アコンカグア 2001年 <10/20掲載>

提供 永野 秀男 OB


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第二回目---2000年末〜01年初のアタック-------

----------以下は、下山後に寄せられた永野OBbゥらのe-mailです------------------
各位殿:

サンパウロの永野です。

黒山さん、高場さん他、皆様に色々お世話・ご心配おかけいたしましたが、今回2001年1月2日にアコンカグアに登頂し、一応
無事帰って参りました。天に感謝皆様に感謝しつつ、以下、とりあえず報告申し上げます。

(1月6日夜サンパウロに戻り、8日より会社に出ておりますが、高度障害でだいぶ脳細胞破壊されおり、頭がボーっとしております。
とりあえずアルコール洗浄を繰り返して様子を見たいと思っております)

(1)今回、内心大いに頼りにしていたのは、高度順応は3年は持つ、という黒山理論であったのですが、期待は無残に打ち砕かれま
      した(黒山博士は、きっとコレラの予防接種の有効期間あたりと混同されたものと思われます)。連日大バテで、ありとあらゆ
      る老若男女に追い抜かれ、いつも一人取り残される毎日でありました。

(2)登頂日1月2日は、朝6時テント(5780m)発、頂上6962m到達が16時、帰テンが夜9時半、全行動時間15時間半
      の長い一日でした。北西岩稜をインデペンデンシア倒壊小屋(6400m)まで登り(09:00)、西面大トラバースを終わ
      るあたりまでは、まずまず順調で、その日の登山者数組の先頭を切っておりました。しかし、かの悪名高いグラン・カナレータ
     (大ガレ場)に突入(10:30)したところで最悪ルートを選んでしまい、ひとり蟻地獄をもがいて1時間半をロス。これで
       一気に大バテ状況に突入。
      昨年のギブアップ地点に至ったのが12時半。今年は雪が少なく、アイゼンを履くことも出来ないズルズルのガレ場に最後まで
      苦しみながら北峰南峰を繋ぐ頂上稜線に出たのが15時15分。稜線の反対側は雪で真っ白な南壁の大絶壁が切れ落ちていて、
      盛んにガスを吹き上げておりました。(コゲなトコロをソノ昔登られた黒山先輩に改めて最高敬意)それから更に、クソ重い木
     靴のようなプラスティック靴を、ごそごそ岩場で滑らせながら、午後4時、やっと頂上に至りました。

(3)意識障害は、登っている途中、ぷちぷちと意識が途切れることから始まり、やがて、意識と肉体の動きが完全分離状態となりま
      した。下山の相当に早いうちから、自分の体が自分のものと思えず、全くの第三者が勝手に動いている、という感覚に陥ったの
      であります。帰りのトラバース道で3度も転び、一度は砂の斜面を西壁大斜面に向かって滑落を始め、ストックで何とかジッヘル
      して助かったような有様。あたりは誰もおらず、ビバークしようか・しまいかと考えつつ、やばい岩場を何箇所か自分の物と思え
      ない体で他人事のように感じながら下るという、不思議な感覚の中、途方も無い長い時間の後に、暗がりの中を、テントにたどり
      着いた、のが実態です。
     (反省:やはり単独行はよくありませんね。しかし、よく考えると、いくら泥酔して記憶をなくしても何故かちゃんと家に帰って
      いる、という日頃の鍛錬が功を奏したのかもしれないなあ、と懲りないオトーサンは思ったりしております。)

(4)今回は、また、奇しくも、東京商船大山岳部2名といろいろ因縁がありました。12月24日、ベースキャンプ手前のコンフル
      エンシア(3500m)で隣のテントに一人で居たのが商船大の山岳部員(N)で、彼はこの高度で既に高山病にかかり、3泊
      目で、相棒(I)は、すでにベースキャンプに上がっていると。商船大は1000人足らずの学生数ながら、2名も現役部員
     (ともに3年生)がおり、この2名でアコンカグア遠征にきた由。
     12月28日、(永野)は、すでにC1へのデポなどをこなして、BCにて沈をしていたが、騾馬業者のテント前で水を汲んでい
      ると、思いもかけずこの(N)が突然倒れてきて、助けてください、と言う。目の前が黄色で意識がなくなるーと言う。肩を担い
     で医療テントに連れて行き、様子を見るが、本人はすぐにでも下に下らないと死んでしまうと訴える。(永野)は、これも何かの
     因縁か、最悪、彼と一緒に、下山するか、その時は今度の登山は中止か、という覚悟もしたりした。その後、騾馬が見つかり、
    (N)は登山を諦め騾馬と一緒に下界に下っていった。

     12月31日、C1(ニドデコンドル5350m)から、ベルリン小屋5780mにデポをあげ、更に6400mまで偵察・高度
     順応に行って来てくたばって休んでいると、(N)の同僚という商船大(I)が挨拶にきた。彼は、一人で小刻みにテントを延ば
     し、明日はベルリン小屋(5870m)、明後日は頂上アタックしたい、と。1月1日、時間を前後して、(永野)も(I)もベ
     ルリン小屋にテントを上げたが、話を聞いてみると、彼の登攀スピードはちょうど(永野)の倍である。入山も3日も早く、高
     度順応に余裕があり、さらに若さと体力あり、かなうはずもなし。
     1月2日、(永野)の登頂タイムと比べると、(I)は1時間遅く出発し、1時間早く頂上に着いている。(永野)がへろへろで
     頂上に着いたとき、まさに下りようとしていた彼と握手して別れたが、かれは、同じテント場まで、3時間、夕方7時までに下り
     ている。
   (感想:ちょうど息子と同じ歳の学生と競争しても勝てるものではないが、中高年サラリーマンが必死に休暇をやりくりして無理な
     高度順応でヒイコラ登らねばならぬとは神は不公平ではないか。)

     以上、取りとめも無い記録ながら脳細胞壊死に免じてお許しください。
     


  
 BCへのアプローチ



 


  
 BC


 


   C1


   


   
  C2


  


  C2より頂上へ


   


   グランカナレータ


  


   
  頂上稜線


 


  頂上


   


   
 BCにて商船大生と