<山の出会い>
塩見小屋を作った斉藤岩男さん
11年前の塩見岳。長いながい下りの途中、小柄で人なつっこそうなおっさんと道連れになった。そのおっさんは女性登山者の案内役として来ていたのだが、「お客様」をほったらかして、私らについて歩く始末であった。それがなんと、塩見岳頂上下に塩見小屋を最初に建てた、斉藤岩男さんだったのである。
斉藤さんはたったひとり、想像を絶する苦闘の末小屋を完成させたのだ。例えば、材木はすべて現地調達、すぐ近くに適当な材木があったわけではない。彼が伐り出し、自分の肩でかつぎ上げたものなのである。その小屋は今も使われているはずで、私らもその片隅に泊まった。
私らが塩見に登った当時、三伏峠まで林道が開かれようとしていて「役所による自然破壊だあ」と思ったものだが、長野県大鹿村の登山口から塩見岳まではそうとうな距離で、およそ10時間の苦行を強いられた。
斉藤さんの著書「南アルプスの山旅」によれば、塩見小屋は昭和34〜35年の2年がかりで完成させたという。『塩見岳に入るには、一番最寄の三伏峠からでも往復一日はかかり、(中略)到底こんな場所に山小屋を建てるなんて、考えられなかったのだろう』とあり、斉藤さんは、そんな場所に小屋造りを決意したのである。まさに男のロマン、青春のすべてを賭けたのであった。
斉藤さんは、1934年乗鞍岳山麓に生まれた。様々な職業を経て塩見岳に小屋を建設、その後、小屋は地元長谷村に譲渡、乗鞍岳に「山荘タンネ」を開設した。上高地の登山基地である沢渡のドライブイン「さとう」のKさんによれば、彼は松本市に在住し健在だとのことである。 2002,11,2
最新版 加賀白山 02,9,28登頂
茨城県生まれの人間が白山に登るのは容易でないが、今の住家は上越市だ。となると比較的身近な山と言える。なんたって登山は、地の利がものをいう。遠いツアーなどに参加すれば、天候なんてかまってはいられない。運がよければ快晴なんてこともあろうが、悪ければ一日雨、なんてことになりかねない。
さて白山、上越市からは、岐阜県白川村平瀬温泉から入山することになる。反対側の白峰からのコースが一般的で、登りも楽なようだが、上越からだと遠回りになる。
平瀬温泉の南側にある、大白川林道(舗装道路)を進むこと約30分で、終点の白水湖に着く。ここは温泉もあるダムサイト、広い駐車場がいくつも控えている。その少し手前の、大きな案内板の右を入るとキャンプ場まである。
登り口は、最初の駐車場の北側にある。そこには水場(水道)もあるので、タンクを満たしたら歩行開始だ。登山道は丸太の階段が多く、よく整備されている。白峰からだと全線コンクリートで固められた石畳らしいが、こっちは柔らかな土なので、頭には響かない。途中、ブナの原生林からダケカンバに変り、グングン高度をかせぐ。避難小屋を過ぎるあたりからは、二つ峰の頂上が見えてくる。
やがて広々した草地の室堂平に至る。もう頂上は手の中にあるという感じだ。室堂平には何棟も連なった小屋があり、小屋前広場は立派なこしかけや卓を備えた休憩地である。すぐ横に白山神社があって、その脇をまっすぐ頂上まで石畳道路が延びている。頂上まで40分というところか。
白山頂上は、旧噴火口(翠ケ池)を中心に三つの峰がある。メーンは御前峰(ごぜんがみね=2,702m))で、隣が剣ケ峰、北に大汝峰だ。眺望は、この近辺の峰が主で、立山のように、圧倒される北アルプスの峰々を期待するのは無理。真下の室堂平の眺めはなかなかである。
コースタイムは、途中での朝食も入れて、約5時間であった。
2002,10,26
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ふるさとの山、筑波山
日本百名山(深田久弥著)の一節に『人はたいていふるさとの山を持っている・・・』(白山の項)とある。
となると、私の場合は筑波山(876m)である。私の生まれ在所は茨城県の片田舎。私の家は戦後分家し、山林を開墾して畑をつくり農家として出発した。新しく出来た畑の隅に林の切れ間があって、遠くに青い山が見えた。開墾で忙しい義父がそれを指して「あれが筑波山だ」と教えてくれた。
筑波山は、Wを逆さにしたような均整のとれた美しい形をしていて、逆Wの二つの峰は、男体(なんたい)山と女体(にょたい)山である。
筑波山が見える場所は限られていて、どこからでも見えるというわけではなかった。だが、高い木に登ったときとか、林の切れ間とか、また学校の帰りに違う道を通ったりすると、突然、遠くに見えることがあった。筑波山は、いつ見ても澄んだ青い色をしていた。
筑波山に初めて登ったのは、小学校の遠足のときであった。近くで見た筑波山は、ただの高い山に過ぎず、形も全然ちがっていた。しかし、頂上から見た関東平野は、まさに絶景であった。
当時の私は、山(林)の中を駆け巡る毎日であった。住家が起伏のある山林に囲まれているので、それこそ野山が私の遊び場だったのだ。私は、ものごろついたら、「アウトドア」をしていたのである。 2002,10,23
筑波山から剣岳まで
19sab