大阪市職員とOBによる まいど美術展 第19回展が過ぎて、来年は20年目を迎える。
誰がこの展をつくったか、どうして長く続いてきたか、整理しておきたいと思う。
〔1〕、誰がいいだしべえか
大阪市労組誕生のもとになったOYK,代表は永井守彦、この事務局はよくのんだ。永井さんはそのころから、祝儀を
奮発し続けて今にいたっている。
その後、市会議員となっている稲森豊、文化活動に力をいれ、引き札についての共著も残している。裏方の世話を
よくして今、事務局長を引き受けている広瀬平四郎。立案、まいど紙上にまとめを載せてきた高木耕作。この3人が 事務局。
それに絵描きグループより、岸本安司、現会長。武藤初雄まいど展、展示責任者。中川忠司、画家の増田浩一、亡
くなられた山本義一、田中実、浜幸二らが加わった。
言い出しべえは誰か、だんだん忘れてしまうようになった。
〔2〕、名称について
OYKの文化的とりくみのひとつとして、それまで・表紙絵を描き、あるいは、長く絵を楽しみとしてきたか、描き続け
る工夫、よくできた喜び、を語って10月号の記事にしたり、協力メンバーによって開く展なので、三案の中から決め た。
「まいどギャラリー」、「大阪市役所美術展おおきに」、「まいど美術展」であった。
三回展から、存在を明らかにするため、大阪市職員とOBによると付け加えて呼ぶことにした。
1984〔昭和59〕年、12月7−12日、上本町ギャラリーにおいて、第一回まいど美術展は開かれた。「親子写生会」
をその前にもった。
来年は2003年、「大阪市職員とOBによる第20回まいど美術展」がひらかれる。
〔3〕、三人の人との思い出
平戸映子さんは第2回、第4回まいど展に出品、その後イタリアに絵画留学し、その直後に体調を崩して帰国、8ヵ
月後に46歳の若さで亡くなった。回顧展にはご自身モデルのヌードの絵もあった。大阪市立大学を卒業、絵が好きで 大阪市立美術研究所にも学んで、画家へのユメを持ち続けていたのに残念だったろうと思います。
山本義一さんは第4会展に「漁港閑日」を出品、几帳面な絵だった。病気をおしてだしてくれた。
このころか、近鉄電車に乗って、ご自宅にお見舞いに行った。筋肉がだんだん使えなくなる病気、難病で、口に絵
筆をくわえて描いておられた。べツドに寝てても動けない、それでも個展もやられた。
息をする力もなくなって、なくなられた。
前田亮一さんが亡くなられて9年目の1997年、大阪市立博物館では大阪の街角を描くー前田亮一油彩画の世界
展ーが開かれた。
天王寺区上本町6丁目、上本町ギャラリーのご主人であった。まいど展には、病院を抜け出して見てくれた。いつも
ニコニコして絵をよろこび、励ましてくれた。
ご自身の個展では、りんごのしわになってしまうまでを、順に何枚も描いて並べておられた。
その奥さんは今もずっと、まいど展に缶ビールを差し入れてくれている。
〔4〕、先生とよばれるようになってきて
水彩画の栗林忠男先生の弟子となった武藤初雄先生は、日展入選も多くなり、特選もうけ、一水会委員、日展会
友、アトリエ「ドック」の指導をされてる。
同門の中辻修先生も一水会会員、関西水彩画会委員、
宮山博司先生は大阪市役所絵画部の指導をしていられる。今年はパリでも個展をされた。
版画家の真栄平房義先生は長く版画部の指導にあたられた。
イシマル、ヒデさんはもう幾冊かの本を出版された。
〔5〕、長らく続いてきたわけ
絵を描くのはつらいだけでなく、よろこび、楽しみが、多く描くことによって、うまれてくるからではなかろうか、誰も
が進歩する、進歩が見えるからでしょう。
病気になるほど描いてるひとはじょうずになっています。
いくつかの描くグループができてきました。
何人かの人は環状線、桃谷駅近くで、桃谷教室をもっています。
女性グループは工位喜代江先生が指導しています。
日本画の人たちはそれぞれ、日本画の先生に習ってこられました。
やはり、いい先生に習うのが、近道のようです。独りよがりはいけません。
〔6〕、水彩画部の設立を提案
1990年、大阪市職員水彩画クラブ設立案を大阪市の担当、厚生課長に提出した。
場所、連絡、いおいろな面で運営が助かる。でも、絵画部があるから、充分という理由で許可されなかった。
教職員展はデパートで開催されている。サントリーは駅前第2ビルで展示していた。社長も出品されていた。それ
に引き換え、職員美術展は長居競技場の片隅、、、、、。
職員の中には優れた絵描きがいる。市の施設にはいっぱい架けるところがある。公募展入選作を借り受けて掲
示したらよろし。
ルーブル美術館には税金のかわりに絵が収められるシステムがあるそうな。
もう少し、いい絵が生まれるように、お金もかけて、いい土壌をつくるのがいいのじゃないか。
職員水彩画クラブぐらいあったらどやね、とおもう。みんな競争してよくなる。排除して、狭くするのはよくない。
〔7〕、まいど第20回をどう迎えるか
親子写生会をはじめのころはした。そのころの子供たち、背も高くなり、成人している。あちこちの芸大に進級した
子も数あった。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、メンバーも、同じ顔もあれば、去った友もい る。
全体としては年をとったかな、レベルは年々上がってきたかな。
さて、20年目をどう迎えるか、
まず、私はたどってきた道を振り返ってみた。トップページyuujyou
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