日本人スタッフのナヌムの家/日本軍慰安婦歴史館
よみもの/もくじ
田舎暮らし 幕の内
メール掲示板
ただいま制作中
まだ企画中
まだ企画中
後援会のサイトもご覧ください
ご覧のサイトはボランティアで運営しています

米倉万有美さんの「田舎暮らし」
ナヌムの家から帰ってきた万有美さんが、あ〜んな事やこ〜んな事を始めました。
さあ大変! 山田はどうすれば良いのやら‥‥。

万有美さんの原稿が読めるのは「このサイトだけ!」‥‥のはず。みなさん、万有美さんに「原稿を書いて〜!」のリクエストをお寄せ下さい。

最後のあいさつ

2001年 5月28日(月)

 アンニョンハセヨ。
 蛙の子供たちがふ化し、田んぼから出て広い世界を冒険し始めましたが、みなさま いかがお過ごしでしょうか?

 みなさまご存知のように、私は3月22日付け(2001年)をもって「ナヌムの家」を辞めました。
 そのあいだ、多くの方々のお力添えの下に、1年間ナヌムでお手伝いする予定が早くも3年目になっていました。

 今回辞めました理由は、自分の学びに戻りたかったという理由からです。
 もともと、ハングルや焼き物の勉強のために留学していたのですが、焼き物の勉強中に、浅川巧(あさがわ=たくみ)さんや柳宗悦(やなぎ=そうえつ)先生の韓国・朝鮮に対する熱い思いや、(当時の日本帝国がアジアの国々を)植民地化し他国の方々に残酷な行為を繰り返したことを知り
「これは、ただ事ではない。人命にかかわることではないか。
 人はどうして生命の大切さを感じられなくなるのだろう。
 寂しいから? 辛いから? お金がほしいから?
 いやそれとも愛が欠如してしまい残虐行為を繰り返すのかなあ?」と、
「人」についてもう一度考えるようになりました。
 今は、戦争がどうして起こるのか?ハルモ二達はなぜ、あんなひどい目にあったのだろう?という素朴な疑問から始まり、本髄へと学びを深めているところです。

 短い間でしたが、喧嘩したり、分かち合ったり、わがままを言い合ったりと、たくさんの事をあるがままの声で語って下さったハルモ二たち。
 みんなの人気者ムン ハルモニは中国から64年ぶりに帰還されたばかりで、今までの思いが湧き出したのでしょう、突然、溢れる涙をこらえ切れず泣き出しました。
 こうしてナヌムを離れた今、ナヌムでの生活があまりにも強烈過ぎたのでしょう、まるで写真のネガのように、一枚いちまい、ハルモニたちとの思い出が回想します。
 ムン ハルモニの溢れる涙の理由は、この先 私に愛する人ができ、人の親となり、歳を重ねるごとに胸に深く刻まれて行くと思います。あまりにも、ムン ハルモニの涙は辛く悲しすぎました。経験の浅い私は何もしてあげられない。ごめんね、ハルモニ。
 病院で最後のハルモニの姿を見たときには回復不可能なことをわかっていながらも
「また、アイスクリームを買いに、日が落ちたらドライブしようね。」と言ったものの、歴史の生き証人は天に召されて行きました。

 思いつくままのお便りになってしまいました。
 これからも、私が肌で感じたことをたくさんの人々に語って行きたいと思っています。

 現在、ナヌムには私の引継ぎの適任者が見つからないでいます。
 院長へジンの辞任により内部が大きく変わりました。変わらないのはハルモニたちだけ。「大声でしゃべりながら、マイペースに生活をされている。」という話を聞き安心しています。

 院長へジンの事件については日本軍「慰安婦」歴史館後援会の方から伝えられている通りです。
 院長辞任前後には、ハルモニたちを含めスタッフ一同 強い衝撃を受け、回復をする時間もないまま実務に追われていました。
 事件に関しては間違った見解も多々あるようで、人の口には蓋はできないもの。いろいろな言葉が一人歩きしているようです。院長へジンの事件を通して見えてくる教訓は沢山あると思います。批判するだけではなく、ここからも何かを学び得たいと私自身は考えています。
 10年ものあいだ、ハルモニたちと共に暮らすということは容易なことではありません。そして、慰安婦のことを沢山の世界中の方々に語ってくれたへジンスニムに感謝の言葉と、これからも一生懸命生きていただきたいです。

