした。「あんな試合内容では、県大会では通用せんぞ!。」なんでそんなことまで言われないかんのやろ?と思った時もあったが、今から思えばそれだけ目にかけていただいていたのだろう。大きな大会の試合の朝には、よく学校まで激励に来ていただいた。県大会を勝ち進んでいた時もとてもうれしそうな笑顔を見せていただいた。「本当にありがとうございました。お世話になりました。」・・・・残すは、「市長旗大会」「中日新聞社旗大会」のみ。いずれも、関市スポーツ少年団の大会のみである。笑顔で終わろう。残すはそれだけ。 |
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2003年10月14日 19時16分45秒
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| 県大会 優勝 おめでとう! とうとうやった!。最後の県大会「白川病院旗争奪岐阜県学童軟式野球大会」」は、我が富岡クラブが「優勝」を手にして、幕を閉じた。「うちのチームって、それほど強そうにはみえないんだけど・・?。」これは私の妻の口ぶりだ。でも、本当に多くの強豪相手を勝ち抜き、今日準決勝、決勝に勝ち、優勝を決めた。よくやった。今日もすばらしい試合を見せてもらった。。準決勝の相手は、「伏見クラブ」(可児郡代表)。美濃加茂交流大会の時も、抽選で辛くも勝ち抜いた最大の強敵。長打もある。そしてあの時のすごい速球は健在だった。だが、速球を打ち返す練習も積んできた。昨日もピッチングマシンで120キロクラスの球をガンガン打ち込んできた。当たっている。が、相手も打つ。派手な打ち合いの予感。やはり初回、2番バッターにレフトオーバーのホームランを打たれた。2回裏にこちらも長打で同点。3回、内安打で1点取られると、その裏四球と長打で同点。その後両チームのピッチャーがよく押さえたが、6回、長打2発で取った1点を最終回守り切り、勝利した。30分の休憩の後、決勝戦。相手は「SS昭和クラブ」(多治見代表)。前代表からも再三聞かされた名門。過去の県大会優勝に何度も名前を連ねる強豪。そのチームと試合が出来るんだぞ!。喜べよ!。私は選手にそう言って励ました。しかし、子供たちはそのチームさえも打ち負かした。打線爆発!。1回から、レフトオーバー、センターゴロ、レフトフライ、レフト前、レフトホームラン、センターフライ。とすべて外野へ運び、3点を取って相手の度肝を抜いた。2回には、2塁打の後四球のランナーを挟む間に1点取られたが、その裏はまたも長打を集め打者11人で7点。4回にも2点を加え、12-4で5回コールド勝ち。優勝となった。「強そうに見えなくても強くなきゃ、決勝でコールド勝ちはできんぞ!。」妻も納得、大勝利の優勝だ。県で一番を勝ち取ったのである。おめでとう!。本当におめでとう。すごいぞ。!。しかし子供たちは帰りの車のなかでも、あっけらかんとして興奮の様子も無く、まるで練習試合に勝った帰りのようで、はりあいがない。「お前ら、岐阜県で一番になったんだぞ!。関の一番と違うんだぞ!」というと、「うーん、明日ぐらいに実感がわくかなあ?。」なんて言っている。これが強さのゆえんかもしれない。とんでもないやつらだ。やることはやった。力を出し尽くした。そして結果を出してくれた。ただのスポーツ少年団が、ここまでよくやった!。子供たちよ、本当におめでとうございました。ありがとうございました。「明日、また校長先生に報告に行けよ。」・・・そして今夜は祝賀会と行きたいところだったが、来週の「中農学童大会」の会場係の打ち合わせがあった。親御さんに集まってもらって役割を振り分けた。市民球場の「アナウンス」をお母さんがやるぞ!。また、がんばれよ!。優勝を勝ち取るぞ。!。どこまでも欲張りな私である。残り少ない大会をまだまだ楽しませてもらえそうである。こんなに胸がおどり、ワクワクする時間を与えてくれる子供たちに、感謝である。(今夜は眠れない!) |
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2003年10月05日 23時15分18秒
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| 最後の県大会「白川杯」の二日目。台風がつれてきた雨で一日順延となり、23日(祝)に、3回戦と準々決勝があった。3回戦の相手は大野郡支部代表の「宮ユアーズ」県大会の常連だ。1回の表裏は0点だったが、2回からうまく打線が爆発、我がエースのピッチングもさえて11−0で圧勝。力の差を出すことが出来た。そして次の対戦相手は、つづく試合の勝者。2時間以上の熱戦は、お互い温存する予定のエースを後半つぎ込む力のぶつかり合い。最後は1点差で勝利した「川辺イーグルス」が相手となった。美濃加茂交流では準決勝で戦った相手。その時は何とか押さえ込んだが今回は打線がすごく、前の試合でも良いあたりばかりを出している。そして「県下学童大会」では、あの「養北クラブ」に初戦で敗れ、悔しさをばねに乗り込んで来ている。だが全日本学童の時の我がチームのように、死闘の後の試合は辛いものだ。あの時とは違う30分以上の休憩があり、体制を立て直した相手は強かった。打撃の鋭さとピッチャーの速球には、最初から苦戦が予想された。しかし思いがけず1回の1点はとんだミスから始まった。ワンアウトのあとレフト前に打たれ、ショートからピッチャーに返す球が、ベンチにまで転がる入る送球ミス。そして、次の球がボーク、あっさり失点。こんなこともあるものだ。するとその裏、ツーアウト後、エラーから出たランナーへのけん制球をセカンドが取れず、カバーのセンターのダブルエラーで1点返すという鍛えられたチームでは考えられないような、波乱の幕明けで始まった。2回は四球のランナーの盗塁を刺すもまたも四球、鋭い当たりを思わずこぼし失点。だが3回裏には、ヒットの後四球を選び押出しで逆転。4回長打を止めるが、ワイルドピッチでまた同点。6回裏は2四球の後に送りバント、やっと出た3本目のヒットが決勝点となった。すごいあたりばかり打たれたが、必死に守って耐えて耐えた勝利だった。技術では劣っても、「あきらめない」精神力で勝てたような試合だった。いろんな経験をさせてもらえる。そして、強くなっていくようだ。これで「ベスト4」に入った。「県下学童大会」の活躍が“まぐれ”と言われないところまでは来た。本当の実力を出せる舞台がまだ残っている。準決勝、決勝は10月5日(日)。うれしい時間がまだ延びた。 |
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2003年09月25日 23時37分59秒
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| 昨日は白川杯の開会式があった。正式名称は「白川病院旗争奪第2回岐阜県学童軟式野球大会」(杯ではないのだが、どうしても白川ハイとなってしまう。)今までの2回の県大会は南(西)へ向かって行ったのだが、この大会は北(東)へ向かう。岐阜県の豊かな自然にはぐくまれた七宗町総合グランドで開会式が行われた。駐車場が無いとか、道が狭いとか、不便だといろいろ聞いたグランドも、それなりにキチンと整備されて、県大会らしい雰囲気になっていた。開会に先立ち、ラジコンヘリのボール落下や垂れ幕、真上に上がったすごい音の花火。そしてブラスバンドの演奏による入場行進は、県大会のムードを盛り上げた。子供達は胸をはり、最後の県大会を飾った。なかなか気持ちの良い開会式だった。いつもやっていたビデオ撮りをKコーチが引き受けてくれたので、初めて自分の目でじっくりと見て、私はなんだか感動していた。(デジカメを忘れたおかげもある。しまった!。)行進が決まっていたから絶対もらえると思った「行進賞」(5チーム)がもらえなかったことや、駐車場から出られないトラブルも何のその、30分以上かかる移動先の試合会場で、1時間後に始まった試合では、いつものようにピッチャーは好投し、打線は爆発した。12-1の圧勝。「富岡は強い!。」と唸らせるような、試合運びができてうれしかった。(先日の出直しが効いたのかもしれない。)そして翌日の今日は3回戦と準々決勝の試合予定だったが、雨で順延となり1日予定が空いた。こんな日は家族サービスをせねばならない。家族で少し遠くまでのショッピングと食事に出かけた。夕方予定されていた「特別審判講習」までには戻ったが、これも雨で中止となり、夕食まで昼寝をむさぼった。昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ!あたりまえだ!。そんなわけで、たまっている仕事を片付けるため、今夜も出勤して仕事をしている私でした、ジャンジャン!。 |
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2003年09月21日 22時14分40秒
