その6「岩と雪?」

32.19991022-23
「雨天撤退の谷川岳堅炭岩」
:菊池.本間.原田
奥穂高南稜では、ほぼザイル無し(一回のみ使用)であったので、ザイルを使う岩に行こうという話になり、菊池さんが当初からリストアップしていた谷川岳堅炭岩に登ることとなった。
22日20:30市川出発で、11時には一の倉の沢筋の駐車場に着く予定であったが、赤城高原付近での車炎上につき、通行止めとなり、結局到着は、1時過ぎであった。
23日朝6時、車から降りると、一杯の車、そして衝立て岩・コップ状岸壁を朝日に真っ赤に浮き上 がらせた一の倉が、目の前に立ちはだかっているのを見た、その瞬間に目が覚めた。
7時に出発し、早々に堅炭沢に到着したものの、あまり人が入った気配がしないので、菊池さんが、先の沢まで確かめに行く。このころから、天気は、小雨となり雨具を着る。
8時20分堅炭沢を登り始めるが、道は全くなく、かなり荒れている。最初から、薮漕ぎモードである。二股の出合いのスラブ状の滝を左に取り、進みはしたものの、雨は止む気配はなく、目の前のT.U.V峰など雲の中でほとんど見えない。
前線が予想より南下したのであろう。菊池さんは、谷川の気象について、平地は晴れであっても、秋晴れのシーズンを除けば、ここ谷川は雨の方が多いと語る。(実は、このころ北海道の低気圧から伸びた前線の先端は、新潟市のすぐ北の海上にあった。)
つまり、高層の天気では、かなり違うものだと実感した。
10時お20分、このまま行っても得られるものがないので、撤退と決定。下山中に、急激に気温が低下し、寒冷前線が通過したか、冷気の端が押し寄せてきた事が理解できた。
駐車場に11時半に戻り、湯テルメに入浴後、帰京。しかし、原田邸の直近の鉄板焼き屋の後原田邸で二次会と相成りまして、結局撤退して早く帰っても、遅く帰っても、終わりは、いっしょなんだと悟りました。
来年は、一の倉に登りたーい。

33.1999.10.31
「つづら岩トレ」
:大江(徳).菊池. 栃木(節).宮崎.内田.原田、会員外1
ボッカ訓練と岩トレであったが、岩場までのアプローチは、かなりの急登でほとほと、まいいった。
3本のロープを使い、それぞれ登ることが出来、満足であった。

34.1999.11.13-16
「あるはずの雪がなかった朝日岳」
:栃木(節).(恵).原田
13日東京発6時半--日暮沢小屋着15:00
14日小屋発6時-大朝日小屋着14:30
15日小屋発6時--日暮れ沢小屋着10:00---温泉---東京着21時
16日予備日(朝まで本間さんを呼んで4人で原田邸でパーティーになった。)
初冬の東北の山ということで、覚悟していた。ルートは一番アプローチが楽な日暮沢とした。しかし、まさか日暮れ沢まで車で入れるとは思ってもみなかった。雪がまったくないのである。頂上にも全く雪がないのである。わかんは、車に置き、アイゼンとピッケルだけは持参することにした。
頂上に雪の気配が全くないので、水を持っていくか迷ったが、頂上直下の金玉水・銀玉水は、凍らずかなりの水量で流れていた。ほっとした。
枯れ行く冬景色とあたたかな長閑な尾根歩きにホットした山行であった。
それにしても、宿泊したこれらの無人小屋はりっぱであった。

右手に以東岳

西朝日への登り
                                  

35.1999.11.23
「日和田山アイゼン岩トレ」
:大江(徳).(睦).菊池. 栃木(節).(恵).本間.内田.井坂.神崎.原田
冬の尾根にも対応できるアイゼン歩行訓練の一環として実施された。革の靴にアイゼンを装着した登攀は、クライミングシューズと違い、かなりの困難を伴うものだ。当たり前のことだが、アイゼンをしっかりと固定しないと登りにくい。このような訓練は、やはり冬山に入るのであれば、重要であると痛感した。

36.1999.11.27-28
「寒かった富士山の雪訓」
:大江(徳).(睦).菊池. 栃木(節).(敬).原田

37.1999.12.05
「景信山 餅つき山行」
17名 +原田
餅つき中へっぴり腰状態で後ろの宮崎君に笑われる。

38.1999.12.12 

「湯河原  幕岩」
:白石.菊地.大江徳厚.睦子.栃木節夫、神崎照子.原田

39.1999.1217-20 
「二セコスキー」
:栃木節夫.敬子.原田
3泊4日32000円食事つきなので、行かなきゃそんかなということで、出かけたが、よかった。
毎日、昼食前に、ゲレンデでワインで、乾杯していた。
次の年は、結局、11人で出かけた。恒例化してしまった

羊蹄山をバックに、、栃木(節).原田.栃木(敬)

40.1999.12.25 
「原田邸冬合宿打合せ兼忘年会」
掃除と打合せであったが、朝まで飲んでいた人達も、いたそうである。

41.1999.12.30-2000.1.3
「塩見岳中止 してスキー」
風邪をこじらせ、スキーに変更となった。ただ、この時期、宿はないので、鹿島部落の山宿に泊めてもらう。

42.2000.1.8-10 
「八方尾根スキー」
:菊地.栃木(節).(敬).星.原田

43.2000.1.30-2.1
「妙高高原スキー」
:菊地.栃木(節).(敬).星.原田

44.2000.2.11−13
「羽鳥湖スキー」
:菊地.遠藤.栃木(節).(敬).端.原田

45.2000.2.26-27
「手白沢温泉」
:栃木節夫.敬子.原田 他5人
原田の部屋その6終わり
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