 早急に、日本語のできるスタッフを雇用できるよう努力している最中ですので、今しばらく見守ってください。
 これからもハルモニたちのご健康と、歴史館が世界中の多くの方々に事実を伝える潤滑油になることを願わずにはいられません。

さんさんとした太陽の輝く田舎より 米倉万有美


(注:その1)
米倉さんの文章中の( )部分は、○野雪○さんとの打ち合せの元、山田が追加いたしました。
一部、句読点・行替えなど、追加・修正いたしました。ご了承下さい。

(注:その2)
この下の文章は、山田が万有美さんの文章を理解するために、「ナヌムの家」の空気を知っている○野雪○さんにお聞きしたことです。ご存じの方が多いとは思いますが、ご参考まで。


 ムン ハルモニというのは、書いてあるように、64年ぶりに中国から帰国され、ナヌムの家で他のおばあちゃんたちと暮らすようになったのですが、去年の10月に残念ながら亡くなってしまいました。
 なぜ、中国にいらっしゃったかというと、多くの元日本軍「慰安婦」がそうであったように、また多くの強制連行で強制労働させられていた人々がそうであったように、戦争に負けた日本が自分たちが逃げるために足手まといになるなどの理由でそういう人たちを殺したり、その土地において逃げてしまったりしていたそうです。そのため、いまだにアジア各国には置き去りにされ、そこに住まざるを得なかった人たちが数多くいるそうです。ムンハルモニも、ナヌムにいる中国から来たハルモニたちもそういう人たちの中のおひとりなのです。
 そして、「慰安婦」時代はもちろんのこと戦後も、貧しい生活や辛い生活を強いられた人生を送ってきた、強靭な精神力を持つ、個性が強い、ハルモニたちとの万有美さんのナヌムでの2年間の生活はただならぬものだったようです。

(ふむ、よく判りました。雪ちゃん、ありがとう。)

Hちゃんのナヌムの日記

2001年 8月18日(土)

 アンニョンハセヨ?
 米倉万有美です。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 覚えていらっしゃる方もいるかと思いますが、去年の8月といえば訪問者がとても多く「ナヌムの家」が一年で最も忙しい時でした。
 その時に修学旅行でナヌムを訪れ、帰国後お手紙をくれたHちゃん、高校3年生。彼女はその夏休み、1ヶ月ものあいだハルモニたちと共同生活をしながら、私の手伝いや歴史館の説明をしてくれました。日本からの訪問者に、一生懸命勉強した「慰安婦」の真実を伝えてくれました。ハングルのできない彼女でしたが、十分に韓国の方たちとコミュニケーションもとれハルモニたちとも仲良しでした。

 今回、そんなHちゃんが日本人スタッフのいないナヌムを1週間手伝いたいと言ってくれたのでお願いをしました。以下はHちゃんの「ナヌムの家」日記です。


《8月9日》韓国入国。
 今回初めてビートル船(JR九州の福岡ー釜山を2時間55分で結ぶ超高速旅客船)に乗っていきました。
 韓国訪問は今回で4回目ですが海外はなんか不安です。

《8月10日》1年ぶりに「ナヌムの家」にきました。
 ハルモニたちも覚えていてくださって嬉しかったです。パク=トゥリ ハルモニは「どこかで見たことある顔だなあ。」と言っていました。ナヌムのスタッフが変わってしまったことは私にとっても寂しいことでした。
 マユミさんが使っていた部屋にいったら赤唐辛子の部屋になっていました。行ってびっくり!! って感じでした。

《8月11日》「ナヌムの家」に来て初の朝。
 ぺ=チュンヒ ハルモニが起こしに来てくれました。立場が反対です。ごめんなさい。
 この日の夜、大学生が40人ぐらい来ていました。大学生を相手にぺ=チュンヒ ハルモニは夜中の2時まで歌ったり話をしていたそうです。ハルモには歌い出したら止まらなくなりますね。