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| 先週の日曜日は、中濃学童大会予選ブロックの決勝があった。今年は関市が主催なので去年の倍の6チームが本選に出場できる。去年は3つしかない狭き門を6年生チームをやぶって出場したチームとしては、絶対に負けられない。明暗を分けた抽選、強豪が集中したEブロック。決勝にはやはりKチームが来た。お互い意識しあってか、緊張感が伝わるゲーム。「白川杯」準決勝の再現のように、最終回に逆転されてまたも1点リードされた最後の攻撃。粘り抜いて逆転サヨナラとし、これで2年連続の「中濃学童大会」本選出場を決めた。おめでとう。本当によくやった。がんばれよ!。そして一夜明けて、翌15日(祝)は岐阜の名門「Nクラブ」との練習試合。たぶん県下学童の結果から申し込んでいただいたのだろう。1週後は県大会。その前の調整にと試合を受けた。1時間かけてうかがったグランドは、きちんと整備され、休憩用のテントも用意していただいていて至れり尽せり。強豪同士の力勝負が見られそうな予感。ところが、始まった試合での我がチームは惨憺たるありさま!。打線はまったく沈黙し、エラーは山のよう。これが県大会出場チーム?!。まったくなにもできない・・・のような試合ぶりに目も当てられなかった。なにをやっても全部裏目。普段簡単にやっている事が、まったくできなかった。なんだこのチーム?。“おごり”があったのだろうか?。“力み”があったのだろうか?。“油断”も“過信”もあったろう。そして、“怠慢”や、“気抜け”もあったかも知れない。点差以上に内容が本当にひどかった。ダブルヘッダーの予定だったが、相手に「申し訳ない!。」と謝って、そのまま1試合で逃げるように帰った。カッコが悪くても、遊びで来ているわけではない。子供達もショックだったろう。帰りは誰も口をきかなかった。また出直しである。ショック療法にもなっただろう。来週から、最後の県大会である。自分達の実力を出し、自分達の試合ができるように「精一杯がんばる」と気持ちを入れなおして、その日は解散した。しかしあんなこともあるもんだ。県大会ではなくてよかった。「Nチーム」のみなさま、本当に申し訳ありませんでした。 |
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2003年09月20日 19時31分48秒
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| 先週の月〜水で、「県下学童の県大会」準決勝、決勝のテレビ放送があった。放映中に小学校6年の時の同級生からメールが来た。「今、やってるのってひょっとしてお宅の子供たち?。」(K君ありがとう!。)(そういえば15年以上前、「笑っていいとも」に出た時も、遠くの親戚や昔の彼女から、電話があったことを思い出した。)予期せぬ人も見ていてくれた。昼間の放送だったので、仕事から帰って夜にビデオで見た。準決勝は、手に汗握る接戦で、結果がわかっていても最後までハラハラした。さすがに負けた決勝戦は見たくなかったが、見て、また悔しさが沸いた。でもやっぱりテレビはいい。いろんな角度から子供達を見られて、その場にいてもわからなかったことがいろいろわかった。カウントも出るし、解説もある。さすがに子供の試合なので、いいことばかりを言ってくれてうれしかったりする。でも、我がチーム唯一の女の子がマウンドに立った時の解説は笑えた。「時代が変わりましたねえ。すばらしいです。」確かに決勝戦で、女の子が投げるチームも珍しかったんだろう。(うちにとってはいつもの作戦なのに。)見たくなかった敗戦試合も、解説がうまくフォローしてくれていたりして、結構楽しかった。チェンジのたびに飽きるほど流れたスポンサーの名前は、4チームで32社で、やっぱり16社が我がチームのスポンサー名だった。みなさん、ごめんなさい。そして、ありがとうございました。 |
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2003年09月16日 12時49分51秒
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| 日曜日は市長旗大会が始まった。朝は8時から開会式。市民球場で4年生から6年生までのチームが勢ぞろいし入場行進から始まった。私は役員として入場前の選手整列の手伝い。出発するゲートで見送っていたが、4年生などは初めての行進で興奮したり緊張したり、監督もチームを先導して歩くのでそれなりの緊張感もあり、華やいだ雰囲気もあってなかなか良かった。われわれは6年生だから今年で3回目の入場行進。県大会でもたくさん入場行進をさせてもらったのでそれほど感慨は無かった(贅沢な話だ)が、さすがにきっちりと行進ができて、強そうなチームをアピールできた(かな?)。6年生の今年はリーグ戦の勝負なので、去年は取れなかった優勝旗をしっかり狙っていく。開会式の後、4会場で各学年の試合が開始された。われわれは「Bブロック」。6チームが総当りとなり、上位2チームがトーナメントに進出する。初戦はなかなかの強敵。だがピッチャーがうまく抑え、打線もつながって7−1で勝利した。貫禄勝ちというところかな?。市内では負けられないぞ。トーナメントまで、あと4つ。 |
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2003年09月10日 18時50分29秒
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| きょうはスポンサー探しの話。 ずっと昔、Eコーチから、「県大会準決勝以上にでるとテレビ放映があり20万円払わないかんらしいよ。」との話題が出て、「へー、もしそうなったら、自分達のチームは映さないでもらおう。」なんて、笑い話をしていた。まさか自分達がなるなんて思ってもいなかった。準決勝進出で「30万円」。勝っても負けてもだという。準決勝進出がかかった試合中、「勝って欲しい!、でも勝ったらどうしよう?。」ベンチの中で考えていた。試合終了後、さっそく岐阜放送の人がやってきて「1口5万円を6口集めてください。」と、あっさり言われてしまった。「あのー、集まらなかったらどうなりますか?。もっと細かくはならないのでしょうか?。」切羽詰った質問が効をそうしたのか、担当者は親身になってくれた。「細かくなっても結構です。スポンサーの名前が多くなってもいいので、できるだけ金額が達するように努力してください。」それならいけるかも。さっそく親御さんに説明、最悪の場合は1件2万円出しあう背水の陣で臨んだ。夜は代表者会議。翌日は合宿の初日。そしてその翌日はもう放映予定の試合。動くひまが無かった。だが、早々と1口を申し出てくれたお父さんがいる。お母さん達もがんばってあちこちから集めてくれた。親戚からいただいたり、自分の会社名義で自腹で出す申し出もあった。5万円は難しいが2万なら1万ならと集まってきた。結局最後には17社のスポンサーが集まった。オーバーした分は、申し出金額を減らしてもらった。「他のチームは多くて7〜8社なんですけどねえ。」岐阜放送の担当者は笑っていた。その後も各社に御礼の電話をしたり、担当者と打ち合わせに忙しかった。説明不足から、岐阜放送の担当者はとうとう全部の会社に説明に回ってもらった。こんな手間のかかるチームもめずらしかっただろう。1週間ほとんど毎日電話をして、すっかり担当者となかよくなった。なにはともあれスポンサー集めはこれで一件落着。あとは9月8〜10日の放映を待つだけだ。スポ少の会長さん、下級生のみなさん、他校の監督さんをはじめ、御協力いただきました皆さん、本当にありがとうございました。 |
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2003年09月05日 13時16分28秒
