「滝川一益」の読み方。
「滝川一益」、信長の家臣で伊勢攻めや関東の平定に活躍した人物である。
ところで、皆さんは「一益」をどう読んでいるだろうか?
おそらく、「かずます」と読んでいる方の方が多いのではないだろうか?
しかし、これは間違いで本当は、「いちます」である。
他にも、漢字の読み方が間違っているのが多いのは、尼子(あまご)、雑賀(さいか)等であろうか。
また、宇喜多家重臣の「明石全登」とう武将がいるが、「全登」の部分の読み方が歴史家によってバラバラであるのがおもしろい。
簡単に、「ぜんとう」と読んだり、「たけのり」、「てるずみ」としていた本もあった。
生きていた豊久!?
関ヶ原の戦いは、三成らの敗走により東軍の勝利に終わった。
しかし、関ヶ原にはまだ西軍が残っていた。
薩摩島津軍団である。
義弘は、敵中突破を行い薩摩に戻っていった。
その時の話である。あの、兵法の家久と言われた島津家久の息子島津豊久は、義弘の代わりに影武者となることを決断した。
そして、本多勢によって討ち取られてしまった。
しかし、実は豊久はまだ生きていたのである。
そばにいた、手傷をうけて倒れていた兵達は豊久を運び集落へと行った。
兵士達は、七軒ある家を一つ一つ尋ねていったが、中に入れてくれる家はなかった。
結局、豊久は重傷を受けていたために死んだ。
その後、七軒の集落は栄えることもなく七軒のままで明治まであった。
これは、豊久や兵士の祟りだという。
忍者に「クノイチ」は、存在しない。
よく、時代小説などにでてくる、女の忍者「クノイチ」と呼ばれているが実は、忍者に女性はいなかったらしい。
ただ、敵方の女中を操って工作することを「クノイチの術」といったという。
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秀吉には、近江時代に2人の実子がいた。
秀吉は、淀殿と以外は子供はいなかったという。
しかし、あまり知られていないが実は、近江時代に最初の子供が産まれている。
産んだ母の名は、南殿といい、子供の名前は秀勝という。
しかし、秀勝は早く死んでしまった。
その後、また南殿が子供を産む、女子であったというがこちらも、早く死んでしまった。
秀勝が、産まれたとき秀吉は大いに喜んだらしく、金銀を長浜の町民らに与えたという。
秀吉は、秀勝という名前がよほど気に入ったらしく、後に2人の養子に同じ秀勝という名前を与えている。
近日、どうやら秀勝の墓らしきものがみつかり、秀勝の存在が立証されたようである。