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小雨が降っている。
よく、わからないのだけれど、小雨の日は、いつもと何かが違う。
何かが溶け出しそうになる。何だろう・・・? 「悪・・・」、悪って、何だろう? ほら、どうでもいいことが気になり出す。 手近にある辞書を引いてみた。「悪いこと。よくないこと。」なんだ、つまんない・・・。「好ましくないこと。」とも書いてある。じゃあ、好ましいとは何だ。「そのような・状態を喜んで受け入れることができる様子だ。」とある。なるほど・・・。ちなみに「悪い」も引いてみる。「道徳的に責められる様子だ」とある。ふむふむ、「道徳」って何かな?「社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行為の基準。」で「秩序」って?「物事が正しい状態を保つために守るべき、一定の・順序(きまり)。」じゃあ、「正しい」って?「道理・法に合っている様子だ」ん〜、「道理」って?「世間で正しいと認めた、行いの筋道。」 ますます、何が何だかわからなくなる。それだけ、曖昧なものなのだろう。そして、そのときの状態によって、変化していくものなのだろう。人間がたくさんの人数で生活していく知恵なのかもしれない。「人を殺す」という究極の悪に見えることすら、死刑であれば許される。被害者の家族は、当然のように要求する。自殺は悪いこととされる。でも、江戸時代の武士の切腹は、すばらしいものとされた。 「悪」、それは変化するもの。もっと知りたいのだけれど、いま、わかるのは、そのくらいだ(笑)。 |
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2001年03月29日
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掲示板「ようやく落ち着いたように思います」とカキコした後、すぐに落ち着かない日々を過ごしていました(笑)。 私には、落ち着くという言葉が似合わないのかもしれません。 ですが、本来、心というものは、落ち着くものではないのでしょう。 「無」の境地といいますが、あれはいったいどういう境地のことをいうのでしょう。興味だけはあります。そういうものを体得してみたいと思うのです。落ち着くものではない心を落ち着いた状態にするのでしょうか?そんなこと、私には到底できそうにありません。 客観的に、ありのままに自らの心を見つめる目を持つということかもしれないと考えることがあります。風のように、水のように、火のように動く心を否定することなく、ただ見つめる・・・。 幼い頃、どうも出家欲というのがありました。尼ではなく、坊主です。坊主になりたかったのです。おかしなことに修行というものをしてみたかったのです。・・・とはいえ、一度もやったことはありませんが(笑)。 山に登りだしたのも、それに近いものがあるかもしれません。 ただ、最近、こうして生きていることが、一番の修行ではないかと思うようになりました。ひとつひとつに心を向かわすことが・・・。こうして、私の出家欲もおさまりつつあります(笑)。 |
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2001年03月25日
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やんなきゃ、いけない作業があるからパソコンの前に座っているのだけど、どうも進まない。こういうときって、気持ちがイライラ・・・じゃなくって、気持ちがうろうろする。逃避したい・・・でも逃避しちゃいけない・・・。こんなときは、いっそのこと逃避してしまった方が、進むのかもしれない。私の場合、時間や場所を拘束される仕事じゃないのだから。 気持ちが落ち着かないとき、無理に落ち着けようたって、できないよね。あ〜、もうやめた!うん、そうしよう。 あ〜、でも食事をつくること考えると、な〜んか、うっとうしい。ぐ〜たらしたい。 な〜んか、いいことを考えよう。そうしたら、いつの間にか「やりたい!」モードになるはず。 そうそう、広報委員会でつくっている広報誌が福岡県のPTA新聞コンクールで最優秀の毎日新聞社賞を取ったんだ。397点の中から選ばれたんだ。うん、ちょっとうれしい。でも、うちの小学校は以前にも賞を取っているから、委員長としては、全国の賞を取りたいらしい。昨年、近くの小学校が全国の「文部科学大臣賞」を取って、区役所の前に立て看がでていたのだけど、どうやら、それが欲しいらしい。でも、正直言って、あの広報誌で、それは無理だと思う。 でも、夢があるって、いいよね。「ふふふ、ねえ、取れたらいいじゃない。」と言う委員長、好きなんだな〜。
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