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| 「岐阜県学童軟式野球大会」 県大会は、強豪「小泉クラブ」に敗れ、準決勝という輝かしい記録を残し幕を閉じた。長い日記と、スポンサー探しに奔走しているあっという間に1週間が過ぎ、早くも今日は「白川杯」の準決勝、決勝戦。県下最後の県大会の予選だ。準々決勝の昨日は、のびのびになっていた学校グラウンドの砂入れがあった。8時前から各学年の親御さんが集まり、一輪車とスコップで、ところどころに山と積まれた新しい砂を広げた。重労働だったが、総動員のおかげで2時間でグラウンド一面に広げ終わった。これで少しきめの細かい、いままでよりちょっぴりやさしいグラウンドになった。PTA会長に感謝である。6年生の親はそのまま試合会場へ向かった。試合は8−0の圧勝。そして今日は、「白川杯」準決勝、決勝がある。昨日の勝ち上がりにより、グラウンドはうちの学校の使用を申し込まれた。朝から雨の予報。夜半の雨は何とか上がったが、朝7時にグラウンドへ出向くと水はまったくない。よかった、昨日の砂を入れたおかげだった。だが!。転圧が出来なかった分砂がなじんでいない。撒いたままの状態で浮いていて、どこも歩くとじゅうたんのようにふかふかだ。これではボールは弾むどころか、転がらないぞ!。前回までの硬いグラウンドはうって変わってしまった。地の利を生かせない!。6年生の親全員で外野のネットを張り、バックネットを作り、ベンチを並べた。Kコーチが丁寧に一人でグラウンドを均してくれた。よし、応援団の気合は十分。いい試合を見せてくれよ!。準決勝は今まで数々の名勝負をした強敵。県大会挑戦に最後の意地をかける。だが譲るわけには行かない。1回裏に連打で3点取ると、3回表で長打と四球から逆転され4−3。その裏に追いつくと、また、4回表1点取られ、残すは裏の攻撃のみ。県大会慣れからか、1時間半の時間期限がとても短く感じる。「時間ですのでこの回が最終回です。」審判の言葉に、1点をリードされていても動揺はなかった。応援団が本気モードに入って、先頭打者が四球を選んだときはいける!。押し出しで追いつき、内野を越すポテンヒットで接戦を制した。1試合を待つ間におにぎりとバナナを食べた。天気予報は雨そして曇りなのに、最後の名残のように真夏の日差しが照りつけてきて、決勝戦が始まった。県大会を経験した応援団は力強い。その応援に後押しされて、2回裏に長打の連続から8点を取り、その後も打線は爆発、先発ピッチャーはヒット1本に押さえ、12-1で優勝を決めた。これで「全部の県大会」に出場を決めた。3つ目の県大会に行けるのである。創団始まって以来の快挙である。でも子供たちは無邪気でおやつやジュースをぱくついた。そして今日で夏休みが終わり、明日から学校だ。それを言うと「いやだなあ!。」と口をそろえる。「明日校長先生の所へ報告に行けよ!。」「エーと、美濃加茂交流大会、優勝と、本部長杯、優勝と、県大会、準優勝と、白川杯、優勝かな。」うちの子供たちは幸せである!。そして来週は、市長旗杯の開幕である。残り少なくなってきたが、まだ夏は終らない!。がんばれ!子供たち!。 |
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2003年08月31日 23時16分14秒
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| 「帰ってきたぞー!。」長良川球場のベンチに入っての監督の第一声はこれだった。(かっこいー!)奇しくも初戦と同じ3塁側。そして準決勝の相手は「全日本学童大会」で8−0のコールドでわれわれを負かした優勝チーム「養北クラブ」。ここで借りを返さずにはいられない!。しかしその前に念入りにテレビカメラ位置のチェック。「応援団幕、その位置ではカメラに入りきらんぞー!」監督の激が飛ぶ。最低3回は監督がマウンドへ行く。転んだ時はすかさず、コーチがスプレーをもって走る。打ち合わせはバッチリだ。そこへ岐阜放送のインタビューが来た。さすがに私のメモだけでは頼りなかったのか、昨夜も電話でインタビューがあったらしい。ピッチャーの継投の話。クリーンアップの長打力。快速下位打線。豊富な控え選手。話題は尽きず、試合前の忙しい時にいろいろインタビューをされて、人のよい監督は30分も付き合っていた。さあ、気持ちをいれろ。「ツーアウトといいながら、カメラにVサインはいかんぞー!」。それでも、子供達は引き締まった顔をしていた。そして試合開始。思った以上にすばらしい試合になった。「真正クラブ」の子達の応援もうれしかった。2点を先攻されたが、中盤追いつき、終盤のわずかのチャンスに4番打者がスクイズ、それが決勝点となった。「4番にスクイズをさせたのが勝因ですねえ。」解説もこう言っていたと後から聞いた。(いろいろ事情もあるのだが・・。)そして決勝進出が決まった。よかった!30万も割り勝ちだ!。コーチと抱き合い、ベンチから下がるとだれかれとなく、握手、握手、握手。後輩が来る、親戚が来る、先生が来る、ライバルが来る、知らない人が来る。おめでとう!。ありがとう!。おにぎりを食べながらまたも握手、握手、握手。そうこうしているうちに、相手も決まった。つづく。 |
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2003年08月29日 21時45分48秒
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| 勝つ時は勝つ。負ける時は負ける。それが身にしみるような試合だった。「精華少年野球クラブ」との対戦。逆転されて最終回最後の攻撃、2アウトの後ほんの一瞬女神が微笑んでくれたようだった。ヒットと呼べないような内安打のあとエラーがからんで奇跡のように1点を入れ追いつく。10−10。Hコーチの予言「10−9で負ける」の呪縛から解かれた。そして7回裏を何とか抑え、またも特別延長へ。先攻が圧倒的不利とわかっていながらも、特別延長の経験だけは豊富。スクイズで1点を取り、裏を力任せに抑えて逃げ切った。勝てるはずのないチームに勝った。運が味方したのかこれが勢いか。思っても見ない準決勝進出。そしてテレビ放映が決まった。私は慌てた。まさか日の目を見るとは思わなかったテレビ解説のための「子供達のプロフィール」やら「チーム紹介」。夜中に眠い目をこすりつついいかげんに書き上げたのを渡すことになってしまった。そして岐阜放送からは協賛のスポンサーの話。30万円なんて集まるのか?。バッグもそろえず、テントも借り物の貧乏チーム、応援団さえ無地のユニクロTシャツをそろえるのが精一杯の私達。話を聞きおわると、親御さん達と緊急会議。みんなで手分けしてスポンサーを探すことにした。ぜんぜん集まらない時は1件当り2万円づつ出し合うこととなった。翌日は年に一度の合宿。団にとっては一大行事。試合に重ならないように、例年の予定を2週間ずらしたおかげで、今回、もろにぶつかった。当然6年生は県大会を優先し泊りは中止。6年生不在で3〜5年生には迷惑をかけることになった。また語り継がれることが増えた。でもしょうがない。どっちが大事か(私の妻はよくわかっていなかったが)子供達はよくわかっていた。合宿初日に予定していた市民球場の練習は、明日を想定した練習ができる。これはやることにしたが、行ったら指導陣は水撒きばかり、子供達に水をかけて遊んだ。なんと言っても暑い日。立派なベンチは休憩場所となった。「ここまで来たんだ、楽しんで行こう!。」監督の声が聞こえそうだった。軽めの練習を終え、みんなで自然の家の夕食を食べ、ビンゴゲームを楽しんだ。合宿はそこまで。夜は自宅でぐっすり休み、翌朝は6時に学校出発した。今日も長良川球場が待っている。そして強敵が待っていた。つづく。 |
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2003年08月28日 19時49分58秒
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| 「岐阜県学童軟式野球大会」に準優勝した。実感がない。夢だったのかと何度も思う。でもこれは市内の 予選ではない。岐阜県の本番の大会なのだ。まさかここまで来るなんて、予想すらなく、どう表現してよいのやら、何を感じていいのやら。でも少しづつ、子供たちがやったことのすごさが実感してきた。 ついこの間、「県大会にまた出場できる」と、それだけで大喜びだった。並んだ相手は名前を聞いたことのある強豪ばかり。ぽっと出の新人チームが、百選練磨の相手に挑んでいくような気持ちだった。謙虚に、胸を借りるようにでも気持ちでは絶対負けないつもりで、挑んでいった。そしてそして、勝ち抜いていった。 思い返せば下地は出来ていた。5年生の時から、県大会を目指して6年相手に何度も苦しい戦いをしてきた。サヨナラ負けをして泣いた。特別延長もはじめて経験した。5年生で参加した「美濃加茂交流大会」では県の強豪の強さを目の当たりにし、夏の暑さの厳しさを知った。秋には6年生を負かし「中濃交流大会」の市の代表になった。応援団の力を知った。6年になり、目指し続けた「全日本学童大会」出場の夢をプレッシャーの中で掴み取り、県大会では強豪「真正クラブ」相手に最後まであきらめない試合を知った。ダブルヘッダーの怖さ、油断の中で強いチームの底力を思い知らされ、優勝チームの実力を知った。54チームの頂点に立った「美濃加茂交流大会」。自分たちの力を信じること、勝利の喜びを知った。そして、こんどの「県下学童大会」こそが、自分たちの大会だと実感をしていた。 初戦は「蜂矢アローズ」。美濃加茂交流の時に始めて「偵察」ということをしたチーム。何とか勝てそうだと計算していたのは甘かった。2点リードの3回いきなり逆転され、何とか追いついたが、その後均衡が続く。そして胃の痛くなる特別延長。8回は1点ずつ。9回表を0に抑え裏に1点を取り勝利した。9回までのスコアボードというのを初めて書いた。雨でまた延びた3回戦は、金曜日、仕事を休んでダブルヘッダーがあった。「萩原クラブ」は知り合いの強豪。守備がうまくまとまりのあるチーム。大技、小技を出し合いながらの接戦。技術では勝てなくても、流れを呼び込むことが出来て勝利。そして暑い中、続く準々決勝は、激戦地区を勝ち抜いてきた強豪「精華野球少年クラブ」どこから見ても強そうだ。その、すごいピッチャーを子供たちはよく打った。壮絶な殴り合い。3−0から、3回に2点を取り、 5回で9−5と逆転し、何とか勝てるかも?と思ったとたん、5点取られ10−9で最終回の攻撃。つづく。 |
