その7「滝沢リッジ遭難始末記」

46.2000.3.13−16
「谷川遭難そして、救助 (滝沢リッジ遭難救助に際して)」
3月13日(月)
月曜日の21時過ぎに、橋口さんから大江君が遭難した。救助に出てくれないか"との電話が入った。友達が死に掛かっているのに、行かないわけはいかない。すぐに行くと返事をした。
しかし、橋口さんも連絡に追われており詳細は聞けず、菊池さんに今後の対応を尋ねると共に、本間さんに一報を入れ、共に行けるかと聞く。大江さんの奥さんの睦子さんに電話をするも話し中であったため、本人の携帯に電話し、ある程度の情報を掴む。私の車で行くのがいいと判断し、全員に家に来てもらうことにした。
*良かった点 ―――― 橋口さんは第一陣の選択を間違えなく短期間に行った。
*悪かった点 ―――― 連絡網が機能していなかった。
完全冬装備の準備(食料・燃料含め)を完了させ、念のためガソリンはと思い、メーターを見ると空である。ガソリンスタンドを12時前に廻ったが、二軒目が営業中でほっと胸をなで降ろす。
一時過ぎにみんな集まり、地図を開き今後の対応を話し合う。会社に明日の7つの打合わせの中止・不参加と、数人への連絡各種の依頼のFAXを送る。そして一時間の仮眠後、出発。

3月14日(火)
車中、睦子さんは、不安で、そこに気持ちはないようであった。痛々しかった。
翌朝、6時前に登山指導センターに到着。まだ、何人かしか来ていなかった。ミーティング後しばらく待機していたが、8時前ヘリで上がるように言われる。ハーネスを着けていると栃木さんから電話が入る。こちらは、それどころではない。橋口さんにかけるように言う。
*悪かった点 ―――― 連絡網が機能していなかった
この時点で神田として役割分担が出来ていれば最高であった。
ヘリポートに行くと、ハーネスチェックと言われる。つまり、ヘリコプターからワイヤで降ろすとのこと。10番目位の順番を待つ間これからのことを考え本当に緊張した。
大型の防災ヘリと、小型の県警のヘリが、飛来し県警の人や救助隊を、1人、2人づつと運び上げるが、2回程行くと燃料補給に戻った。二つのヘリ共、付近にいると、飛ばされそうなくらいの風圧を受ける。
やがて、天候が悪くなり、偵察だけのためにヘリが飛ぶ。なかなか順番がこない。
消防隊隊長から、ビデオで雪面に斜めになってツエルトに入ったままの吉尾さんの姿を見せられる。こんな事が現実なんだと思い知らされる。生きていて、生き抜いてほしい。
東邦航空のヘリを要請していたのに、東京の本部は、再度連絡があるまで待っていたそうである。
横で、何でそんな勝手な判断をしたんだと、大坪さんが、怒鳴っている。もう、遅かった。
結局、へりは飛ばず、ラッセルで、小屋までは入った。徹夜であったので、少し疲れた。小屋に到着後、オキの耳の方の現地に向ったが、引き返してくる一次隊と会い、小屋に引き返す。今日の救助は、打切りとのこと。
小屋からの交信を試みるが、出来ないので、稜線に出てみる。指導センターから"小屋にアンテナの端子が有るので、それに接続するように"と言われ、戻ってやってみると、交信できるようになった。
小屋から携帯電話が通じたので、自分の明日の病院の予約をキャンセルするため、電話番号を知っている熊本の友達に連絡する。
*良かった点 ―――― 予備に携帯電話を持参していた。
ちなみに携帯の充電器を麓に置いてきたが活躍したようだ。
小屋では、堤さんが荒れた。県警の馬場さん達の食事は、どうなっているんだとか、今日の救助方法の事で、切れていた。隊長は、俺がやる。わかったなと、堤さんが言った。
後で、G山想の手記を読んで、更に良く分かった。
その夜、疲れで7時過ぎには横になった。風の音と寒さで、大江さんたちは大丈夫かと気がかりであった。

