槍ケ岳北鎌尾根・表銀座縦走


日  時  平成11年8月11日〜 15日
場  所  北アルプス南部
参加者  木村正人・木村貴子
コ-スタイム 11日
 伊豆高原−中房温泉
 18:00     24:00
      12日
 中房温泉〜合戦小屋〜燕山荘〜  切通岩〜大天井ヒュッテ〜貧乏沢入口〜天上沢出合
 6:00     8:30-40  9:40-10:20  12:30   13:10-40    14:00     17:00
      13日
 天上沢出合〜北鎌沢出合〜右俣出合〜北鎌のコル〜天狗ノ腰掛〜槍ヶ岳山頂〜槍岳山荘
 5:00       5:20-40    6:00     8:30-50   9:40      19:15      20:00
      14日
 槍岳山荘〜水俣乗越〜西岳ヒュッテ〜西岳〜西岳ヒュッテ〜 大天井岳〜大天井ヒュッテ〜燕山荘
 6:00     8:00     9:00-10   9:20  9:30-10:30  13:40    13:50-00   16:20
      15日
 燕山荘〜燕岳〜  燕山荘〜合戦小屋〜第2ベンチ〜中房温泉−国民宿舎−−伊豆高原
 5:50   6:10-30  6:50-00  7:35    8:35-50    9:30     10:00-16:00
                                                      報告 木村正人

 山と岩を経験した者なら誰でも憧れる、槍ヶ岳北鎌尾根に挑戦だ。
 この尾根は松濤明の風雪のビバ−クをはじめ、色々な逸話に彩られ、あまりにも有名だ。
 
 私のような経験の浅い者に出来るだろうか?おまけにパ−トナ−は妻だ。貴子には山行の無い時に、城ガ崎の岩場で、継続登攀等の技術を教えはしたが!!我が会ではTさん、Yさん、Oさんが成し遂げている。Yさんに相談すると「大丈夫、大丈夫。出来る。」と言われ決心した。

 Yさんとプロの登山ガイド会社から色々な情報を仕入れる。しかし心配なので、なるべく人の多いいお盆の時期に日程を合わせた。安全と重量をハカリに掛けても、4日のテント泊、ザックは20kg弱になる。貴子も13kgは超えている。
 ル−トは中房温泉から貧乏沢を下り、北鎌沢右俣を登る。そして北鎌のコルに出て、槍ヶ岳の祠に着く。
 下山は表銀座を下り、途中、西岳、赤沢山、赤岩岳を登り中房に戻る。4泊5日の欲張った計画だ。
 週間天気予報も、晴れの日が多く良かった。

    11日 
 中房温泉には日付けが変わって着き、今年一番の星空が見えた。天の川やカシオペア座、そしてこの時期現れるペルセウス流星群迄。明日は日焼け止めをぬらなくては。
    12日  
 青空でなく曇っている。樹林帯を登り、合戦小屋を過ぎると、潅木も低くなり明るくなったが、ガスで遠望はきかない。燕山荘でも期待した槍・穂の景色どころか燕岳すら見えなかった。でも燕山荘から大天井ヒュッテまでの6kmは、コマクサ街道といって良い位に、今が盛りと咲いていた。

                   

                        50ヶ位の花が咲いていた

 大天井ヒュッテを過ぎた草の中に、最終日用の食料をデポし、荷を軽くする。
 雨が降りだしたので、カッパを着て20分位行くと、貧乏沢入り口の立板があった。

 高いハイ松や雑木林で苦労したが、赤テ−プはしっかりあった。1時間余り急下降すると、広い涸れ沢に出て、赤テ−プも無くなる。沢を下るのは確かなので、岩雪崩が置きそうな所を(私は少し起こした)下るがテ−プ等の印が見つからない。ル−ト間違いではと思い、最後の目印まで40m位登り返してみたが、やはり見付ける事は出来なかった。ここが貧乏沢には間違いないので、不安を感じながら下った。(30分ノロス)
 
 私の足元の石がガラガラと音をたてて崩れる。後の貴子が石を崩さないかヒヤヒヤしながら慎重に下る。右崖からの滝を過ぎると道があった。その後は、沢の中を下り、急な所は樹林の中の道を下る。途中から先行者がいるのではと思う。(倒れた草が枯れていない)北鎌が圧等的迫力で近づく。下降中、右岸を巻き、危ない所が何ケ所かあったが《原則的に左岸を下る事》無事天上沢に着く。

 テントが一張り見え一安心。女性1人を含む4人パ−ティ−で、リ−ダ−は数年前に登ったという。明日、同行させてもらう事になりありがたい。5時出発という。遅れないようにしよう。
 雨の中、テントを川原に張り、長い下りで痛くなった膝の手当をする。貧乏沢下りは2時間と本に書いてあったが、3時間も掛ってしまった。ランタンが故障したので早々に寝る。

   13日  
 3時に起きた時は星が出ていたのに、出発の時は曇っていた。天上沢は広い沢だ。

                   

 上流で2パ−ティ−が出発準備をしていた。私達が一番早い出発だ。15時には殺生ヒュッテに着いているだろう。

 15分位歩いた所で、右側から沢が出てきた。同行パ−ティ−のリ−ダ−が、地図とコンパスを出し、此処が北鎌沢出合いと分かる。右俣と左俣の分岐には、ケルンが多くあり、私達は右俣からコルを目指して進む。4人パ−ティ−と話ながら登るうちに水を1リットル しか持っていないと分かる。私達は1人2、5リットル持っているが、1日歩くのに大丈夫だろうか?

