3月14日(火)
車中、睦子さんは、不安で、そこに気持ちはないようであった。痛々しかった。
翌朝、6時前に登山指導センターに到着。まだ、何人かしか来ていなかった。ミーティング後しばらく待機していたが、8時前ヘリで上がるように言われる。ハーネスを着けていると栃木さんから電話が入る。こちらは、それどころではない。橋口さんにかけるように言う。
| *悪かった点 |
―――― |
連絡網が機能していなかった
この時点で神田として役割分担が出来ていれば最高であった。 |
ヘリポートに行くと、ハーネスチェックと言われる。つまり、ヘリコプターからワイヤで降ろすとのこと。10番目位の順番を待つ間これからのことを考え本当に緊張した。
大型の防災ヘリと、小型の県警のヘリが、飛来し県警の人や救助隊を、1人、2人づつと運び上げるが、2回程行くと燃料補給に戻った。二つのヘリ共、付近にいると、飛ばされそうなくらいの風圧を受ける。
やがて、天候が悪くなり、偵察だけのためにヘリが飛ぶ。なかなか順番がこない。
消防隊隊長から、ビデオで雪面に斜めになってツエルトに入ったままの吉尾さんの姿を見せられる。こんな事が現実なんだと思い知らされる。生きていて、生き抜いてほしい。
東邦航空のヘリを要請していたのに、東京の本部は、再度連絡があるまで待っていたそうである。
横で、何でそんな勝手な判断をしたんだと、大坪さんが、怒鳴っている。もう、遅かった。
結局、へりは飛ばず、ラッセルで、小屋までは入った。徹夜であったので、少し疲れた。小屋に到着後、オキの耳の方の現地に向ったが、引き返してくる一次隊と会い、小屋に引き返す。今日の救助は、打切りとのこと。
小屋からの交信を試みるが、出来ないので、稜線に出てみる。指導センターから"小屋にアンテナの端子が有るので、それに接続するように"と言われ、戻ってやってみると、交信できるようになった。
小屋から携帯電話が通じたので、自分の明日の病院の予約をキャンセルするため、電話番号を知っている熊本の友達に連絡する。
| *良かった点 |
―――― |
予備に携帯電話を持参していた。
ちなみに携帯の充電器を麓に置いてきたが活躍したようだ。 |
小屋では、堤さんが荒れた。県警の馬場さん達の食事は、どうなっているんだとか、今日の救助方法の事で、切れていた。隊長は、俺がやる。わかったなと、堤さんが言った。
後で、G山想の手記を読んで、更に良く分かった。
その夜、疲れで7時過ぎには横になった。風の音と寒さで、大江さんたちは大丈夫かと気がかりであった。
3月15日(水)
翌朝、菊池さんと大竹さんが真っ先に起き、食事の支度をする。堤さんは、もう既に起きており、黙って、それを見ていた。小屋の入り口に雪がたくさん入り込む。大江さん達が生きている確率は、半々だろうと思った。今日で、彼らが入山してから、5日目だ。
第一次隊が出た後、しばらくして、Aルンゼを登って来た人が、小屋にやってきた。前日、ヘリの隊長が、遭難現場近くを、登っている単独行の人がいたと言っていた。信じがたいくらい、ひょうひょうとしていた。
無線で、センターから何度も、視界を尋ねてくる。肩の小屋では、ヘリコプターが飛ばなければ、今日中の救出は、まず無理だとの判断をしていた。昨夜、大江さんがユマールを普段から持参しているかを、菊池さんに尋ねた。仮に持っていたとしても、それでも登ってくるのは、不可能ではないかと話していた。重苦しい雰囲気だ。
突然、雲が晴れた。ヘリコプターが飛ぶ。救出に備え、私達に稜線に行くように、指示がある。小屋から20分程で、下降点に着く。そこから、10M程下り、20M程進み、50M程垂直に降り、30M程ナイフブリッジを通り、40M程垂直に降り、40M程進むと、そこがドームの頭である。(そのように見えた。)
2人は、100M程垂直に降りた所でビバークしており、吉尾さんは更に20M程下であるそうだ。
ちょうど、一人目がドームの頭に着いた。前からいた大竹さんが、あれが大江さんだと教えてくれた。救助隊員(東邦航空の篠原さん)を釣り下げたままのヘリコプターが、はるか下のヘリポートから、1000m以上を、急上昇して来る。ドームの頭に到着、篠原さんが下降した後、ヘリコプターはその場を離れる。センターに連絡したほうがいいのでは、と聞いたところ、そうだということになり、こちら稜線、現在頭にヘリコプター、ピックアップのため、接近中、只今遭難者一名をピックアップし、ヘリポートに向いました等の交信をすることに、なってしまった。
以降、断続的な交信を担当した。
大江さんが、ヘリコプターにぶら下がって、1000m以上を急降下していく。元気である事を願う。