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2003年08月26日 00時17分06秒
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| やってくれた。雨でのびのびの「県下学童軟式野球大会」。8月16日は2回戦、対「蜂屋アローズ」(美濃加茂市)を特別延長2回の6−5で勝ち抜いた。そして今日は3回戦、対「萩原クラブ」(益田郡)を5−2で下し、そして準々決勝戦、対「精華少年野球クラブ」。これも特別延長まで粘って11-10で勝利し、とうとうベスト4に名乗りを上げた。なんでこんなに勝つのかわからない。とても勝てそうも無いようなすごいチーム達と互角に戦い、すばらしい試合をしてくれた。今日は炎天下の中のダブルヘッダー。2試合目には、ボールがダブって見えたという子供もいる。みんなふらふら状態。怪我もあった。考えられないような凡エラーもあった。でも相手も辛いんだと必死でがんばった。エラーをして泣いた。三振が悔しくて泣いた。そして勝って泣いた。子供たちの気力の勝利だろうか?。最後まであきらめない子供たちの気力。やはり強い!。すばらしい体験をした。夜は「市長旗杯」の代表者会議。そこでも、県大会の報告をさせていただいた。この町の代表としてがんばっています。次の試合は明後日の日曜日。準決勝、決勝だ。相手はいずれも県下に名のとどろいた強豪ばかり。テレビ放映もある。スポンサーも集めなけりゃならない。でも、お金には代えられない名誉なこと。いろいろな人が喜んでくれた。学校の校長も教頭先生も「すごい!」と褒めた。がんばらなくてはならない。子供たちに負けていられない!。パワー全開で突っ走れ!。ゴーゴー富岡!!フレーフレー富岡!!!。 |
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2003年08月22日 23時41分45秒
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| 昨日は、「県下学童軟式野球大会」の開会式に参加した。さすがに長良川球場は美しかった。芝生が輝きバックスクリーンにも感動で、やはり岐阜県一のすばらしい球場だ。開会式の前には他の大会と同じようにグラウンドに立ち記念写真を撮った。県内から集まった他のチームも、ここぞとばかりにいろいろなポーズで写真を撮っていた。みんなあいさつもキマッていてさすがに強そうだ。長い待ち時間も気にならず、バックネット裏の観客席で雰囲気を味わった。そして5時から開会式が始まり子供たちは胸を張って入場行進をした。がんばった練習通りの堂々とした行進だ。今日は夕方からの開会式のみ。これがこの大会の特徴だ。そして一夜明け、今日から第1試合が始まる予定だった。が、朝から雨。この季節にはめずらしいらしいが朝6時半に中止決定の連絡。すでに学校に集まったみんなはがっかりしたが、順延になって日程がずれると困るのはお互いさまだ。指導や付き添いの大人たちの予定も狂う。遠くからやってくるチームはもっと大変だろう。泊まりで来ているチームもあると聞く。とりあえず1日順延となったが、今夜の天気予報では明日も降り続くと言っている。これ以上伸びると大人には休みも無くなる。しかしそんなことはお構いなしで、やっぱり子供たちにはこの大会もがんばってほしい。先週の「白川杯関予選」2回戦は23-3で圧勝して、準々決勝に進んだ。奉仕作業、砂入れ、合宿、白川杯、市長旗杯、中濃交流大会。夏の予定は引く手数多だが、子供達の本分は試合にがんばること。必勝だ!県大会!。 |
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2003年08月14日 22時55分03秒
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| 昨日の練習の時、誰かが言っていたので数えてみたら、本当に7月は公式戦を10試合こなしていた。土日は4回だったから1日1試合以上やったことになる。しかも負けなし!。そりゃあ疲れるはずだよなあ!。でも子供達は元気だ。今月の最初の試合は、8月2日の「本部長杯」の決勝戦。暑い暑い日だった。私は立っているだけでくらくらと吐き気がしていた。試合前のアップ時には暑さでダウンする子も数人いたが、この暑さを乗り越え、試合は苦戦しながらも逆転勝利で勝ち、見事「優勝」を果たした。プレッシャーの中で、昨年に続く連覇である。おめでとう、すごく、すごく、がんばったね。よかったね!。そして、まだまだ暑い夏は続く。今月の公式戦は11勝が目標だ!。(そりゃあもちろん、県大会の優勝まで入っている話なのさっ!。) |
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2003年08月04日 19時10分54秒
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| 強い!強い!強い!。子供たちはいつからこんなに強くなったのだろう?。本当にやってくれた!。美濃加茂市と近郊の強豪が54チーム集まった「美濃加茂交流大会」はおとといより3日連続で行われた。連日のダブルヘッダーを戦い抜き、ベスト4に残った今日、準決勝と決勝があった。「なんとか勝ち残りたい、3日まで残っていれば最高だ。」と、それをまるで夢のように考えていた私を含む多くの保護者の皆は甘かった。子供たちは本当に強かった。(3日月曜の仕事を早々と休みを取っていた監督はえらかった!。)子供たちは、強豪ひしめく中をあれよあれよと勝ち進んで、今日の決勝戦にも勝利し、「優勝」を本当に勝ち取っていた。あの54チームの入場行進が遠い日の出来事のように、あの中のトップに上り詰めたのだ。試合以前に歴代の優勝チーム名を見て「みんなすごいチームだったんだろうなあ。」今年もどこかの強豪が取るんだろうなあと、はるかかなたの存在のように思っていたのに、そこに今度はわれわれの名前が刻まれるのだ。感動である。この大会ではよく打った。そしてよく投げ、よく走った。強豪ばかりを相手によくやった。1回戦7−0コールド勝ち。2回戦では最終回に追いつき、サヨナラランナーがタッチアウト。そして抽選勝ちという幸運も味方をした。苦しい試合ばかりだった。3回戦、4回戦、いずれも先攻されたがそのたびに「県大会はみんなこんな試合やぞ!」と我慢、一瞬の隙を逃さずチャンスをものし、3回戦8−2、4回戦8−1。圧巻はやはり前平球場で行われた準決勝、決勝。猛打で勝ち上がってきた相手チームを押さえこみ、準決勝8−0、決勝10−0、いずれもコールド勝ち。勝つたびに強くなったような勝利。監督の公約どおり「優勝旗」と「優勝杯」を手に関市富岡小に帰る事ができた。これ以上の喜びはない。みんなおめでとう。ほんとうによくやった。こんなに熱い夏をありがとう!!!。 |
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2003年07月28日 23時01分18秒
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| 「16番、富岡クラブ」「え?!」その瞬間は、本当に目の前が揺れるほど本当にびっくりした・・・。 昨日は「岐阜県学童軟式野球大会」県大会の代表者会議があった。私は監督と練習の途中を抜けて 岐阜市岐南町の防災センターでのその会議に行った。監督の性格から、普段は早めに行って1番くじを狙うのだが、今日はちょっと意識がちがうようだ。着くとやはり受付はほとんど終っていて、この分では後の方のくじになる。 全日本学童大会の時は、優勝したときにはすでに抽選がされていてトーナメントが決まっていたし、美濃加茂交流大会では、私が引いたくじは「前平球場」は準決勝まで行かないと出来ないくじ運だ。そう、今回は一発、試合会場が「長良川球場」を狙っているのだ。しかし、くじは時の運。狙ってとれるものではない。そしてそれをみんなが狙っている。36チームであたるのはわずか8チーム。あいさつに続いて、説明も終わり、いよいよ抽選。子供が引きに来ているところもある。そういうのも良い体験になるだろう。みんな良いところを引いていく。長良川球場は最初に4つほども取られた。しかし、その後はなかなか出ない。やはり我々の順番は後の方のようで、まだまだ呼ばれない。どんどんくじが引かれ、あと3つ、あと2つ、ああ?!もう一つしかない!。その時、名前が呼ばれた。監督が気合を入れて、くじを引く。長良川球場での試合のくじは、あと16番だけ。祈るように16番・・・・、16番・・・・、16番・・・・・・。そして緊張の一瞬・・・・。「16番、富岡クラブ」。「え!?」引いた!。監督が小さくガッツポーズ!。すごい!最後を引き当てた。武者震い。「あーぁ。」残ったチームのため息。16番、長良川球場、14日9時より・・・。つまり、一番最初の試合。オープニングゲームである。子供たちには県大会のすてきな思い出がまた一つ増えそうだ。帰りは威張って高速道路を帰りました。 |
