私 の カ ラ パ タ ー ル '05.12
北海道札幌在 田中昭男OBの念願のエベレストビュートレッキング
<行 程>
11月9日 関空発(12:15)、上海経由、カトマンズ(19:05現地時間)
ホテルヒマラヤ(パタン地区)
11月10日 カトマンズ−イエティエアライン(雪男航空)−ルクラ
ルクラーパグディン(2,652m)
11月11日 パグディンーナムチェバザール(3,440m)
11月12日 高所順応 停滞
11月13日 ナムチェータンボチェ(3,867m)
11月14日 タンボチェーディンボチェ(4,343m)
11月15日 高所順応 停滞
11月16日 ディンボチェーロブチェ(4,930m)
11月17日 ロブチェーゴラクシェブ(5,100m)
11月18日 ゴラクシェブーカラパタール(5,545m)−ロブチェ
11月19日 ロブチェーペリチェ(4,300m)
11月20日 ペリチェータンボチェ (ここまでは全く異常なし)
11月21日 昨夕から突然右足首から下に激痛、これ以降の歩行は困難と
判断、レスキューを依頼、昼、ヘリでカトマンズへ
医者の診断はリュ−マチ(本人は痛風の発作と思う)
15時頃、ホテルヒマラヤ入り、以降ホテルで静養
本来は 21日 −エベレストビューホテル
22日 −パグディン
23日 −ルクラ
24日 −カトマンズ
11月24日 合流、ようやく直った
11月25日 市内観光
11月26日 カトマンズ(23:45)−
11月27日 −関空(11:00、日本時間)
<概 要>
◎主催 ヒマラヤ観光 19日間、378,8000円プラス1人部屋38,000円
山中はオール、テント(食事の場所はロッジの食堂)
◎参加者、計8人、内私をふくめ3人はカラパタール登頂後下山、残りは
下山途中(ぺリチェ)からチュクンリ(5,500m)へまわる、22日間計画
3人のうち、1人はルクラからの2日目、ナムチェバザールへの途中で
体調不良のためダウン、馬で引き返した。私はカラパタールからの下山
途中のタンボチェ(3,800m)で突然の右足激痛のため離脱、ヘリで下山。
さらに、カトマンズで残り5人のうち67歳のFさんが下山途中の私と同
じタンボチェで心筋梗塞(多分)のため急死したとの連絡をうける。
ヒマラヤホテルで会ったヒマラヤ観光、宮原社長(還暦のエベレストの著者)
の言葉によれば、1/3はカラパタールまでたどり着けないという。
状況はちがうがなにか本当らしい。簡単なトレッキングではないことは
解ったような気がする。今年は雪が全然少なかった。
<思 い 出 す ま ま>
◎ タンボチェ(3,800m)
ここは本当にいいところだと思う、チベット仏教の僧院が置かれている
意味も解る。北にローツェ、エベレスト、北東にアマダブラム、東に
タムセルク、カンテガ、南にコンデリ、西にクーンビラと四方を名峰に囲まれたすばらしい場所だ。
夜、満天の星、ローツェのうえに北斗七星、南のコンデリの上にオリオン、しばらく眺めてた。
いろいろあった場所のこともあり、もう一度行きたいところだ。
◎ ディンボチェ(4,343m)
ローツエの南壁の下でもあり、大分格好をかえたアマダブラムの下でもある。夕方ローツエの夕焼けが綺麗だった。
停滞日にすこしチュクン側に登った。ローツエの右、アイランドピークのその右奥の白いピークがマカルーだった。
なお、ぺリチェから谷奥にチョオユーが見れた。
◎ カラパタール(5,545m)
プモリからクーンブ氷河(エベレスト側)におりる尾根の一角。
エベレスト、ヌプツエの姿は浅野さんが言うように定番だが、とにかく来れただけよかった。
おそらくここが自分の人生で最高到達点になったから。前日の夕方、ゴラクシェブから半分
登って夕焼けを見た。すばらしかった。当日は朝5時出発の7時半到着、しばらくしてからヌ
プツエの裏から日の出、逆光だったから写真はいまいち。
なお、ヌプツエはエベレストと並んで見ると脇役、引き立て役だが、下のロブチェから見ると
どうして、どうして堂々とした存在感のある山で中ほどの一枚岩とも見れる部分がとくに目をひいた。
◎ 土ぼこり
エベレスト街道は土ぼこり街道。とくにタンボチェまではひどい。日本人も多いが各国から来ている。
登ったり降りたり、唯一の輸送機関であるポーターも多い、そしてこれまた輸送機関のゾッキョやと
きどきは馬も、乾季で晴天続きはいいが、これらによる土ぼこりはふせぎようがない。マスクをする
が息苦しくてはずしてしまう。おまけにゾッキョの糞がいたるところ。踏まないように歩くのが難しい。
◎ ナムチェの登り
カラパタールの登りは高度から言って苦しいが、これはしょうがない。
タンボチェの下ブンキタンガの谷の登り返しもあったが、いちばんこたえたのは2日目のナムチェの登り
(500mくらいだったか)、最初の登りということもあったろうが、いちばん苦しい登りに感じた。
◎ シェルパ3題
1、都合8人と添乗員にシェルパのサーダーを筆頭にサブのサーダー3人くらい、ポーターが3〜4人、ゾッキョ
が3頭、ゾッキョ追いのかあさん2人、それにコックが3人くらい、13人位がついてくれた。
我々はサブザック程度だけ。人件費が安いのだね。
2、たしかぺリチェ(4,300m)の夜に、夜中12時頃トイレに起きたら、向かいのシェルパテントの外に
若いシェルパが寝ている。倒れているのでないかとびっくりして、「おいどうした、大丈夫か」
何度も声をかけたら「ありがとう」、「ありがとうでないだろう、こんなところで寝てたら、凍死するぞ」、
テントのなかからサーダーが顔をだして、「ほおって置いていい」、サーダーが言うのだから凍死しても
俺はしらんぞ。翌朝何事もなかったように「おはようございます」。酔っていたようだけど、それにして
もシェルパ族の真髄を見た感じ。
3、我々についてくれたシェルパ、テンバという。家はナムチェのちかくで現在カトマンズで単身赴任中の
26歳。カトマンズに戻って、いろいろ迷惑かけたから、お礼に夕食日本料理をごちそう。
あまり食べなかったから、食があわないのかと思って、「あんたの好きな店で2次会」といったらホテ
ルの向かいの路地をはいった2階のヌード劇場、こんなところに連れてきてといっても、まあいいじゃ
ないですか、出し物はミニスカートで踊るだけ。こんなものかと思ったり、最近の若いシェルパはこうか
とも思ったり。ちなみにテンバは来年夏、槍ヶ岳山荘で3カ月位アルバイトにくるとか、「槍ヶ岳山荘下
の町にはこういうところはないからな」
◎ IT、電気事情
ナムチェの少し上に送電線と鉄塔があった。近くで水力発電をやっているらしい。ナムチェでは国際電話が
できる。インターネットカフェもある。
エベレストビューーホテルでも国際電話はできるのでないか(未確認)
タンボチェには新しいインターネットカフェがあった。
行程中のほとんどのロッジの食堂には20ワット位の蛍光灯がたいてい2個、電源は太陽光発電パネル、
2〜3年前から普及しはじめたとか。
各村、各ロッジ間の電話もできるようだ。急速に変わっているようだが、輸送機関はポーターとゾッキョ
とヤク、これは変わりようがないか。
◎ おわりに
タンボチェ、カトマンズ間のレスキューヘリの値段は3,300ドル、保険の扱いはこれからだが、どうなるか。
浅野さんに比べればとてつもなく高いカラパタールになるかも。
まあしかし、いろいろあったけれど、カラパタールには行くことができて、まずはよかった。自分をほめ
てやりたいとも思うし、不養生、不摂生、トレーニング不足などに反省したり。