 休んでいると、単独の人が追い着いてきた。(後で分った事だが、名前は古沢さん)話をすると、昨年、一昨年と来ているそうだ。年は私と同じ位。その人は親切にコ−ス上の注意点を教えてくれた。

 コル近の草付きは、急傾斜で滑りやすく、また落石も起こしやすい所だった。 
 狭いコルに出て、一息入れる。此処まで2時間のところ3時間掛ってしまった。長いアプロ−チからやっと解放され、いよいよ北鎌尾根登攀の始まりだ。雨と雷の心配はなかったが、ガスっているので見通しがきかない。
 
 此処からは単独者の古沢さんと同行した。ハイ松と雑木の中を急激に高度を上げ、幾つかのピ−クを越えると天狗の腰掛けと呼ばれる所に着いた。もちろん標識などない。ただビバ−ク用のテント場跡があった。

 独標は相変わらずガスの為見えない。この辺りから、岩稜帯の核心部だ。独標の基部バンドをトラバ−スする時、四這いで、膝をついて抜ける所があったが、ザックが邪魔で通れず、右足を一たん崖下のスタンスに置き、ソロリ・ソロリと抜けた。後は正面壁右端のリッジを越え、更に山腹を右上して尾根に出た。
 
 途中、踏み跡はあるのだが、行き止まりになっていたり、突然崖で登れないとか、降りれない所が何箇所も出てきた。迷った時は、しっかりした踏み跡の所まで戻って出直した。テ−プもペンキも標識も何一つ無いので、ル−トファインディングが大切だ。
 ガスの晴れ間に、独標の全容が見えた時その圧倒的スケ−ルの大きさに度肝を抜かれた。10m位の難しい下降の時はザイルを出し、古沢さんのビレ−で、私が先に降り、次に全員のザックを降ろし、最後に彼が降りてきた。

 途中、朝の4人パ−ティ−に抜かれる。
 古沢さんともはぐれて、2人で進む時があった。行き詰った時、ハ−ケンは打ってあるが、厭らしそうなので止め、少し戻って、ノ−ザイルでザックを背負ったまま、3級程度の岩を20m位登った。(今考えると恐ろしい)上で私がザイルを出し、貴子を上げた。
 また、堅い岩ばかりではなかった。ザレ場のトラバ−スもあった。貴子の腰が引け、四這いで苦労しているの見た時、彼女には未だ早過ぎたかと後悔した。私がル−ト以外の所を登ったが、貴子は登れない。「別の所から登れ」と言って、登ってきた時、ザレ場にあたり、登る事も降る事も出来ないという。私のザイルも横に遠すぎて、投げても届かない。「落ち着いて、ゆっくりやれ」としか言えなかった。この時、妻が滑って落ちてしまうのではと思った。そうこうしている時、古沢さんともう一人の男性が追い着き、貴子の傍で適切な指示を出して、窮地を脱した。

 以後はこの4人で行動した。息の抜ける所は殆ど無かった。時間も大幅に遅れているみたいだ。
 おまけに3時頃から雷も鳴りだした。《雷から逃げる所はない》と本に書いてあった。まさにその通りの地形だ。4時半迄の1時間半は、閃光から雷鳴が届くまで、何秒掛るか、(1・2・3・4・5・・・)そればかり気にしながら進んだ。雷が落ち、やられると2人とも死ぬので、2人で来た事を後悔する。息子が1人ぼっちになる。1人で来れば残った1人が子供の面倒を見れるから・・・等と考えていた。

 ル−トを迷いに迷いながら、北鎌平に着くと、テントが一張りあった。朝の先行4人パ−ティ−で、此処でビバ−クするという。テントを伝わる雨水をコッヘルに集めている。「今、17時。日没は19時だから、肩の小屋迄1時間半で、明るいうちに行ける」と古沢さんが言い、先を進む。

 ところが右を巻く所を、左に巻いてしまい、大変な目にあった。リ−ダ−格の古沢さんがザレ場で落石を起こす。
ガラガラ・・・2番手の私の横を50cm位の岩が落ちた。その3秒後、今度は貴子の前とラストの男性の間を、大岩が奇跡的にすり抜けた。あんな大岩を受けとめる事は出来ないし、ザレ場で逃げる事も出来なかった。足を滑らせば、谷底へ一直線だ。助かったと思っていると、20cmの石が私のスネにあたった。スピ−ドがついてなく、さほど痛くなかったが、血がにじんできた。