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2003年07月23日 00時39分11秒
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| 先週の土曜日は、7月26日から始まる「美濃加茂交流大会」の代表者会議に出席した。この大会は、美濃加茂市と近郊の選ばれたチームが集まる大きな大会。今年の参加は54チーム。去年は6年生の代役で参加し、見事2回戦で散った思い出の大会。だが「ものすごく暑かった!」ことしか思い出せない。強豪があつまるこの大会で、今年は本番、上位を狙いたい。準決勝と決勝は28日の月曜日だが、休みを取ってがんばるぞ!。昨日は、「白川杯」と「中濃交流大会」の代表者会議。いずれも勝てば市の代表として、県大会や中濃大会へ進む。負けるわけには行かない!。(しかしナンというくじ運?!。)県大会の代表者会議は21日。会議と申し込みの資料がいろいろ交錯して頭の中がぐちゃぐちゃ。県大会は、8月13日から始まる。今朝、学校の教頭先生に電話をすると「今日の終業式で、全校生徒の前でチームの子供達を立たせて県大会出場を紹介させていただきました。」と言われて我が事ながらうれしかった。でも「大会はいつから始まるの?と聞いたら、子供達は「さあ?」と言っていましたのであとで教えてくださいね。」と言われてしまった。8月13日が開会式です。(決勝は17日です。)そうそう日曜日の「本部長杯」準々決勝はぜんぜん打てなかったが、エースがノーヒットノーランをして勝った。合宿の打ち合わせは26日2時からだ。エーと、明日はなんの試合だっけ?。 |
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2003年07月18日 20時25分09秒
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| 前日からの雨は何とか上がったようだが、依然として雲行きが怪しい。7時まで自宅待機。とりあえず7時半に学校に集合した。グランドは水浸し。8時に役員に電話をすると、「とりあえず係は会場準備に向かった。」と言う。会場でウォーミングアップをしようと出発後、試合開始が1時間遅れると言う連絡。係が帰った会場の駐車場で準備運動をした。今日は県下学童の準決勝と決勝の日。変な雲行きに落ち着かない気分だったが、少しづつ晴れ間も出て暑くなってきた。グランド整備も進み、足場は悪いが試合開始。準決勝の相手は今日も強敵。1回表を無難に抑えその裏1番がヒットを打ったが足元が悪く2塁タッチアウト。いやなムードの中それでも巧打で1点先攻。2,3回をよく抑えたが4回表にファーボールから1点入れられ、その裏2点を取ると5回表にまた追いつかれた。近年に無い厳しい展開。同点のまま1時間半が過ぎ、次のイニングはもう無い6回表ワンアウト後、3塁打を打たれて1点を覚悟のピンチをよく抑えた。その裏、最初のバッターの3番が2塁打を放ち、4番がレフト前を放ちサヨナラとした。そして決勝へ進んだ。個性派ぞろいの選手たち。守備と走塁はイマイチでも、球は屈指の速球でバッティングもすごい2人のピッチャー。全く逆で守備と小技が冴えるコントロールピッチャーが2人。サードは文句なしの4番バッター。市内一番うまいと言われる名ショート。下位打線はどこにも負けぬ長打も期待できる快足外野陣。思い切りとうまさの1番。運動神経抜群の6番名キャッチャー。ここ一番で長打を決めてくれるのが5番。切り札の怖い一発を持つ代打。そして小柄ながらみんなをまとめて決めるところできっちり決めるキャプテン。こんなみんな長所と短所をもち合わせた個性派ぞろいによく育ってくれたものだ。こんな試合は監督の采配が光る。好投のピッチャーを代える。守備固めをして、ピンチランナーを出す。みんなの個性を引き出し、采配が勝ちを呼び込んで勝ったこんな試合は、監督冥利に尽きるだろう。そして、子供たちは決勝へ進んだ。もう一つの準決勝の相手は、全日本の時の私達と、全く逆の立場だった。勝ちあがってきた5年生チームの相手をピッチャー温存でねじ伏せて、続けての決勝に臨んできた。我々は一試合待ち時間があり、相手は試合後30分休憩の後の試合。そしてその相手とは、先日の県大会最終予選の前日にあった「岐阜新聞社旗杯」で、今年の公式戦で唯一敗れているチーム。いろんな思いが交錯した。だが失敗は繰り返さない。待ち時間は体を休め気力を持続させた。そして決勝戦が始まった。初回表、スクイズと連打でうまく4点先攻した。4回まではパーフェクト。5回は四球と死球から1点取られたが、6回は四球と内安打で満塁とし、思い描いたような走者一掃の3塁打で3点取った。7回も2点を取り、打たれたヒットは散発3安打のみ。完全な勝利だった。そして県大会行きが決まった。先日の「全日本学童軟式野球大会」の県大会ではいろんな経験をした。今までに味わえない感動も与えてくれた。周りの目も変わった。そして、一番変わったのが子供たちだろう。自信と粘りがついた。そして責任感もついたようだ。今度の県大会では何を手にするのだろう。おめでとう子供たち。よくがんばったね!。あの感動を、経験をもう一度手にしたんだ。本当に、おめでとう。よくやった!。 |
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2003年07月12日 00時31分49秒
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| 先週は、土曜日が「本部長杯」、日曜が「県下学童」の試合の予定だったが、土曜日はあいにくの小雨で、 学校に集まり練習を始めようとした午前7時半に早々と中止の連絡があった。午後には雨も止み、翌日の 試合の為に水溜りの方が地面より多い状態の学校のグランドで練習した。トスバッティング、フリーバッティングなど、打撃中心の練習メニュー。早めに上がり1時間以上かけてグランドを均したが、余計田植え前の田んぼのようになってしまった。明日は、ここで4,5年生の「本部長杯」が行われる。「ひどいなー。」と言われるかもしれないなあ。翌日曜日はうって変わって快晴。学校は、早朝より親御さんたちがグランドの整備をしていただいて、何とか試合会場らしく、できていた。私たちは、別に借りたグランドで朝から練習。12時から県下学童の準々決勝に臨んだ。今年はくじ引きのいたずらか、本部長杯、県下学童とも同じような組み合わせが多い。今回の相手はまたも強敵。しかし相手にとってもうちはいやな相手だろう。1回裏にエラーから1点を入れられた。なんだか緊張気味。いつもの力を出せば勝てるんだぞ。ヒットが続き押せ押せムードの3回に主軸バッターらの長打が出て4−1と逆転。5回に2点追加、その裏1点をいれられたが、その後をうまくかわして勝利した。また県大会が1歩近づいた。試合の途中にベンチで、リリーフしたピッチャーに、「また県大会に連れて行ってくれよ!。」と頼むNコーチのつぶらな瞳が印象的だった。(あれはマジの顔だった!。)来週はいよいよ準決勝、勝ち進めば決勝のダブルヘッダーだ。県大会にもう一度行きたい!。贅沢かも知れないけど、やっぱ行きたい!。のどはやっと調子が戻ったが、また陽に焼けてしまった。 |
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2003年07月03日 00時11分41秒