3月15日(水)
翌朝、菊池さんと大竹さんが真っ先に起き、食事の支度をする。堤さんは、もう既に起きており、黙って、それを見ていた。小屋の入り口に雪がたくさん入り込む。大江さん達が生きている確率は、半々だろうと思った。今日で、彼らが入山してから、5日目だ。
第一次隊が出た後、しばらくして、Aルンゼを登って来た人が、小屋にやってきた。前日、ヘリの隊長が、遭難現場近くを、登っている単独行の人がいたと言っていた。信じがたいくらい、ひょうひょうとしていた。
無線で、センターから何度も、視界を尋ねてくる。肩の小屋では、ヘリコプターが飛ばなければ、今日中の救出は、まず無理だとの判断をしていた。昨夜、大江さんがユマールを普段から持参しているかを、菊池さんに尋ねた。仮に持っていたとしても、それでも登ってくるのは、不可能ではないかと話していた。重苦しい雰囲気だ。
突然、雲が晴れた。ヘリコプターが飛ぶ。救出に備え、私達に稜線に行くように、指示がある。小屋から20分程で、下降点に着く。そこから、10M程下り、20M程進み、50M程垂直に降り、30M程ナイフブリッジを通り、40M程垂直に降り、40M程進むと、そこがドームの頭である。(そのように見えた。)
2人は、100M程垂直に降りた所でビバークしており、吉尾さんは更に20M程下であるそうだ。
ちょうど、一人目がドームの頭に着いた。前からいた大竹さんが、あれが大江さんだと教えてくれた。救助隊員(東邦航空の篠原さん)を釣り下げたままのヘリコプターが、はるか下のヘリポートから、1000m以上を、急上昇して来る。ドームの頭に到着、篠原さんが下降した後、ヘリコプターはその場を離れる。センターに連絡したほうがいいのでは、と聞いたところ、そうだということになり、こちら稜線、現在頭にヘリコプター、ピックアップのため、接近中、只今遭難者一名をピックアップし、ヘリポートに向いました等の交信をすることに、なってしまった。
以降、断続的な交信を担当した。
大江さんが、ヘリコプターにぶら下がって、1000m以上を急降下していく。元気である事を願う。
*良かった点 ―――― アマチュア無線は、全体で話すときに本当に役立つ。
菊池さんからすすめられ、免許を取得しておいてよかった。
こちらと肩の小屋との交信は、直接出来ず、指導センターで、伝えてもらう事になった。指導センター・ヘリポート・肩の小屋・そして私のいる稜線下部の4地点、入り乱れての交信であった。
二人目を救出し、吉尾さんのピックアップに、入ろうとする頃、隊長の堤さんが、倒れそうになりながら、戻ってくる。あいつ、殺してやる、と叫んでいる。副隊長の阿部さんも、口も利けないくらい、疲れ切って戻ってくる。相当、緊迫し、そして険悪なムードである。誰かの勝手な行動に、激怒していた。第二次隊の小野さん達が到着していた。先鋭部隊なので、すぐ現場に来るように言えと、堤さんは言っていたが、不徹底で、肩の小屋に待機させられていた。しか
 し、小野さんらは、自分達の判断でやってきた。堤さんが小野さんに、全指揮を執るようにという。堤さんが、無線を持ってこいとわめく。結局、冷静な阿部さんが、指揮系統の交代を下に連絡する。下(ヘリポート)から、早く降りるような準備をするようにと、言ってくる。小野さんは現場が全てだから、ほっとけと言う。かなり、怒っている。現場は、本当に緊迫していた。そして、命令系統・指示系統の徹底が、いかに重要か、身にしみた。
堤さんが小野さんといっしょに、私にドームの頭に降りるように言う。降りたら登れそうにないので、うまく逃げてしまった。小野さんも稜線から少し下がったところで、指揮を執った。助かった。ここでさえ、Aルンゼ側に落ちることは、絶対無いとはいえないような場所である。横にいる県警の人と寒いと言って、世間話をする。
下から、しきりに下山できる人は、降りるようにと言ってくる。小野さんが、今、吉尾さん救出に全力を挙げているのに何だ、現場の最前線はそんな状況ではない、ほっとけと言う。困ってしまった。
警察が、吉尾さんの状況をしきりに聞いてくる。非常なまでと、思えるくらいである。川嶋さんが、残念ながら、冷たくなっていますと答えた。
ヘリコプターが、ドームの絶壁に当たっているように見えるほど接近して、やっと、吉尾さんをピックアップした。只今、吉尾さんをピックアップし、ヘリポートへ向かいましたと、コールし、やっと帰れると実感した。
