12月21日

 

牧野俊郎君が、17日肝不全で亡くなりました。急報を聞いて、びっくりしました。牧野君の奥さんから遠藤君に、20日に電話連絡があり、それを受けて、遠藤君から、同期会のメンバーへメール連絡。これを受けて、旧制杉本さんから夕刻9時過ぎに電話連絡があり、早速メールを確認した次第です。(この時点では、お通夜は間に合いませんでした。)

原因はすい臓がん。牧野君の頭髪が、以前からかつらでは、との説が流れ、抗がん剤の影響だったのかと、憶測も流れました。しかし、すい臓がんという病気は、早期発見が難しく、大方発見されたら手遅れのケースが多いのです。なので、第一回目の2003年の拡大クラス会の牧野君は、少なくともまだ癌ではなかった、と思われますので、失礼な憶測ですが、仮にかつらだったとしても、あれは、抗がん剤のせいではなかった、と思います。ただ、昨年11月の同期会、この時も牧野君は参加してくれましたが、もしや、癌とわかっていて誰にも話さず、内に秘めたまま、出席してくれたんだろうか、と疑問が残りました。しかし、その疑問も、告別式の奥様のご挨拶で明らかにされました。「主人は、昨年12月に体調不良を訴え、急遽検査入院、このときにすい臓がんが見つかりました・・・。病院が大嫌いな主人を、無理やり、病院へ行かせました・・・。」

 

告別式は、矢柱斎場という、松戸市内の斎場で行われました。私は、遠藤君と朝9時に阿佐ヶ谷駅で待ち合わせ、会場へ向かいました。新矢柱駅から、斎場の送迎バスが出ていて、そこで、矢口君と会いました。矢口君は、手に読売新聞を持っており、牧野君の記事が、結構大きく、写真入で掲載されていたのです。地方版ですが、千葉県成田空港クリニックの所長を16年間も務めた牧野君は、地元の名士扱いで、まだ60歳という年齢での別れを惜しむ内容だったと思います。

 

「新しいお友達です。」小学校3年の時、地方から転入してきた男児を、クラスメートは拍手喝采で迎えました。一目見て好感を覚えた我々は、転入生に対し、大喜びでした。それを見て、転入生=牧野君は、右足をゆすり、「俺は偉いんだ」という素振りにも見えたのですが、その後のまじめな姿で、本当に好男児であったと証明されました。50年前の、最初の出会いを思い浮かべ、また、中学時代のクラス委員の姿、銭湯で出会ったとき、彼の視線が、ぼくの股間に注がれていた姿、校内マラソン大会でトップで帰ってきたこと、など様々なことが思い出されてきます。

あれから45年たった同期会では、松戸から遠路はるばる、多忙にも関らず、毎回出席してくれて、幹事までやってくれて、その謙虚な姿が悲しみを誘うのです。成田空港公団に勤めている、姪の通っているクリニックの医師が、牧野君と判ったのは、姪の名前が珍しい名前だったので、牧野君の口から聞いたのかもしれません。「あの先生は、エコノミー症候群を発見した、すごい先生。」という、姪の言葉で、改めて、牧野君の普段着の人柄に頭が下がったのです。

 

会場は、制服姿の空港関係者が10名ほど来られ、会場内は既に満員で、会場外に来訪者があふれていました。

遠藤、矢口、私の3人のほかに、A組のクラスメートの、阿部君、吉田君、松木君が加わり、さらに、会場内には、林君、旧姓杉本さんを見つけ、この後、栗原君が駆けつけ、計9名の同期会メンバーを確認しました。

読経が終わり、焼香の時に、初めて会場内に入り、祭壇の牧野君の遺影を見ることが出来ました。あごひげをはやし、にこやかに微笑む牧野君は、我々の知っている牧野君とは異なる、若くてかっこいい青年医師の姿でした。

 

出棺の時に、参列者全員で、献花をさせていただきました。癌で、やせ細ってしまったのだろうか、今一度牧野君をこの目で確かめたく、菊の花をそっと差し入れ、顔を覗き込むと、静かに眠っている、同期会で会ったときそのままの姿でした。このことが、ショックでした。遺族に深々と礼をし、会場外に出ました。

再度、奥様のご挨拶ということで、全員が会場内に入り、牧野君の様態の変化など、ここ一年の闘病生活を気丈にお話していただきました。

 

「出棺です」と、男8名ほどに抱えられた棺は、一列に並んだ制服姿の、空港関係者の敬礼の前を、ゆっくりと、車に納められました。 最後まで「いい男」でした。

 

 

11月8日

 

僕は1月生まれなので、60歳まで残り2ヶ月を切りました。宮前中学の同期生は、来年3月までには、全員が60歳となる訳です。年齢は、人間を表す一つの尺度です。60歳という響きには、一つの重さがあります。還暦とも呼ばれ、年をとった区切りの象徴にもなっています。社会的には、定年退職の区切りの年齢ですし、ご苦労さん、もう休んでください、と言われる年齢でもあります。人間を10代、20代、30代と10年毎に区分しますと、10代は成長、学習の時代、20代は社会に出て躍動する時代、30台は家庭を持ち、子育てし、40代では管理職につき、社員を育成する時代。そして50代は体力的にも衰えを覚え、後進に道を譲っていく準備に入る時代と色分けできるかもしれません。

しかし、自分の内面で世の中を見たらどうでしょうか。確かに、青春時代は10代、20代と思春期の頃をいうのかもしれませんが、恋は40代、50代、60代、70代、80代でも可能です。仕事も、60代、70代、80代でもできるのだと思います。それは、60歳、70歳になって思うことです。

ただ、身体的能力の衰えは悟らざるを得ません。100mを12,13秒台で走れる60歳はいないでしょう。

マラソンだって、2時間台で走れる60歳はいないのでは、と思います。ハードなスポーツの象徴のボクシングだって、60歳代のボクサーはいないのでは、と思います。ところが、近年おやじボクサーと呼ばれる、40台のボクサーが活躍しているそうです。この調子だと、団塊の世代からボクサーが出てきそうな気配もします。今後、元気な老人がたくさんでてきそうな予感がします。女性も、「おばさん」とか、「ばぁさん」とか、花が散った枯れ枝のように表現され、美しい乙女の時代は終わり、誰からも見向きもされない時代に入っていくかと世間の風潮は見られがちですが、どっこい、吉永小百合、朱分幸代、などずっと美貌を保っている女性もいるのです。年を重ねれば、人間の魅力も増します。世の中の見方も練れてきます。

我が宮前中学同期も、現在輝きを増している、女性に出会えます。昔のイメージを追いながらも、重ねた年齢の重み、魅力を感じ取れる女性が多いのです。

では、男はどうでしょうか。定年退職で、社会からリタイヤし、出世とか、昇給とか、そうした呪縛から開放される反面、生きがいを失い、うつ状態になる人も増えてきています。会社人間の人ほどその傾向は強いのではないでしょうか。団塊の世代の自殺が増えているそうです。けれど、男だって、魅力的な男も多いはずなのです。健康を保持し、大局的な見方を身に着け、悠々と生きている男もいるでしょう。宮前中学同期の男性たちも、昔とは違った重厚なイメージを感じさせてくれます。それぞれ、歯を食いしばって生きてきた到達点の60歳。その価値を、まずは自分で確認し、それから、他人の価値も再確認する。そんな、出会いが、同期会でできたら最高かな、などと一つの結論じみた言葉をかみしめております。