平成14年3月19日 渉成園 写真展示室へようこそ
・浄土真宗大谷派本山 東本願寺別邸 (別名・枳殻邸)
渉成園は、東山を借景とする池泉舟遊式の庭園です。
もともと枳殻(からたち)が植えてあったために枳殻邸(きこくてい)と呼ばれることが多いのです。
今でも西門を入ってすぐ左手や南塀側に若干枳殻の茂みが残っています。
この地は、江戸初期の1641年、本願寺13世宣如上人が3代将軍家光から与えられ、1653年に、石川丈山(詩仙堂で有名)に建物と庭園を造らせ、隠退所としたものです。丈山は伏見桃山から樹石を移し、高瀬川の水を引いて作庭しました。
その後、幕末に2度火災に遭い、当初の建物は全て失ってしまいましたが、現在の建物のうち、楼門形の傍花閣(ぼうかかく)や池に架かる橋廊の回棹廊(かいとうろう)は、中国を愛した丈山の作風をとどめています。
印月池(いんげつち)と呼ばれる池には、いくつかの島があり、その1つには源融(みなもとのとおる)が塩を焼いた塩釜の跡と伝えられる立派な石造りの洞穴があり、さらにその1つには源融の九重の層塔の供養塔があります。
平安時代の面影をとどめた庭園には、梅・桜・楓・藤などが植えられ、四季いつ訪れても美しく、京都の名園の1つと数えられていました。しかし、今日は周囲のビルの高さにその景観を失いかけています。
もったいないことですね。
東本願寺 別邸 渉成園しょうせいえん
下部に1枚ずつの写真があります。
東本願寺から東へ徒歩7分の所にある渉成園は門首の隠居所や避難所として用いられた東本願寺の別邸です。平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。その後、寛永18年(1641)徳川家光によってその遺蹟の一部を含む現在の地が寄進されました。江戸期に二度の火災によって建物はすべて類焼し、現在のものは明治初期に復興されたものです。なお、昭和11年には国の名勝に指定されました。
渉成園は当時、枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれていました。平安時代の優雅さをしのばせる書院式回遊庭園は石川丈山の作庭で、印月池を中心に、漱枕居・縮遠亭などの茶室や書院を配しています。桜・楓・松・藤などの四季折々の花も美しく、頼山陽はこの庭を愛でて十三景を撰んだということです。市中とは思えないほどの静けさの中にたたずんでいます。
また、園内の茶室や大書院などの施設を会食や茶会など様々な催しに利用(有料)することができます。
東本願寺 別邸 渉成園の黒い西門
印月池(いんげつち)と呼ばれる池には鴨が羽を休めています。
閭風亭 ろうふうてい
ぼけ の花 さくら
さくら さくら
桜 サクラ
さくら
傍花閣
(ぼうかかく)
園林堂 おんりんどう
臨池亭 りんちてい
臨池亭・滴翠軒 りんちてい・てきすいけん
臨池亭・滴翠軒 りんちてい・てきすいけん
春の光
岩とみずやり用のかわら三枚の穴
印月池 いんげつち
回棹廊 かいとうろう
回棹廊 かいとうろう
回棹廊 かいとうろう
回棹廊 かいとうろう
かめ 亀 かも 鴨 寝ています。
井戸
さくら
さくら
東本願寺 御影堂門
東本願寺 御影堂門
東本願寺 御影堂門
東本願寺 御影堂門
東本願寺 御影堂門
東本願寺 御影堂
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2002年03月21日(木) 14時37分36秒