日々雑感 

日々の思いを花の写真などと共ににつづるオッサンの雑記帳
テーマはその日の風まかせ

2004年1月からの「日々雑感」は、ホームページの歩みに掲載。

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3.11    情報について
 
 情報の収集について、いい文章に出合った。
「情報を自分という器に注いで注いで、そのほとんどは流れてしまうけどれど、根気良く注ぎ続けていくうちに微量ずつたまっていき、長い時間を経て器がいっぱいになって、いざという時に、チョンと刺激すると、表面張力がはじけるようにワーッとあふれ出す」。石黒由美子著「奇跡の夢ノート」の一文である。
 なるほど、納得である。「微量ずつたまっていき」の言葉がいい。「ワーッとあふれ出す」なんてことは無いにしても何らかの役に立つだろう。やっぱり、せっせと新聞の切り抜きをしよう。ほとんどが切り抜いたことまで忘れてしまっているが、切り抜いておけばいつかはもう一度読むことが出来るだろう。
 そういえば、数日前に切り抜いた朝刊の「編集手帳」の一文が面白かった。「雨は降り出す屋根の薪ャ濡れる背中で餓鬼ャ泣く飯ャ焦げる」。落語の一節を歌にしたような古い俗謡だそうだ。どこかで聞いたことあったが、文字で見るのは初めてだった。管政権の支持率について書いた文章の終節である。良くぞ、四面楚歌の状況を表したものだと感心した。
 小沢派若手議員の造反。外相が辞任したと思ったら、衆議院土肥議員の辞任が続いた。この人は管総理の側近の一人だと聞いて呆れた。細川大臣の答弁はしどろもどろだ。不信感を募らせる問題が次から次へと出て来るものだ。国会の情報だけは、目を覆い耳をふさいでいた方が心身の健康に良さそうだ。背中の餓鬼も泣いているだろうが、国民はもっと泣きたい。

 写真:クリスマスローズ。下向きに咲いているのが、何とも愛らしい。


3.9     雨のしずく
 
 雨戸を開けると小雨が降っている
 細かい雨粒は絶え間なく落ちている
 柿の木の小枝に雨のしずくがキラキラと光っている
 きれいだなぁ〜と暫く眺めていた
 そのしずくがポタリと落ちた
 一つ落ちると、上の枝からも下の枝からも続いて落ちた
 ポタリ、 ポタリ、ポタリ、ポタリ……
 次はどこの小枝から落ちるのだろう?
 そう思って見ていると、すっかり楽しくなってきた
 冷たい雨だが、柿の木にとっては恵みの雨なのだろう
 柿の木が身体を震わせて喜んでいるように見える
 タクトを振って音楽を奏でている
 ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ……
 あぁ〜〜いい時間だ


 写真:ネコヤナギ。赤い新芽が美しい。


3.7     再会
  
 この数日、いや数週間と言ってもいい。片づけものと掃除に明け暮れている。あれもこれもやることがある癖に、どうした訳か片づけをしたくなる。それは本箱であったり、過去の資料であったり、新聞の切り抜きであったり、物置だったりする。同時に家事全般をよくこなした。自分でも良くやったと褒めてあげたいほどだ。したがって、夕方の褒美の晩酌の時間が早くなる。そんな毎日が続いた。
 なぜ取り憑かれたように片づけ魔と化したのだろう? じっくりと考えてみると、思い当たることがある。それは、続けて来たホームページの更新が中断していることへの逃避である。毎日の更新を目指していたものが、飛び飛びになり、一カ月の終わりにバタバタと更新する状態に陥った。一度遠ざかってしまうとなかなか元のリズムには戻れないものだ。
 いっそ辞めてしまおうかとも考えた。書きたいことがあれば、もう一つのブログに2回に分けて書けばいいじゃないか、とも思った。折角続けて来たんだからもう少し続けたらどうだ。もう一人の自分が囁いている。辞めるのか、続けるのか、決断できずにズルズルと空白の日が延びてしまった。その心の葛藤を振り払うように片づけをしていたようだ。「ブログは更新しなくても、これだけのことはした。結構頑張ったね」と、自分への励ましを持ち続けていたかったのだろう。
 さて、どうしたいのか自分でも分からない。また惰性でぼちぼちと再開しようかと思う。
 最新の写真を撮ろうとしたら、カメラの電池が切れていた。決意も敢え無く挫折。数日前の花の写真を引っ張り出すしかない。何でもかんでも続けることには試練が伴う。
 一人の人の顔が思い浮かぶ。毎日連続で、茅ケ崎の写真を撮り続けているカメラマンの高橋さんだ。その偉大さは言葉には表せない。天候が良くなったら、冬の名残りの鮮明な富士山を撮りに行こう。その際に高橋さんと朝食を食べよう。会って元気を貰わないと自分に喝が入らない。

 写真:ジンチョウゲ。冷たい雨の中、花が開いている。もうすぐ春。

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