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| 「全日本学童県大会」の翌日は、「本部長杯」の開会式、そして1回戦が行われた。4年生になってはじめて参加した公式戦。市内の各チームの力量をはじめて知った。その大会に準優勝し、その後4年生の公式戦は全部準優勝となった。そして5年生になってはじめて優勝を勝ちとったのがこの大会。その大会ももう今年で最後かと思うと感慨深い。そして、これからのすべての大会も2度とやってこない。6年生は全部最後の試合なのだ。4年生の時が懐かしい。今年の我が4年生チームは強いのかな?。毎年この「本部長杯」大会では、6年生だけ開会式がある。当番の小学校のグラウンドが会場だ。県大会に勝ち進んでいたら欠席予定だったが、(残念ながら)開会式には出席できた。顔見知りに会うごとに、昨日の県大会の様子を聞かれる。「いやー大変でした。1回戦はなんとか勝ちましたが、もうそれでへとへとでした。」言いながら、顔がニヤけてしまう。ついつい優越感が混じってしまうのだが、みんな「へー、すごいですねえ!。」と一生懸命聞いてくれる。いっしょに喜んでもらうとなんだか申し訳ない。この人も本当は行きたかったろう。みんな優勝したいのだ。だが、勝負の世界に情けはいらない。やっと県大会に参加したぐらいで他人への同情なんておこがましい。と気を引き締める。試合は昨日の疲れからか動きが鈍く、打線もあたりがなかなか出ないが、終盤に点を加えて11-3のコールド勝ちで初戦を飾った。さて、来週は2回戦、加えて「県下学童」もある。試合は続く・・。 |
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2003年06月27日 20時10分44秒
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| おめでとう県大会。ありがとう県大会!。 すばらしい思い出をありがとうございました。いっぱいの経験をさせていただきました。 充実した1日を過ごさせていただきました。そして、とても満足し疲れきった1日でした。 梅雨とは思えない快晴に恵まれた朝。バスの手配などで天気を心配していた不安を一気にぶっ飛ばし、朝早くからお母さんたちも集合して、さあ出発。球場に一番乗りだ。続々と県内各地からバスが集まり、会場の大野町レインボースタジアムは、早くも華やいだ雰囲気に包まれた。受付では参加賞のバッジと代表旗を受け取り、記念写真を撮ったあと、まずはスタンドでくつろぐ。あちらこちらでは横団幕が張られ、うちも負けじとネット裏のど真ん中 に張っていただきました。選手の入場行進はさすがに盛り上がる。誇りに胸をはってどの子の顔も輝いていた。開会宣言のあと花火があがり、とうとう来たんだなあ・・。 そんな感激の開会式を終え、さあ試合だ。試合会場へ移動し、弁当を食べて、第2試合までのしばらくの間、アップをしたり休んだり。なんだか落ち着かない。暑くなってきた。 第1試合が終る頃、ダッグアウトの通路の前でドキドキわくわくしながら出番を待つ。 さあ、行くぞ!。初戦の相手は「Sクラブ」優勝候補の声もあるすごい強いチーム。 以前に練習試合をしていただき、これぞ県のレベルと言うものを教えてもらったチームだ。 勝ちたい!でも勝てるのか?。ノックの時間は5分間。そして試合開始。 これが県大会か?!。ベンチからホームが遠い。選手が遠い!。相手の応援の声が すごい!!。あらん限りの声を振り絞っても声が選手に届かない!。ベンチで声がすぐに嗄れた。 その頃、我が(急造)応援団はベンチの真上のスタンドで声を張り上げていた。 屋根のない内野スタンドにはギラギラ太陽が容赦なく照りつける。しまった!。 応援団へのお茶が足りない!。みんな始めてづくしの体験だ。試合は相手チームの ペース。回が進むにつれてだんだん点を入れられていく。うまい攻めだ。だが、 我がチームもよく粘っている。崩れてはいない。ミスはなく集中している。応援席では、 休み無く必死の応援が続く。いつもはおとなしいお母さんが大声を出して応援している。 だが、悲しいかなベンチにはその声がとどいていない。相手の応援団と向き合う形の ベンチは相手の声がびんびん入ってくるのに、真上のスタンドの声は聞こえないのだ。 だが、気持ちはつながっていた。よし!、ピンチをしのぎよく抑えた。そして、奇跡が起きた。 2点を取られ4−0と突き放されそうになった終盤の6回裏、1点がほしい。1点でも欲しいと 祈りに近い気持ちがなにかを動かし、それまで鉄壁の守りだった相手のミスが絡み、1点どころか、 一気に4点取り同点に。さらに7回表のピンチもぎりぎり0点に押さえて、最終回最後の攻撃は、 1アウト後、2塁打で出塁。前の打席でクリーンヒットの次打者は空いている1塁ベースへ 敬遠されて、ワンアウト1・2塁。ここでチームの最強打者に打順がまわる最大のチャンス。 だが、惜しくも打ち損じてセカンドフライ。これでツーアウト。そして、最後のバッター。 粘る6球目。ガチンと当たったボールは鋭くライトへ。ライトがバック、バック。みんなの呼吸が 止まる瞬間、ボールがライトの選手のグローブをかすめて、後ろに落ちた。歓声が悲鳴に変わって、 サヨナラゲームが決まった。私たちは、年甲斐も無く監督コーチ4人で、ベンチの前で抱き合って しまった。選手、監督コーチ、応援団、すばらしい一体感を味わった。至福の時の一瞬だった・・・・・。 直ぐに始まった2回戦は呆然としている間に、終っていた。ありがとう県大会。サヨナラ、感動と感激の県大会。 |
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2003年06月23日 23時08分45秒
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| 先週から始まった「県下学童軟式野球大会」の予選。1回戦シードの我がチームは今日が初戦である。8時半からの第一試合の予定。梅雨に入り、昨日からあいにくのぐずついた天気だったが、日程が詰まっているので、多少のことでは試合があるだろう。5時半に家を出ようとするやる気まんまんの息子を一応6時までとどまらせ、私もねむい目をこすりながら学校へ。今日は第3日曜の家庭の日。「早朝など、少しなら使っても良い。」と学校側と話をつけてあるのだが、グランドは水浸し状態。グランド端の芝の部分で、6時半から準備運動と軽めのバッティング練習をして、7時半には学校を出て行った。私は子供たちとわかれて、コーチが用意してくれた県大会会場の地図をコピーした後、「指導者講習」の会場へ。今年は我が団で10人の新規指導者の申し込みをする。市内で一番多いだろう。受付で10人分のお金を払い資料を受け取る。去年は受付に来なかった人もいて前代表はやきもきしたそうだが、今日はさすがに15分前に全員がそろっていた。後はお願いして試合会場へ行った。試合は3回の途中だった。ここは地区のグランドで土がとてもよく(事前の整備も当然がんばっていただいたのだろうが)ぬかるみも全く無く、学校とは雲泥の違い。見ていても気持ちが良い。その中で子供たちはがんばっていた。 この試合は、前回の「全日本学童」につづく連盟の大きな大会であり、子供たちは先週届いたばかりの「県大会出場記念ワッペン」を右袖につけて臨んだ。このワッペンを誇らしげにつけたからには、ふさわしい試合をしなければならない。攻撃はその後も手を緩めず毎回得点で相手には点を与えず、5回7点差コールドで勝った。私はベンチに入らず、応援団席を久しぶりに経験したが、どこで見てもなかなか興奮して楽しかった。最近はどのチームも良く打つのか、外野が大きく下がるが、特にうちの4番の時に相手外野がものすごく下がっていたのが印象的。さて、来週はとうとう県大会。今日の調子でがんばれよ、子供たち!。梅雨に入り、準備も気分的に大変なのだが、せっかくだから楽しませてもらわねば。梅雨空をぶっとばせ!!。 |
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2003年06月15日 22時09分43秒
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| 祝 県大会出場。 おめでとう!子供たち。とうとう「全日本学童軟式野球大会」県大会への切符を手した。5日(子供の日)の昨日、県大会をかけた中濃ブロック大会で、隣の市の代表と戦い、5-2 にてみごと勝利。県大会行きを決めた。3年生のときから、「最大の目標」と監督が言い続けてきたこの大会。子供たちはよくやり抜いてくれた。前日(4日)の岐阜新聞社旗大会は残念ながら1回戦で敗退した。それほどの激戦連戦の中で、この戦いだけは本当に必死で勝ち抜いた。運もあったろう。危ない試合もあった。だが1度も負けなかった。これを目標に本当に勝ち抜いたのだ。どんなチームもみんな目指したこの目標を、我が子供たちが自分達の力でもぎ取った。本当におめでとう。よくがんばった。いろいろな方から、「おめでとう!」とお祝いの言葉をいただいた。こんなに人から「おめでとう」と言われたのは、子供が生まれたとき以来だ。そしてこの言葉は、その子供たちのおかげなのだ。こんな嬉しいことはない。昨晩はコーチ陣と遅くまで飲んだ。楽しかった。いっぱいの幸せを、ありがとう子供たち。。。。。さて、県大会は大きな大会である。いままでにない新しい経験ができる。いろいろ学んでいってほしい。私達も新しい経験だ。一生懸命バックアップしていく。県大会でも楽しんで、大暴れしよう!!。やることは山ほど。そして大会は6月21日に始まる。 |
