「危険領域」

80.2001.4.27−29
「白馬主稜」

白馬主稜
:大江(徳).門馬.梅澤.原田
2001年の元旦は、赤岳主稜に登った。元旦から今年は縁起がいいぞと思っていたら、1月から悲惨な運命が待っていた。1月下山路で、こけて頭を3針縫う怪我をし、2月にはスキーで変にねじって坐骨神経痛になり、歩けなくなり、2ヶ月足を引きずっていた。
4月28日
3月末から復活し始め、白馬主稜に臨むことができた。猿倉までの道は除雪も終わっているのに、5月1日しか開けない長野県の対応にあきれながらも、無事白馬尻に昼過ぎ到着。
それから、明日の登攀のための確保訓練を3時間ほど実施した。V字型の確保で、やる方法を大江さんが考え出し、は問題ないなと確信が持てた。

4月29日
6時出発。最初の取り付きから、急だ。特に稜線手前へ登りは、雪質が悪ければ、ザイルが必要だ。それにしても人が多い。数パーティーが登っている。
稜線も急で、ステップがきられているから登れるが、もしなければ相当疲れる。ピッケルを真上に、手が伸びるだけ振り上げ、全部根元まで突き刺す。4人がだんご上に登り、前の人がスリップしたら、すぐ後ろの人が支える。私がラストなので、梯子を登るような傾斜では、一歩一歩確実に根元まで深く差し込む。
睡眠不足でバテそうな時、梅澤君にザイルを持ってもらったら、という話が出たが、梅澤君はバリエーションルートは、初めてであり、バテても私の方が安全だと思い、気合を入れなおし(少し眠って)登る。
門馬さんが、にたにたしながら、後ろの私に「見て見て、下を、落ちたら、止まらないよ」と言う。言われなくても、わかっているのに。
それでなくても、怖いのに。
何せ、稜線のどちらに落ちても止まらなそうである。ナイフブリッジだ。後で写真を見たら、雪庇の上を歩いていた。ぞっとした。
10時に最後の雪壁の取り付きに到着した。天気快晴、無風。暑い。順番待ちで、しばし休憩。
このとき、近くの鹿島槍で、ほぼ同じ高さで、雪庇が崩壊し、500M滑落し女性が死亡、確保者も重症を負う惨事が起きていたとは、知る由もなかった。後日、亡くなった人は、友人の知り合いで、TWALLに来ていた人だと聞いて2度、びっくりした。
私も危険な領域に入ったのだなとつくづく思った。
最後の雪壁は、ザイルで確保し、3人同時に登った。11時過ぎに頂上に到着。12時下山開始かなり急な大雪渓を、尻セードですべる大江さんのスピードは、すごかった
3時前にテント場に到着。
白馬の温泉で宴会後、深夜東京に戻った。
すごかった。無事で何よりだった。

これから出発、門馬.大江.梅澤

稜線への取り付き。結構急である。

登攀中の手前、門馬.原田

 稜線を行く、門馬.原田

稜線を行く原田、バテギミ

頂上で。全員そろって。

原田の部屋その15「危険領域」終わり

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