Mt.Hiko
英彦山の表紙


神幸祭


光明八幡神社/我鹿八幡神社
(こうみょうはちまんじんじゃ/あかはちまんじんじゃ)

福岡県田川郡赤村

神幸祭の由来

 光明八幡神社の由来は、清和天皇貞観15年(875年)に御許山の山頂に光り輝く神霊が降臨し、村民たちが産霊として崇めたのに始まる。寛永七年(1629年)仲山宮より分かれ、現在の神社として存続している。光明八幡神幸祭は、産霊の神に五穀豊穣を祈願するための祭。区長、宮司が中心となり、当番にあたる隣組が祭を取り仕切ることになっている。行事としては、御輿(山笠)が区内を巡回し、夜には神楽が行われる。
福岡県民族芸能ライブラリーのホームページより   http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/calender/index.asp 

 この神幸祭は、約200年前から行われています。
 神幸とは、神を迎え、神にお供えをする行列ということで、日本では神は天にいて、里人が神に祈り感謝するときに里に降りてくると思われていました。
 神幸祭は、この里に降りてこられた神を迎え、村を案内して、里を見てもらう行事です。この祭りに里の祈りを見ることができます。
 毎年、5月4日、5日に行われ、4日の午後二台のヤマ(山車)が氏神の光明八幡神社にみこしを迎えに行きます。
 みこしは、お旅所で一泊し、氏子の人たちは、この里に迎えた神と一夜を過ごします。この時のお供えの大盛り飯、山の幸、海の幸は実に豪壮です。夜には神楽が奉納され、翌日(5日)、神はヤマのお供で神社へと帰っていきます。
 ヤマの中央に高い柱が二本あり、大柱には、五穀豊穣(ごこくほうじょう)とかかれた箱玉串(たまぐし)がつけられていて、その上に美しい色彩の紙で飾られた輪が三つつけられています。もう一本の柱に扇形の箱玉串がつけられ、お多福の絵がかかれています。柱の周りには、たくさんの飾り花を付けた竹が下がり、ヤマが動くとき、初夏の風に吹かれ、美しくゆれます。秋の稲穂の実りをあらわすものです。
 また、外側に「奉寄進」とかかれた幟(のぼり)が無数にたてられています。これは上赤から嫁いだ人の寄進幟旗で、多幸をふるさとの神に祈る夫婦の祈りの寄進物です。
   福岡8村・赤村観光案内のホームページより http://www.fukuoka8vill.ne.jp/akamura/kanko/

 見物記

 赤村の上赤地区にある光明八幡神社と下赤地区にある我鹿八幡神社の神幸祭は5月4日〜5日にかけて行われる。2つに神社は共に近くにあって、光明八幡神社は2台、我鹿八幡神社には1台の山車が出されるようだ。
 光明八幡神社の山車は4日の午後1時に上赤分校の校庭から出発し、数百メートル離れた神社まで引かれる。
 我鹿八幡神社の山車は同じく4日の午後4時に今川公園から出発して神社(200メートルぐらいはなれているだろうか)に向かう。
 台数こそ少ないものの、この2つの神社の山車は見事である。

  

 車輪は大木をそのまま使ったようなものだし、山車に立てられた柱はやたらと高い。柱が高いので、山車の内部には重心を低く保つために大きな石が積まれていた。学校の建物と比較しても、その大きさが分かる。

  

 山車内部はシンプルだが、歴史の重みが感じられる。山車には稚児が先頭に乗り、舞いながら神社に向かう。2台の山車が田んぼの中の道を進むさまは、とてもいい感じだった・・・が。
 如何せん、この重たい山車にしては引き手がちょっと少ないようだった。ちょっとした坂になると、なかなか引っ張りきれない。写真を撮っていた私も、思わず引き手に加わってしまったほどだった。日本全体が少子化で若者不足に悩んでいるわけだが、それはこの神社にとっても同じようだ。上赤分校は1年生3人、2年生2人の合計5人(3年生以上は本校に通うらしい)の学校だそうで、数年後は引き手がもっと少すくなるかもしれない。
 我鹿八幡神社のほうでは、午後4時に山車が今川公園を出発し、神社まで引かれる。今年は夕方6時から今川公園で山車復興10周年の記念イベントが開かれる予定らしい。餅まきや神楽、バンド演奏、そして福引き大会という内容だと言う。福引き大会の賞品はカラーテレビをはじめ、豪華なものが多数用意されてあるらしいが、何故かネコ(作業用1輪車)が3台あった。 

 


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