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2003年05月06日 23時25分13秒
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とうとう今日は、最後の決戦の日。「全日本学童軟式野球大会予選」の「準決勝」「決勝」がある。準決勝の相手は、他校の5年生。くじ引きの具合で5年生チームを勝ち上がってきたチーム。我が校の5年生もやられてなかなか強い。だがここは上級生の実力の差を見せねばならない。、実力を出せば不運も偶然も番狂わせもはねつける。15−1。打線で圧倒し力でねじ伏せた。次に行う決勝戦のピッチャーも予定通り温存し、控えメンバーも全員参加しての圧勝。これはここまで苦労したくじ運が、幸いしたのかもしれない。30分の休憩時間にバナナを食べたあと、すぐ決勝戦となった。相手は我々の前の試合で決勝に進出を決めた予想していた強敵チーム。2試合連続サヨナラ勝ちで、厳しい試合を勝ちあがりのってきている。力と力がぶつかり合う。この最後の試合に勝つのはどっちなのか?。始まりは思ったほど緊張感は無かった。前の準決勝の方が緊張が伝わってきた。リラックスして始められたのは、試合の間隔がなかったからかも知れない。これもくじ運が絡んでいる。相手の待ちの2時間は、集中力をつなぎなおすのは大変だろう。そしてそんなときの為に、ダブルヘッダーの練習試合もたくさんこなしてきた。我がチームのメンバーは集中した顔をしている。よし、行けるぞ!。初回表ファーボールをバントで送り内野ゴロの間に1点、エラーも絡みもう1点。その裏を抑えた後、打線が爆発、2回に3点、3回にも3点。これでイケイケムード。3回の裏にはファーボール、デットボールのあと一発を浴び3点失点、だが4回にも2点取り、5回に1点を取られると、6回にも3点と打ち勝ち、ベンチは最高の盛り上がりの時、「ゲーム」の声を聞いた。13−4。大会の始まったときから「これが取れれば最高だ!」と思い続けたその思いに、ついに届いた瞬間だった。監督と握手し、応援団に礼を言う。涙は出ない。笑顔ばかり。負けて悔しい思いをする夢もみた。でも、勝った。優勝した。子供たちが優勝した。明日、校長先生に報告に行けよ!。思いっきりほめてもらえよ!。優勝おめでとう!。ゆうしょうだーーーーー!やった。よくやった!。よくやった。おめでとう子供たち。 5日は中濃ブロック大会。そして4日から、今度は岐阜新聞社杯が始まる。 |
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2003年04月29日 23時23分57秒
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| 昨日は全日本学童軟式野球大会の準準決勝。相手は強敵。大きな山場だ。だが私は試合には参加できず、子供たちを試合会場へ見送った後、合宿の研修を受けに「青少年自然の家」へ。試合開始と同じ時間に研修が始まった。自然の家の意義、目的などを学び、合宿の手続きなどを聞いた。「今試合が始まったところだな?。」「がんばっているかな?。」「緊迫した試合展開だろうか?。」「苦戦しているだろうか?。」うわの空で時計ばかり見ていた。試合に勝ったら、携帯に電話をもらうことになっていた。研修の後半は野外研修。今年はハヤシライスを作るらしい。木の棒をこすって火をおこすことから始まる。棒を抑える係をやったが、ひもを引く二人に力で何度でも棒が飛んでいってしまった。なんかうわの空。でもなんとか火がついて、レンガを組んだかまどで火を炊き、飯ごうでご飯を、なべでカレーを作った。「もう、試合が終った時刻なのに・・?」気がつくと携帯電話を握っていた。誰かからメールが入った。仕事のメールだろうと見ると、「勝ったよ。11−6で、勝ったよ!。」と妻からのメール。「うそ?!」にわかには信じられない。そう言えば去年までは、「めんどくさいから試合を見に行くのはいや!。」と言っていた妻が、今朝起きるとすでに新品の応援Tシャツを着て、準備していたっけ。そして直ぐに、監督から電話がはいった。「11−6で勝ちました。」「やったねー!」つい、周りの目も気にせず大きな声で言ってしまった。みんなお疲れ様でした。そのあとは、のんびりと出来上がったハヤシライスを、いつもの2倍食べました。さあ、明日は準決勝、決勝がある。みんながんばって、しっかり楽しもうぜ! |
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2003年04月28日 22時57分13秒
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| 昨夜は、スポ少の総会と表彰式に行ってきた。学童野球のスポ少総会があったり、育成会会長会があったり、なんだかよくわかっていなかったが、今回は、市内の全部のスポ少の総会だった。つまり、バレーも剣道もサッカーもソフトもみんなあわせた総会だった。新しい役員や行事日程などを決定した。役員さんも大変だ。表彰式はスポ少への功労者の表彰。15年もやってきた人もいて本当に頭が下がる。今年は市役所が国へ推薦してくれて、文部大臣からわが市のスポ少が表彰されたらしい。先日前会長より、うちの団あての表彰状を預かったのもそれであろう。「御スポーツ少年団の活躍は目覚しく、全国スポ少の模範となるうんぬん・・」と書いてあった。 (全国大会まで行ったことは無いと思うが?・・。) さっそく額に入れて部室に飾った。市内のスポーツ少年団はみんな同じものをもらったのだろうか?一度聞いてみたい。帰ると妻が近所の奥さんから聞いた話。今度対戦する相手チームは、「打倒富岡!」を合言葉に燃えているらしいとの事。光栄である!。それだけうちを評価していただいているということだ。たのしみな試合である。いい試合をしたいものだ。しかし私はその日、夏合宿のための研修というのがあって参加ができそうに無い。午後ならなんとかなりそうなのだが・・。試合の予定の発表は今夜7時。そろそろである。 |
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2003年04月23日 19時04分01秒
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| 先週までは、ウインドブレーカーが必要だったのに、今日はTシャツでもよいくらいに暖かかった。春が来た。そして子どもたちは、最上級生として小学校スポーツ少年団の最後の年を迎えた。新年度の幕開けとして始まった最初の公式戦は、「全日本学童軟式野球大会」という大きな大会の地区予選。わが校はくじにより第1戦がシードだったので、2戦目を先週戦った。相手は市内でも指折りの強敵。1戦目を圧勝で勝ち上がっている。楽に勝たせてはもらえない。序盤は息詰まる緊迫した試合。しかしわがチームのピッチャーがよく押さえ、打線も爆発し、最後は8−0のコールドで勝利した。 そして昨日は第3回戦。相手は今大会最も強敵と思われるチーム。今回は、くじ運が悪くなければ、いずれも決勝まで行くチームばかりが相手となった。しかし前日夜半より雨。試合開始予定が8時半では、2時間前から準備運動を開始せねばならず、予定は6時半に学校に集合だが、5時に起きて6時前から集まっていた子どもたちもいた。体育館横の庇の下で柔軟から始めた。7時半には中止の連絡。みんな残念そうに帰った。おりしもその日は学校にとっても、始めての「家庭の日」。その日のグランド使用などいろいろ相談もした日だったが、先生にとっても残念な雨。1日開放されたものの、人の影も無く雨に打たれるグランドはさびしそうだった・・・。なんて、センチに浸っているひまはない!。来週は絶好の野球日和で、楽しい野球をやってみよう!。泣いても笑ってもあと一年。笑って笑ってあと一年だ。 |
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2003年04月21日 19時05分35秒