《8月12日》フォトジャーナリストの韓智現さんがきました。
 夜遅くまで日本政府のこと、靖国神社参拝について歴史教科書について話しました。とてもパワーのある人だなあと思いました。

《8月13日》朝早く「ナヌムの家」を出て江華島に行きました。
 イ=オクソン ハルモニ、パク=オンリョン ハルモニ、キム=スンドク ハルモニ、ハン=ドスン ハルモニも一緒に。
 このキャンプは身寄りのない子どもたちのためにハルモニたちが半分主催者となって企画されたものでした。ハルモニたちはお寺に行きました。

《8月14日》私はお腹を壊してしまい調子が悪いです。
 でも、子ども達が心配していっぱい声をかけてくれたり「これを飲んで治して」と言ってジュースをくれたり。優しい子ばっかりでした。
 苦労してきた分だけ優しいのかもしれない。

《8月15日》今日は韓国が56年前に独立した日。
 パゴダ公園の前で472回目の水曜集会を行いました。若い人も多く集まり日本政府に対してデモを行いました。
 歴史教科書、靖国神社のことについて反対したいけれども自分の中で整理ができていなくて強く、意思表示ができなかったことが非常に残念でした。私のこれからの課題です。

 今、「ナヌムの家」にある大き目の石などにはぺ=チュンヒ ハルモニが絵を書いています。
 私の心に残る絵はチマチョゴリを着た人と、着物を着た日本人が手をつないでいる絵です。早くこのような日が来るためにも日本人はきちんと対応してゆかなければならないとおもいます。。

Hちゃんの「ナヌムの家」日記でした


(いつもの注)
Hちゃんの文章中の( )部分は、山田が追加いたしました。
一部、句読点・行替えなど、追加・修正いたしました。ご了承下さい。

(Hちゃん、ありがとう。)

Hちゃんのナヌム日記・その2

2001年 8月25日(土)

 ナヌムの家から第2弾、Hちゃんの日記が届きました。新鮮でいいなあ。本当に可愛い妹です。


《8月16日》
 久し振りに韓国で暑さを感じた。「夏だぁ〜!」と思えた。
 しかしハルモニたちにとっては夏は辛いみたいで、「雨降れー、雨降れー」と言っていた。
 去年出会った人と又、同じ場所で会えるのは嬉しいですね。

《8月17日》
 今日は、ボランティアに来ていた韓国の学生と1時間ほど話しました。彼女たちは学校で日本語を学んでいるらしいです。
 韓国では英語以外の言葉を学ぶ機会が与えられています。日本はほとんど英語だけ。他の国の言葉を学ぶ機会が増えてもいいのに。

 私の学校では高2の時、韓国語と英会話のどちらかを選択でき、私は韓国語をとりました。
 でも、全然話せず。ハルモニたちに勉強しなさいと毎日いわれます。

《8月18日》
 万有美さんと電話で話した。心細くて、今すぐにでもここに来てほしいと思った。
 言葉が分からないのは疲れてしまう。来年のことも考え、これから勉強して行きたい。

《8月19日》
 ハルモニたちに証言を聞くのは今しかない。でも、ハルモニの近くで生活していると聞くことはできない。
 ハルモニにいろいろ話したいと思う。でも、日本語で話し掛けるのは気が引ける。
 「ナヌムの家」を訪問される方達は、ナヌムの家に来てハルモニの証言を聞いて帰る。なんかとても寂しいです。せっかくここに来てハルモニと会うのなら、ゆっくりとした時間を過ごしてほしいと思う。
 ボランティアをして、改めてここで過ごす時間について考え直しました。

《8月20日》
 今日来られた中学校の先生が「日本人のスタッフがいて良かった」と言われた。
 やはり、ナヌムの家には日本人スタッフか日本語が分かる人がいなくてはいけないと思った。

《8月21日》
 今日は日本人のグループが来た。多い時は続けて来る。
 今日グループで来ていたガイドさんが、私の説明に付け加えて、詳しく説明してくださった。
 この時、私ももっともっと学ばなくてはいけないと思いました。

Hちゃんの「ナヌムの家」日記・2でした


(いつもの注)
一部、句読点・行替えなど、追加・修正いたしました。ご了承下さい。

(Hちゃん、楽しくがんばって。)