その3「岩壁の死闘」

21.1999.07.04
「今年最初の沢登り 勘七の沢」
:大江(徳)(睦).菊池.栃木.桜井.神崎.原田
上の廊下を予定している私にとっては絶対参加の沢登りであった。 実は、このころから膝が痛くなりだしていた。
*7/10の日和田山岩トレーニングは雨のため残念ながら中止。

22.1999.07.16−19 「行きたかった奥穂−西穂高岳縦走」
穂高山荘で1泊したものの、雨の為ジャンダルム通過を断念し、下山。乗鞍高原温泉で1泊し、周辺を散策した。

奥穂高山荘にて、左より桜井、神崎、大江(睦)、白石、原田、栃木(節)、遠藤、栃木(敬)
   
23.1999.07.23−25
「行けるとは思ってみなかった死闘北岳バットレス(夜間登攀)」
大江(徳)(睦)、原田
大江さんから、君だったら簡単だよ、バットレスに行こうと誘われた。
菊池さんからは、あんな所、大したところではないと言われ、山渓のカラーガイドで見た4尾根の写真の印象と違うなと思ったものの、遂、信じてしまい行くことになった。
昼前から、クライミング開始。取り付きで難ルートを選択してしまい、3 ピッチ目にはかなりヤバイトラバース。これは、話と違うと思ったものの、もうどうしようもない。
ハーケンの抜き方、フレンズの取り方等さっき教えてもらったことを5分後には実行しなければならず、身が引き締まった。

左より、原田、大江(睦)

左より、原田、大江(徳)
この後も、前の吉尾さんたちの大パーティの後ろにつき、よる11時まで登攀。
4・5級の壁をヘッドランプ頼りに必死で登った。マッチ箱のコルを夜10時くらいに懸垂下降した。
下は真っ暗で何も見えず。夜11頃[ビレー解除、ロープ一杯]と叫んでいると遭難した感じですよねと、大江睦子さんと笑いながら話す。
睦子さんは星がきれいよねと、余裕なのか、はたまた…。とにかく、必死でホールドを探し登った。
11時頂上直下に到着。当然ビバーグ。吉尾さんたちとしばらく宴会後、仮眠するが、寒さで寝られず(大江さんによく寝ていたと言われてしまった)
いかなる時も冷静でなければならないという姿勢の大江さんを見てい安心感が持てた。
そして、この経験が槍ヶ岳北鎌尾根に十分生かされることになるとは、この時は全く思わなかった。その意味で、大江さんに感謝したい。

24.1999.07.31−08.01
「白馬栂池自然園と八方大池ハイキング」
:原田+友人3人

ハイキングもたまには、いいですね。原田
             
                  
   
25.1999.08.02−6
「死闘北岳バットレスを越えた槍ヶ岳北鎌尾根」
:菊池、本間、原田
ハイキングの翌日が、北鎌の初日であった。
穂高の駅で朝二人を待ち、タクシーで中房温泉まで行き、いよいよ11:00に登頂開始。
小屋泊り(結果的には小屋は一泊であった)であったので、そんなに重くない荷物で4時に到着。本間さんと燕山までピストン。本間さんは、風邪と疲労で、完全にばててしまった。
明日からが本当に心配。
そして、小屋の主人のホルンを聞きながら、快適な燕山荘での幸せな夜を過ごす。

いざ出発前燕山荘にて左より本間.菊池.原田
朝5時に出発。蝶ヶ岳を越え、貧乏沢を下る。そして、天井沢を少し上流に遡行し、いよいよ北鎌尾根に向けて、沢をつめる。水が意外にも上部まで合った。上部の詰めは、いつものことながら、実にたいへんである。尾根にやっとの思いで上がったところ、そこに小さなテント場があり。しかし2〜3人用のテントは張れないので、ザイルを幾重に渡し、オーバーハングさせながら張る。水はたっぷりあった。翌日は、間違いなく槍登頂後に、小屋に泊まってと思ったのでふんだんに使った。
翌日も朝5時に出発。独標を越えようとした頃から、コースがわからなくなる。昨年の地震で崩壊していた。
リード菊池、セカンド本間、ラスト原田で、20mのザイル2本でマルチピッチで登る。
トラバースが、特に危険で緊張の連続である。読んだガイドブックとは、ぜんぜん違う。
結局、夕方6時にビバーグ。畳一帖のスペースにテントを半分張り、ザイルで体を固定し寝る。
本間さんは、ビバーグに憧れていたそうで[岩棚での方が良かった] とのんきなことを言っている。もう水は、予備の400ccしかない。  

