その4「ああっ憧れの上の廊下」
26.
1999.08.13−17
「こんなに早く実現するとは黒部川上の廊下沢登り」
:菊池、原田
朝6時に、浦安の菊池さんをピックアップし、所々激しいし雨の高速を 越え、晴天になっていた扇沢に着いたのは、10時前であった。
トロリーバスに乗り、黒四ダムに着き、朝ご飯兼昼食をとる。
ここで、会社の現場と長電話。ちょくちょく休暇を取るのだから、仕方のないこ とではあるが。
黒四ダムにて
平の渡し 船着き場
11時半に出発、雨で崩壊した道に思いのほか時間を取られ、2時の平の渡しの出港時間に間に合わなくなりそうだったので、後数分のところで、走った。
いや、走りながら[おおい!!おい!!間ってくれ!!!]と、叫び続けた。
長い階段の船着き場を降りると、人っ子一人いない。おかしいと、思うが船はある。
その内、菊池さん到着。菊池さんに上のほうに何か書いてありませんかと、尋ねると(ここで待つようにと)なんだ、走って損した。
しばらく休んでいると、平の小屋の主人が現れ、いざ出発。数分で、崩壊したような対岸につき、再び奥黒部ヒュッテを目指す。ここからは、さらにアップダウンが激しく。
梯子などを、20m降りてすぐ20m登るような 繰り返し。
4時に小屋に到着。気持ちのよい前庭でばし、乾杯。
翌21日は、朝5時過ぎの出発。先行パーティーが、少し前に出発していった。小屋の前の東沢の徒渉で、いきなり流された。川幅は数メーターしかなく、浅いのであるが、流速が速かった。
菊池さんが堪えきれず、倒れた。そして、すぐ岩にしがみついた。そのすぐ後、私も同様に倒れ、流された。まだ、頭も働かない早朝の厳しい洗礼であった。
結局、上の廊下で流されたのは、この一回であった。水量、水深、流速、水底の状態等の総合判断によって徒渉する場所を、決定しなければならないが、この一回目から、学習を重ね、遡行後半には、かなり慣れてきた。
下の黒ビンガ・上の黒ビンガを、越えていくが、一番水量のない時期 を選んだこともあって、順調だ。結局、泳いだのは一個所だけだった。
晴天ではあったが、やはり黒部の水である。冷―たい!!!たまんな−い!
水量はあまりなかったとは言えさすが上の廊下
下の黒ビンガにて、菊池
上の黒ビンガにて、両側の壁から滝のように水が落ちてくる、きれいだ!
1日目は予定以上に進み、赤牛沢の出合いに、テントを張った。先行パーティーが既に、ハーフのテントを張ろうとしていたので、もう少し上にと、思っていたが、ここにどうぞ、という声でその横に張った。
先ほどの挨拶で、リーダーは、YCCの長島さん(チョモランマ登山隊の バックアップや、本人もローツエ等を登ったクライマー)ということが、わかった。
菊池さんは、数多くの共通のメール友達がいるようで、その一人だそうだ。
その世界では、かなり有名で、しかも登山者としては、名を馳 せているとのこと。
島さんが少し前に、テント場付近を40mくらい全速力で、駆け抜けていったが、映画に見たターザン、その者であった。それ以来、長島さんのことを、ターザンと言っている。
翌日、菊池さんが、ターザンと挨拶すると、(自分の名前はきっとしらないだろうと菊池さんは言っていたが)、ターザンは、あなたが菊池さんですか!!!夕べ、いっしょに飲みたかったと、しきりに残念がり、話が弾む。
菊池さんもこの世界では、有名人だとあらためて、感心した。
5時過ぎに、いざ出発しようとしたところ、川の水深が20センチ程、増水していることに気がついた。後で分かったことだが、何と昨日は山の上部は信じられないことに雨だったそうだ。
これから、簡単な奥の廊下だったのであるが、なんと昨日より難易度は、上がった。
僅か20センチであったが、昨日と全然違う。当たり前の事であるが、遡行は、水深によってかなり大きく左右される事を思い知らされた。ロープを何回も出し、首まで漬かりながらの徒渉であり、しかも小雨混じりで、さすがに寒い。ズボンの下は、アンダータイツ、開襟シャツの下は冬用の長袖アンダーシャツであったが、臍から上まで漬かると、かなり冷えた。
ずぶぬれになりながら、B沢の出会いに9時半に到着。我々の上の廊下の遡行は、無事に終了した。現在、A沢が崩落していて、こちらが高天が原へのルートになっていた。
この時点で、夕方には、水晶小屋に行けると、確信を得た。
ロープで確保しながらの徒渉中の菊池
B沢の出会い、ここで黒部川と別れる。
無事に遡行完了し、万歳!!