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| 自治会長の任期がやっと終わる。一昨日は、自治会の総会だった。新年度の役員決めも無事に終わってホットして、いい気分で家に帰ると、妻から大変なことを聞かされた。「子どもたちが練習の後に、学校の隣の○○○の○○に登って遊んでいたらしい。」との事。(○部分は、はずかしいのでちょっと言えません。)「なにー!。」○○○の園長先生に謝りの電話をした。「危ないので連絡しました。」と怒ってはみえなかったが、私はひたすら平謝り。頭の中はぶっ飛んでしまった。翌日は、練習の前に子どもたちを集めて怒鳴りまくった。「おまえらやっていい事と悪いことの区別がつかんのか!。団の名誉を、ユニホームをけがしたことがわからんのか!!。それで最上級生のシメシがつくか?!。俺たちコーチは何のために必死でおしえとるんや!!。どたわけ!!!。」さすがに子どもたちはしゅんとして聞いていた。昔だったらビンタ一発ってところだな。・・悪いこととわかっていたが、楽しくて遊んでしまったようである。気持ちはわからなくは無いが、ユニホーム姿のうちは少年団である。少年団である以上私たちが叱る。私たちが真剣に怒らねばならない。それが私たちの義務である。団というものを、子どもたちも少しはわかってくれたようである。事前に連絡をしたので、すでに親に叱られて来た子どももいたようだが、全員の親御さんたちも緊急に集まってもらい、家庭でも厳しくしつけてほしいと話し合った。正直、練習の後までは面倒見切れない。どうか悪いことは、ユニホームを脱いでからにしてくれよ。・・・久しぶりに、大声を出してすっきりさせてもらった会長でした。(午後の試合は、みんな集中していてすばらしかった!) |
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2003年03月10日 19時24分17秒
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| 先日の日曜は、入団式。11名のちびっこたちがまた仲間に加わった。団長があいさつして、新入団員が元気に名前を名乗ったあと、各チームにニューボールを渡して、あっという間に入団式は終わった。終わった後で、私も挨拶をする必要があったかな?と思ったが、まあいい。みんなが仲良く楽しく野球ができれば、形式やカッコウなんてどうでもいいさ!。さすがに上級生チームは練習に試合にと、さっさと行ってしまったが、新3年生の親御さんたちは、その後1時間も、顔を合わせて相談していた。初めての人たちには、わからない事だらけだろう。「何でも聞いてください!。」と言ったが、わからないことがわからないのももっともで、「その都度、聞きます。」は、素直な返事だろう。新しい経験が始まる。これからの4年間は子どもたちとの真剣勝負。すばらしい体験が待っている。これからあと4年間も体験できるなんて、なんだかうらやましい限りだ。先日も「来年の今ごろは気が抜けちまっているだろうねぇ。」なんて、考えただけでさびしいことを言っていたコーチもいる。でもまだ1年ある。感動の1年よ!、この長くて短い1年よ、待ってておくれ! |
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2003年03月06日 12時13分52秒
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| 学校施設の使用者会議に先日出席した。グランドや体育館を借りたい団体が許可を受ける会議で、例年のことなので割り振りはうまく済んだ。今年から「一般の生徒が遊べるように、第3日曜(家庭の日)はグランドを使わないでほしい。」と要請され、お借りする立場の私たちはノーとは言えなかった。今年はじめからPTA会長より数度に渡りその話をうかがっていたのであきらめてはいたが、チームの数が多くただでさえグランドが足りないところなので、正直辛かった。しかし話はもっともである。生徒全員がスポ少の選手ではない。小学校のグラウンドは解放されるべき場所だ。私たちはお借りしているのである。また、「スポ少は練習をやりすぎだから、たまには休みをとるべきだ。」との声もPTAから聞いた。「家族で過ごす日を作る」事も趣旨だそうだ。しかし練習は無理強いしてやっているわけではない。子どもたちがやりたがるので、それにできるだけ付き合っているのが正直なところである。現に、雨などで中止の連絡を回すと子どもたちはがっかりする。練習日には、1時間も前から集まってくるのだ。・・・ただ、それも考え方次第である。練習をせず「家庭で過ごす日」ができたと思えば、それはそれでいいかもしれない。月に1度いただいたこの日を有意義にすごせばよいのだ。学校の考えている趣旨を理解して、子どもたちにはスポ少以外の経験をたくさんさせていきたいと考えている。私たちの為にこそ「家庭の日」がはじまるのだ。 |
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2003年03月05日 12時55分43秒
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| いつまでも謹賀新年もないものだ。もう2月も終わり。書けないまま時間は過ぎた。そしてとうとう来てしまった。昨日は卒団式。上級生が卒団していった。4年間もよくがんばった!感激と、寂しいこころにぽっかりと穴が開くような親御さんたちの気持ちが、去年よりもまして手にとるように感じてしまった。親は仕事を終えるが、子供たちは上へ成長していく。あとわずか一年で私達も卒団だ。笑顔で卒業させてやりたい。それはそれは感慨もひとしおだろう。残された私たちは、今日から最上級生。もう泣いても笑ってもあと一年。みんなにとっての貴重な1年だ。続いた親たちの総会で、とうとう私は育成会長に任命された。これで、名実ともに最上級生。恥ずかしくないように勤めを果たさねば。その場でいただいた資料の付け焼刃の説明も、みなさん協力的に聞いていただいて、後押しをしていただいた。ナゴヤドームの観戦の話も納得していただいた。ありがたい。頼りないので助けていただいているようだ。でも、全員の総会のはずなのに、委任状が多い。親の協力が団の良し悪しを決める。金曜日はスポ少連絡協議会に出席した。明日は学校のグランド使用会議。明後日は、全日本学童代表者会議。監督とともに、忙しい毎日だ。他の親御さんにも手伝ってもらわなければ。あと1年、がんばろう!。 |
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2003年02月24日 22時38分36秒
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| 学校が始まって2日目の午前中、新年度の「団員募集」の用紙をもって学校の職員室を訪れた。職員室にお邪魔するのは初めての経験。授業が始まったばかりの校内は、寒風吹きすさむ世間とは別世界のような暖かい空気に満たされていて、子供たちが包まれているやさしい環境を感じた。教頭先生らにも気さく応じていただき、例年通り、職員室の前に、申込用紙とそれを入れる箱を置かせていただいた。今年もたくさん申し込んでくれるでしょうか?。12日(日)は、市内のスポ少の交流大会。市の体育館でヤングリーダー会の指導のもとにゲームなどを1日楽しんだ。いろいろな他の学校の子供たちと交流目的だったようだが、子供たちはそんなこと意識もせず、すぐに仲良く遊びはじめた。同じ年は同じ年。ゲームに失敗した子は「腕立て10回」なんて班の中で勝手に決めて、本当にやっていたのを見ると笑えた。スポ少ならではの罰ゲームだ。そして13日(月)は、「グランド開き」。3〜6年まで整列し、各チームのキャプテンが、グランドのマウンド、ホーム、各塁に、塩と酒を撒き1年の無事を祈った。お母さん方の用意してくれたもちと豚汁を食べた後、5年生は引き続き初練習をはじめた。今日は正月に鈍った体を起こすため、もっぱら走りこみ。グランドを走った後、キャッチボールの後、また走りこんだ。走るメニューを盛り込んだゲーム形式の練習をいろいろやって、みんな楽しそうに、必死で走りこんだ。休憩の後はまたグランドを走って、ゲームに負けるとまた走った。明日は、きっとみんな足が痛いでしょう。今年も1年がんばるぞー!! |
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2003年01月15日 19時13分35秒
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| 新年、あけましておめでとうございます。「怒涛」の5年生時代も終わり、とうとう「感動」の最終学年となります。 昨年中はたくさんの方に見に来ていただき、ありがとうございました。この日記帳は自分本位の意見ばかりを勝手気ままに書いてまいりました。きっと今年もこの調子だと思います。いろいろご意見はあるでしょうが、その点はぜひ、メールでもお寄せください。(ゲストブックもあるんですけど・・。)では、本年もよろしくお願いします。なお今年の日程は、1月12日(日)の「市内スポーツ少年団交流大会」が幕開けの行事となります。みなさん、張り切って行きましょう!!。 |
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2003年01月04日 22時44分07秒
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