独標手前、このころは道はよかった

一番手前が北鎌沢のコル、ここにテントをかろうじて張る
私は水がないと食べられないほうで、結局黒飴2個が夕食となった。
朝はカロリーメイトを2個食べ、6時出発。
途中、実にやばい個所があった。トップの菊池さんが、岩につけられたトラバースルートを進む。
そこからほぼ90度に左に曲がり4m程下降し、さらにU字型の小さな谷をトラバースしていた。
そこで、私が呼ばれた。確保しているザイルを固定し、10m程進むと菊池さんが谷の中央にいる。何処がいいか、そこから見るように指示がある。どう考えても、谷の中央を登るしかない。しかし、今まで以上にというか、ほとんど浮き石だらけである。しかも、大きな石まで浮いている。が、そこしか行けるルートがない。私は元の位置に戻る。菊池さんは、後で聞いたところ、この浮き石だらけのルートを、どう登るかかなりの時間をかけ、イメージを作っていたそうである。 しばらくすると、地響きのような落盤のようなものすごい音がこだまする。
本間さんが菊池さんの[落]という声を勘違いして、ロープを手繰り寄せようとした。
菊池さんが手と脚を置いた岩が、全て崩壊したそうで、その直前に次の岩に移るという神業で、15m登り切ったということであった。
セカンドの本間さんが、フィックスロープで登り始めた。しばらくすると、また崩壊の音。[あーー]という叫び声まで、聞こえた。こちらからは、ブラインドコーナーで、全く見えない。菊池さんと本間さんが話している。
やっと、本間さんが菊池さんの場所についたようである。[登っていいよ]との合図でスタート。トラバースは、ほとんどランニングヒレーが取れる個所がないので、恐い。U字の谷の中央に、取り付いた。二人の通ったときの崩落で、どの岩に足を、手を置いても崩れそうである。登れない。
菊池さんも本間さんも、ここを登ったと思うと、とても信じがたい。
仕方なく、反対の壁を見ると、少しオーバーハングしているものの安定していた。
[ひっぱって!]と叫びながら、最後はロープを掴み、壁を登る。
登り切った二人は、私が装備が一番重いので上がってくるのは無理だ、と思っていたそうである。ここからもガレ場の急傾斜で大変であった。
やっとつくと、残置ハーケンで確保してくれた菊池さんが、[荷物は、何か捨てるでしょうと]と私に聞く。とにかく、ここが一番、しんどかった。
多少、雲があったものの、やはり夏である。しかし、水は昨日の夕方5時の時点で500cc、朝少し飲んだので、昼を回る頃には50ccしかなかった。ここで、最後の残った水を、ペットボトルの蓋で回し飲みするが、喉まで到達しない。水不足で、頭の体もうまく機能しない。
少しでも危ないところは、ザイルを出した。

北鎌平の手前、水がほしかったが! 元気な本間.菊池 独標(右)が小さく見える
今日、登れなかったら、救援のへりを出しもらうしかない。しかし、この三人は、それでも、パニックに陥らず、余裕とまではいかないが、不 思議なことに、とにかく落ち着いていた。
しかも、誰も文句を言う者ももなく。頂上直下の北鎌平に着いたのは、確か3時を廻っていた。ここから見上げる槍は、自らが荘厳な槍であることを誇示するがごとく、聳え立つ。.
振り返れば、恐竜の背骨のような北鎌尾根が延々と続く様が見える。最初あれだけ大きく見えていた独標が、今は小さく見える。
壁をどう登るか、最初不安であったが、菊池さんの3級くらいですよ、というとうり、近づいてみると、意外に楽だった。山頂直下のチムニーで、菊池さんが[この登り、十分堪能してください]と言うと、私は[もう十分に堪能してます]と応えた。本当だ!尾根で二泊すれば十分である。
頂上はあっけなく着いてしまった。なんで、こんな所に人がと、思ったところが頂上であった。
頂上では、三人で抱きあったが、私は北鎌尾根から山頂に立てたことではなく [三人、生きてて良かった]と言いながら、胸が熱くなっていた。

頂上を目指す原田、下に見えるのは東鎌尾根
(大槍ヒュッテも見える)
       

歓喜の頂上
言うまでもなく、肩の小屋で水をたらふく飲み、小屋泊りの予定であったが、夜遅くまで祝杯をあげるべく、食料も合ったので、またテントにした。
翌日、会社出勤の日だったので、下山しながら、携帯電話で何回も連絡する羽目になった。
新穂高から、市川に帰って来れたのはその日の夜11であった。
北岳バットレス夜間登攀とビバーグの経験は、この山行に、十分生かされていた。
そしてこの北鎌尾根山行の興奮は、なかなか冷めなかった。

二週間後に上の廊下の帰りに登った水晶岳から燕、大天井、北鎌尾根、槍を見て感無量だった

原田の部屋その3終わり
●●● 目次に戻る ●●●
●●● その4「ああっ憧れの上の廊下」に続く●●●