タンボチェ入り口から
カメラはリコー、デジカメ,28ミリ、4MBを持参

タンボチェ、正面北、ローツエ、エベレストに朝陽

タンボチェ、北東、アマダブラム、正規の姿

タンボチェ、東、カンテガとタムセルク

タンボチェ、南、僧院宿舎ごしにコンデリ

1タンボチェ、西、シェルパの神の峰、クーンビラ

ディンボチェ手前、ローツエの大岩壁

ディンボチェ、ローツエ夕照

ディンボチェ、アマダブラム夕照(姿が変わった)

ディンボチェからチュクン側、
真中白いピークの右奥がマカルー(のはず)

ロブチェ、左にプモリ、カラパタールは手前の尾根
の向こう、クーンブ氷河の最奥

ロブチェ、方向がかわると、ヌプツエもすごい存在感

ゴラクシェブからカラパタールに半分登った
17時すぎ

同じく、エベレスト夕照

翌朝7時半、カラパタール着
真中のFさんが急死

カラパタール、ヌプツエの側から日の出

カラパタールにて、プモリを背に

下山開始、中央アマダブラム、右はカンテガ、タムセルク
手前に氷河

ぺリチェの朝、奥の白いピークがチョオユー

これはゾッキョ

これはヤク、ヤクの糞は乾かして貴重な燃料

ポーターの小休止、荷物の下の杖は「テクワ」といった。
皆、年季のはいったのを使用

キャンプの朝、6時にカップ一杯のスープ、その後、
洗面器に一杯の湯、これで、歯磨き、洗面
左はゆたんぽ、日本人特別仕様か、助かった。

ポーターが運ぶ調理道具、ラジウスは径30cmもある
驚いた、原理は同じ

シェルパの姉妹、目がよかった、アメをねだられた

多分ナムチェのすこし上