ドームの頭に3本のロープを使いながら、8人が登り返してくる。1時間以上かかりそうだ。稜線近くの人も2本あるロープの内、1本を撤収し始める。
下から、ドームの頭でも稜線でも、ヘリコプターで降りれる人は、降りてくれないかと再度要請される。小野さんに聞くと、しばらくして、うんとうなずく。ドームの頭からのヘリコプターでのピックアップを要請する。ドームの頭から、3人が編の籠(モッコ)に入って、運ばれる。
ドームの頭から、一人又一人登り返してくる。
この頃、肩の小屋に待機していた人たちに、再度撤収のため来てくれるように要請するが、来てくれない。後で聞くと、肩の小屋の人達もヘリで、降りるとこだったそうだ。
もうすぐ、17時を廻る。
やがて、まだヘリコプターで、降ろせないかと言ってくる。稜線部隊を降ろしてくれと、ドームの頭の馬場県警救助隊長が言ってくる。東邦航空の篠原さんが、私の頭上3Mまで、ヘリコプターにぶら下がりながら降りてくるが、体制を立て直し、上の稜線に着地した。パイロットの右手の動きが、わかるくらいなのに、風圧は感じない。
お前も降りろとサブチーフから言われるが、交信が出来なくなるし、事故当事者の会の者が、最後まで残らないのはまずいと思う。念のため、隊長に聞くと、やはり残ってくれとのこと。
完全に闇となった中、ザイルを撤収し終わり、とりあえず肩の小屋に帰る。
撤収後、下に状況を伝えようとするが、センターの交代した無線担当者がしきりに話すので、ブレーク出来ない。
その内、電池がなくなり、携帯電話で今から肩の小屋に帰ると、橋口さん経由で、センター・肩の小屋に伝えてもらう。
*悪かった点 ―――― 無線もフルに使うと4本電池でも、もたない。
小屋に帰る途中、暗闇の中、センターから電話がかかる。こちらは、すべての会話を聞いており、ヘッドランプでの稜線を歩いており、とても出れる状況にない。一歩間違えば、死ぬ。しかし、確認が出来ないので、センターは、肩の小屋に伝えてくれない。先ほどまでのセンタの担当者と違っている。
何をしているのか、伝えることを伝えてくれればいいのに。(後で聞いたら、救出時のセンターの無線担当者は、県警の人で、どうりで慣れていた、成る程と理解する)
小屋に着くと、有りがたいことに、おじやが用意されており、朝ちょっと食べただけであったことに気づく。
小屋を出発する時、ザイルや他の荷物を当然、明日改めて取りにくるから、そのままと思っていたら、ザイル等は、先に下山した県警の馬場さんたちが明日以降、ヘリコプターで降ろしてくれるとのこと。それを聞いた途端、残されたものを無理矢理、持って降りることになった。皆、持ってくれる。
ヘッドランプでの下山は、アイゼンを引っかけでもしたら数百M落ち、死亡間違いないので、本当に緊張した。スキー場に着くとほっとした。
22時前、下山できた。下山しても興奮状態に有るのか、疲れなかった。
22時、2日ぶりのまともな食事に有りつき、その後、大江さんの入院している病院に行き、疲れきった姿を見た後、吉尾さんの最後の姿を見て、ご家族の方に救出時の様子をお話し、自宅に戻ったのは、次の日の朝、6時前であった。1時間の仮眠後、会社に行ったが、3日の内2日、ほぼ徹夜明けの出勤はこたえた。
後で、知ったのだが、ヘリポートで、吉尾さんの遺体を収容したのは、本間さんが麓で連絡用に使っていた私の車だったそうである。数多くの山に行く私の車を、見守ってくれているような気がする。北岳バットレス頂上直下で、23時過ぎに初めてお会いし、例会にも着て頂き、個人指導も会員にして頂くようになっていた吉尾さんが、亡くなったことは、痛みに耐えない。(本間さん達は、この山から下山した次の日に教えてもらう事になっており、入山中の吉尾さんと電話で、話していたそうだ)本当に生きていてほしかった、吉尾さんに。

追記
一日後の金曜日の夜に、橋口さんから、船橋の人がヘリコプターでのザイルの回収を断ったので、もう一度明日、登ってくれとのこと。どうなっているのかなと思った。 (危ない思いをして、皆でヘッドランプを点けて、重い荷物を降ろしたのにと思ったが、これは、単なる勘違いであることが後日判明した)
結局、私達は行かなかった。会の他のメンバーが登った。
生き抜いた二人に誹謗・中傷があったり、又今日現在(2000.4,7現在)、ザイルや無くなった物の弁償やお礼状発出も、出来ておらず、複雑な心境である。

原田の部屋その7終わり

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