ここからが、大変で時々振る小雨と、高度を稼ぐ毎にくる寒さと風にまいった。5時前に、史上最悪の水晶小屋につく。着いたとたん、説経である。以下に、代表的な事件を述べる。
こんな時間(5時)に来るとは非常識である、遭難したら、私達 が行かなければならない。(遭難する前にビバークするよといってやりたかったが、多分判らなさそうな女だった。)
ご飯はない、(自分たちで作るといったら)カレーはあると答える。
後で考えると正規の料金を取りたいんだなと判る。
朝飯は、水晶に日の出を見に行ったので、6時前に帰ってくると、一杯しか残されていなかった。しかも、あなた達が山頂に行くからと言わなかったからだそうだ。
昨日は、皆日の出を見に行くと本人が言っておきながら、ひどい。
このような事があり、思いやりの全くない女主人の宿で、布団から沸いてくるダニに食われながら、なんでこんな所に泊まったのかと後悔した。
後で聞いたら、水晶の小屋は昔からひどかったそうで、知っている人たちの間では、評判の悪い小屋だったそうだ。情報を早めに知 っておけば!!
そういうわけで、翌日ダニに食われた体を掻きながら、数度携帯電話で会社と連絡しながら(電話すると山のいい雰囲気が崩れ去っていくが…)、野口五郎、烏帽子小屋、日本三大尾根の一つであるブナ立尾根を下り、タクシーを呼んでいた高瀬ダムに着いたのは、2時半であった。 穂高の温泉に漬かり、その夜東京に着いた。
余談であるが、泊まったわけではないが、野口五郎の小屋は、どこかの小屋と違い、牧歌的でとても親切そうであり、お勧めだと思う。
27.
1999.08.29−30
「キャンプ祭り、そして日和田山岩トレーニング」
:キャンプは何人か数え切れず、30数名
日和田山岩トレーニングは、大江(徳)(睦).菊池.神崎.本間.宮崎.原田で あった。
ザイルをもっと使い、パーティーを2つに分けて、時間を有効に使ってほしかった。
28.
1999.09.04−5
<
「谷川岳集中登山 平標−谷川岳縦走」
:菊池、栃木(節)(敬)、端、原田
山想グループの主催による谷川岳集中登山の尾根ルートとして、平標からのぞんだ。
今回、山のクライミングの歴史を造った(吉尾弘さんの本でしか知らなかった)雲表倶楽部の松本達雄さんや緑山岳会の井上さんに会うことが出来る。菊池さんがこう説明してくれた。
雲の上のような人達である。残念ながら、松本さんは数日前に墜落し、入院中であり、会うことは出来なかった。
井上さんは、星川さんのほーぼーという店で、ごいっしょさせて頂き、色々な話を伺った。
小説のような話だ。詳しいことは、省くが元橋を昼前に出発し、3時前に山頂の小屋に到着。
私は前日3時まで飲んでいたので、ふらふらしながらやっ と登った。
こんな厳しい山行は、初めてであった。
小屋で30分ほど熟睡していると、誰もいない。外に出ると、みんな、もう飲んでいた。やっと二日酔いも直り、飲み見直しである。
結論から言うと、寝るまでに、持ってきた合計一升の焼酎と、小屋で買った8本(一合缶)の日本酒を飲んだ。それも、もういいというのに、栃木さんが寝る1時間前に、5本買ってきてしまった。しかし、皆飲んでしまった。
朝5時に出発。当然、二日酔いである。谷川の頂上に着くまでつらかった。
平標から谷川につながるこの稜線は、日本一のどかである。太陽の光を浴びた山一面の熊笹が、露に濡れ、神神しいまでに様々なひかりを放つ。そして、そこには、体中の血を清めてくれるが如きどこまでも透明な空気があった。
頂上で、お神酒を頂き天神尾根ルートで下山し、土合駅前の会場での懇親会に参加した。
こともあろうに、ヘビを持っている人が(???さん)おり、しかも女の子がヘビを持って私を追ってくるではないか。信じがたき光景である。生まれてこのかた、こんなに 恐ろしかったことなかったような気がする。本当に、まいった!!!
というわけで、土合駅から電車で湯沢に車を取りに行き、温泉に入ってから東京への帰途についた。
土合駅前の懇親会にて、左より原田.栃木(節).菊池.栃木(敬).端
29.
1999.09.19
<
「日帰り 大山」
:原田
広島に学会の出張で行くことになったので、ついでに大山に登ることにした。
米子を8:30出発し、9:20麓の大山寺に到着。麓は南北朝のころからの信仰の場所であり数百の寺社が存在する。9:40、夏山登山コースに出発。麓は、実に気持ちのよいぶな林である。白神山地のようなぶながたくさんあった。
3合目を過ぎるころから、傾斜が急になり、9合目までは富士山にも似た急勾配である。
日本海・宍道湖・松江・米子を見ながらの実に楽しい登りである。かなりたくさんの人が登っていた。
頂上11:40着、残念ながら頂上は雲の中である。大きな有人の避難小屋で休憩後、崩落していた元谷コースで下山した。こちらもブナ林で、樹齢2000年を越える杉林も見られた。
大山寺に1:30到着。2:40のバスで米子に戻り、皆生温泉に入り、駅前でおいしい海の幸にありつき、夜飛行機で東京に戻った。幸せな 一日であった。
原田の部屋その4終わり
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その5「満身創痍」に続く
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