Hideo NOMO Hideo NOMO #10
野茂英雄
Los Angeles DODGERS
1995年2月ドラフト・ドジャースと契約
1968年8月31日生 右投右打 188センチ 95キロ 大阪府出身
【タイトル】新人王(1995)、最多奪三振(1995,2001)

幼き日に江夏豊に憧れた少年。もっと速い球を投げたいと考えた英雄少年があみだしたのが体をひねって投げる投法、つまり後にトルネード投法と名付けられた投法だった。この特異なピッチングフォームにより、高校時代には完全試合も達成した。社会人時代には全日本メンバーにも選出され、ソウルオリンピックにも出場した。オリンピックなどで世界の野球を肌で感じる素晴らしい経験をした。日本のドラフト会議で前代未聞の8球団が1位指名を行い、クジの結果、近鉄バファローズが交渉権を手にした

日本人2人目のメジャーリーガーとして、1995年のストライキ明けのシーズンに参加。まさに全米にトルネード旋風が巻き起こり、その年のオールスターゲームのスターティングピッチャーに抜擢され、2イニングを無失点に抑えた。そして、ナショナル・リーグの新人王、奪三振王のタイトルも受賞した。野茂にとっては監督のトミー・ラソーダや捕手のマイク・ピアザなどとの出会いも大きなプラスになった。

翌1996年にはノーヒッターを達成。さらにドジャース入団以来3年連続200奪三振も記録し、アジア人初のホームランも打った。順調だったメジャー生活も1997年オフには右肘を手術。その影響がピッチングにわずかな狂いが生じ、調子が良くない。結局、1998年途中でドジャースを退団し、メッツへ移籍。ここでもなかなか勝ち星に恵まれず、最後は自ら先発を辞退し、中継ぎとして投げた。
2000年シーズンを前にFAになり、他球団と交渉。いくつかの噂は流れたが、前ブリュワーズ監督を務め、2000年からタイガースの監督を務めることになったフィル・ガーナーに請われる形でタイガースと契約。伝統あるタイガースは、それまでのタイガースタジアムから新球場コメリカパークに移ることになっており、あらゆる意味で再スタートを切りたいタイガースにとって必要不可欠の選手といえた。しかし、投打がかみ合わず8勝12敗でシーズンを終えた。

タイガースからは再契約の意志がなく、いくつかの球団での野茂争奪戦が始まり、選んだチームがレッドソックスだった。野茂本人も開幕からワールドシリーズを意識できるとご満悦の様子だった。ノーヒッターで公式戦初登板を飾った。さらに5月25日にもブルージェイズ相手に1安打完封勝利を演じた。1シーズンの中でノーヒッターと1安打完封の両方を達成したのは、1997年のケビン・ブラウン(当時マーリンズ)以来の快挙である。

ワールドシリーズへの夢は、チームに怪我人が続出し、オールスター後に消えてしまった。シーズン途中にジミー・ウイリアムス監督が解任されるなどチーム状態も決して良くはなかった。ポストシーズンとは縁なくシーズンを終えた野茂はFAとなり、他球団と交渉開始。結果的に古巣ドジャースと2年契約を結んだ。2002年8月31日に34歳となる野茂、決して老け込む歳ではない。