 全員ソロリ、ソロリと後退し、元の北鎌平に出る。(30分のロス)、右を巻いて進むと、ケルンと赤ペンキが出てきて、本来のル−トと分かり一安心。リ−ダ−いわく《最後の難所》チムニ−が現れた。
 リ−ダ−のビレ−で、私がリードで登る。確保されていると思うと安心して登れる。15m位登り大岩に自己確保し、ビレ−解除を告げる。貴子と男性がプル−ジックで登ってきた。次に貴子のビレ−で私がザックを取りに降り、登り返す。最後はリ−ダ−がプル−ジックで登って、第一関門通過。
 二つ目の深いチムニ−も、同じ方法でクリヤ−したが、ザイルを出すと時間を多く費やす。 

 ザイルを回収しているうちに、先に登らせた貴子から「着いたよ−」と声が掛った。
 私達も登り、いきなり祠の所に出て、登攀終了。四人で感激の握手。「やった−」日没を30分過ぎて、辺りはすっかり暗くなり、ヘッドランプを出す。そして苦労を掛けた貴子の写真を撮った。 

                  

                       19時15分 槍ケ岳祠にて  

 後は小屋迄の下りだけだ。ランプの灯だけで、真っ暗な中、下山の白ペンキを探しながら下ったが、何も恐くなかった。何故なら浮き石もザレ場もなく、ハシゴとクサリもあるので安心して歩けた。

 小屋に着き万歳三唱をした。予定では14時に着いているはずが、20時になってしまった。15時間も掛り、最初の1時間以外は、気の抜ける所が無かったが、良き連れと同行でき助かった。
 私達2人ではビバ−クしていた事だろう。いや無事に着けたかどうか怪しい者だ。4人分のビ−ルを買って乾杯!

 この時間と雨でのテント泊は辛いので、素泊まりにし、暖かい布団で寝た。

   14日      
 昨日の2人に丁重にお礼を言い別れた。
 
 外は雨。カッパを着ての出発となる。晴れていれば快適な東鎌尾根も、雨の為何も見えない。
 水俣乗越で、ラジオから南関東は大雨と知る。その熱帯低気圧が、明日にかけて北陸地方に抜けるという。
夜の間に抜けてくれと祈りながら進む。(出発前の週間天気予報は大外れ。) ヒュッテ西岳では雨の為、外のベンチが使かえないのと盆のせいでごった返していた。とりあえず西岳を20分で往復し、赤沢山を目指したが、登山道入口が分からず引き返した。小屋の人は「踏み跡もはっきりしない山だし、この雨では止めたほうがいい」と言う。

 貴子と相談し、無理はよして諦めた。次ぎは赤岩岳だ。登山道が巻いている事は分かっていたが、此処も入口が分からず断念。(後で大天井ヒュッテで聞くと、夏道はなく、自分でル−トを切り開くしかないと教わる)

 デポしておいた食料をザックに入れ、大天井荘から大天井岳を目指す。此処も10分掛るか掛らないで登れ助かる。
 二つの山を登らなかったので、時間が余ったのと、大天井のテント場がびしょびしょでテントを張れる状態でなかったので、燕山荘まで行くことにした。
 
 体も疲れているので、テントは止め素泊まりにする。此処も一人5、500円払ったが、6人用を4人で使え、平らな布団で暖かく眠れるのは幸せ。『膝と足首が下りで痛くなる。明日が心配だ・・・・』   
   15日 
 晴れた− 。神様は最後になって褒美をくれた。燕岳では360度見渡せた。北鎌尾根もはっきり見える。一昨日のことを思い起すと、体がジ−ンとして震え、涙が出て止まらなかった。『無事で良かった、良かった』

                   

                                  北鎌尾根

 合戦小屋辺りからガスが出てくる。中房に着いてびっくり。

 昨日、里の方は凄い雨だったそうで、道路が14日の20時から通行止めになっていた。国民宿舎の風呂に入り、通行解除を待つ。規則では通せないが、《粋な大岡裁き》によって、6時間後の16時に通る事が出来た。雨の中、歩いて帰る人が大勢いて、私達のような車が、その人達を次々乗せてあげていた。(勿論私も)

 暖かい人情を見て、心が豊かになる。(後で分かった事だが、里の方は熱帯低気圧によって、色々な所で被害があり、特に丹沢の玄倉川では、13人が死んだと分かる)

 登山の総合力が試される北鎌尾根。全ての面に於いて、高レベルの所であった。【岩雪崩帯の通過・急な草付き・難しいル−トファィンデイング・逃げ場の無い所での雷・不安定なザレ場帯・落石地帯・ザイルが必要な所・暗い中の登攀・ヘッドランプを着けての下降】などなど。

 いろいろな新しい経験をし大きな自身になったが、また行くかと聞かれれば、「もう絶対・い・か・な・い・」